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【小説】大貧乏の教え(第七章 お金とはそもそも何なのか)

 雄二郎氏、またよくわからない事を言う。しかも大上段からの質問だ。
 「お金の話をしてきましたが、そもそもお金とは何なのでしょうか?」

 「お金は物やサービスを売り買いする時に使うもので・・・、ええと、物々交換するのが難しいからその代わりに使う証拠みたいなものだと思います。」

 雄二郎氏は重ねて質問してきた。
 「では誠さんは誠さんが作った物を売った時に相手から紙切れを渡されたとします。そこには『お米10kg』と書かれていて、お米を収穫したら支払いますと言われました。そこにさらに多くの人が来て誠さんの持っている物を買いたいと言います。どの人も紙に『お米10kg』と書いて持ってきました。誠さんはその人達に売る事ができますか?」

 難しい問題だ。信用して売る事もできるし、信用して騙されるかもしれない。よく知っている人になら売っても良いように思うけれど知らない人には売れない。

 「お金と言うのはその裏に信用と言うものが必要です。では今お使いのお金には信用がありますか? もちろんあります。日本政府が信用を保障しているからです。ただ、政府はその信用の裏に信用の証拠と言うのを何も持っていません。昔と違って同じ価値の金 (ゴールド) を保有していると言うのはありませんから。

 『信用してください』と言うだけです。そして経済の様子を見てはお札を印刷して配ります。」

 よく考えれば雄二郎氏の言う通りだ。物の価値の量と無関係にお札は印刷される。それを僕は信用してしまっている。そしてより多くのお金があれば安心する。何か足元が心もとなく感じられてきた。

 「ご心配の通りです。安心しなさいとは言いませんよ。悪い言い方をしてしまえば、お金は幻想でお金の流通は詐欺行為に近いもの、などと言う人もいる位ですから。政府や銀行は無からお金を作り出してそれを人に渡して儲けているのですから。

 より具体的には『信用創造』と言います。誰かが100万円を銀行に預金しますと銀行はその中からほんの一部、例えば1万円としますが、それを法定準備分として日銀に預けます。残りは誰かに貸します。この時に銀行にあるお金は預金した人の100万円と貸した分の99万円がある事になり、本来のお金の約2倍が銀行にある事になります。たいへん不思議な仕組みです。」

 もし景気が悪くなってお金を借りて返せない人が多くなったら銀行は潰れてしまうのではないだろうか? この仕組みだと、銀行ばかりでなく国が潰れてしまう事も考えられる。どうなんだろう?

 「それもその通りです。実際に潰れた国は存在します。国がと言うより通貨が紙くずになった国ですね。何しろ『信用してくれ』と言っているだけで根拠は無いわけですから。全ては信用するかしないかにかかっているのです。」

 そうすると、僕たちが信用しているからこそお金に価値があると言う事になるし、信用しているからこそ国があるとも言える。でも僕たちはその逆に考えているんじゃないだろうか? つまり国が信用できるからお金に価値があるのだと。

 「そうなのです。皆さんそこを勘違いしている。そしてその勘違いの代償はとても大きいのです。」

 勘違いの代償? それは・・・?

 雄二郎氏の話はまたかなりの遠回りをするようだ。
 「ロスチャイルド家の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと言う人がいました。ナポレオンの時代の銀行家です。その人が言った言葉にこのような意味の言葉があります。

 『どんな権力よりも通貨発行権が欲しい』です。

 これは強大な権力でいろいろな法律を作るよりも通貨を発行する権利の方がそれを上回ると言う事です。法律は変えられる事ができますが、通貨はそうはいきません。なぜなら通貨の価値はそれを使う誰もが守りたいと思うものですし、しかも強制される事なくその考えは浸透します。

 ですから通貨を信用すると言う事は自動的にその裏にある国を信用する事でもあります。逆から見れば考えも無くそれを信用する国民を国は支配できてしまうのです。思慮の無い信用は被支配と言う代償を支払わなければならないわけです。」

 なるほど、僕はこの市に住民登録をしている。税金を支払っている。会社はそのために僕を社員番号を付けて管理していて年に一度源泉徴収票を配布する。結婚のような個人的な事でも役所に登録させられる。車を運転するにも登録と納税は必要でそれがされていなければ捕まるがこうした事は確かに僕自身の利便性を高めている仕組みでもあるけれど支配の仕組みと言えなくもない。


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