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【小説】大貧乏の教え(第六章 作った価値=お金じゃない)

 今回は雄二郎氏が先手を切って話し始めた。
 「先週は『大富豪の教え』の中にある儲けの方法について考えてみました。難しいですけれど間違った方法と言うわけではありません。実際にそれで巨万の富を築く事ができた人もいるのですから。しかしながら、私はそれに疑問を抱きます。」

 僕はこの最初の言葉で混乱した。だって、誰かが物やサービスを作って人々に供給する事でお金を得るのはとても自然な事だと思うから。

 これまでの僕はお金についてはあまり考えてはこなかったけれど、技術の仕事で何かを作り上げてお金をいただくと言うやり方が正しいとずっと思ってきたし、小学校でさえそう習ったはずだ。校外実習でパン工場や街のお店屋さんを見学した。あれはそこで働いている人がパンを焼いたり何かを売ると言う事でお金をもらっていた。それ以外に何があると言うのだろう?

 「誠さんの思っている事はわかります。私も同じ考えでずっとやってきましたから。ですが、事実はどうやら私たちの考えとは違っていたようなのです。」

 雄二郎氏は続けて質問してきた。
 「誠さんがもし、何か素晴らしいものを作り上げたとします。それを会社が売ります。販売額は1兆円だったとしましょう。つまり、これによって日本には1兆円の価値が追加されたと言うわけです。

 さあ、ここで問題なのですが、追加された価値1兆円分のお金はどこから出てくるのでしょうか?」

 そんな事、考えた事もなかったのだけれど、これもそう言われればそうで、日本の上に価値が1兆円追加されたのだから1兆円は・・・、ええと、日銀がその分のお札を印刷して増やさなければいけないのではないだろうか? そうしなければお金が足りなくなるわけだから僕の作った製品と無関係に他の物の値段が上がってしまう。それはどう考えても理不尽だ。

 雄二郎氏の答えはこうだ。
 「残念ながら誠さんの製品に事は日本政府も日銀も何も考慮はしないようですよ。」

 価値ある製品が出来てそれが国に大きな影響を与えても考慮されないとはどう言う事なのだろう? 僕にはわけがわからなかった。

 「それについては日銀に聞いてみる事ができます。スマートフォンをお持ちですね? 日銀のここを開いて読んでみていただけませんか?」 と、雄二郎氏はURLを書いた紙を僕に見せた。

https://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/faqms.htm

 スマホのブラウザに打ち込んでみると、『マネーストック統計のFAQ』と言う日銀のページが表示された。用語が難しくてチンプンカンプンだったが読み進めるうちに概要がわかってきた。マネーストックと言う統計についての説明だ。マネーストックの説明だけれども、世の中にあるお金の総量について何となくわかる説明でもあった。

 これを読むと驚くべき事に、お金の発行は、お金の量そのものとお金の移動量を見て決めているらしい。僕が作った素晴らしい製品が1兆円買われた事については直接考慮される事は無さそうで、それはたぶんお金が買った人から売った会社に移動した事がわかってからのようだった。

 「わかりましたか? 世の中にある価値の総量とお金の総量が比例関係にあると私たち技術畑の人間は理解したいところなのですが、金融関係者の考えはそれとは全く違うとわかります。正直言いまして、私もこれを知った時には非常に驚きました。いや、それはもう10年以上前の事ですけれども。」

 僕の心の中はこんがらがった。僕は自分が作り出す価値イコールお金と言う図式で生きてきたのだけれども、世の中のお金や富の仕組みはそれとは全く違うとわかってしまったのだ。でも、ここから先へ進むために僕はこの事実から何を学べば良いんだろう?

 雄二郎氏は続けた。
 「物やサービスを売る事や労働から賃金を得る事、つまり実態経済の市場規模はGDPの値で表されます。世界のGDPの総額は80兆米ドル程度あります。しかしながら驚く事に株や債券などの金融商品を取引するデリバティブと呼ばれるものの市場規模はその5倍を超えているのです。」

 この分野について僕は何も知らなかったからそれについて反応する事すらできない自分がいた。

 「あまりお得意の分野ではないでしょう? 日本人としてはそれが普通ですからご心配なく。かく言う私だって得意ではありません。

 ですが、不思議ではありませんか? 株にしても債券にしても企業が利益を得る事が前提で貸し出されるお金の証文みたいな物です。それが実際に何かを売り買いするよりも多くのお金を移動させているのです。」

 なるほど、そう言われれば確かにそうだ。株も債券も実際にそこから得られる利益を超えた金額で取引されるのは不思議としか言いようがない。

 「ここであの『大富豪』のところに戻りましょう。あの大富豪さんたちは本当に物やサービスの販売だけで富を築けたのかと言う点です。この市場規模の比較からだけ見てもそれは違うと断言できそうです。商売から得た金額は元手になったかもしれませんが、ある時点からはその依存度は低くなったと見るべきでしょう。つまり多くのお金が動いているところにお金を置いておく方が効率が良いに決まっています。」

 そうかもしれない。僕が考えるように物とかサービスを経由しなくてもお金がそれ自体で動いてそれ自体で増える場所に置いておく方がずっと効率が良いのはわかる。

 物なんかにするとそれを作るのに材料費も人件費も設備費もいろいろとかかる。その結果、売れないと言う事態も常に発生するわけだから、十分な調査も必要だし、物である以上誰かの目にとまる場所に持って行くとか広告でその代わりにするのにもお金がかかる。それだけで独立して1人でできる事じゃないかもしれないし。うーん。

 「ビル・ゲイツと言う人はもちろんご存知ですね? マイクロソフトの創業者の1人であまりにも有名な人ですから。彼の総資産は2018年のある雑誌に載っていた数値では921億ドルでした。残念ながら今は知りません。古い本しか読めませんので。

 この時のアメリカのシティバンクの定期預金金利は0.25%でしたからそこにビル・ゲイツ氏が全て預けていたとした場合、(そんな事はあり得ませんが)1年間で約2.3億ドルを受け取る事ができます。日本円にして250億円ほどになります。普通に生活していては到底使いきれません。」

 この大貧乏の雄二郎氏が冷静に250億円と言うのが可笑しく感じられた。それはあまりに額面が大きすぎて僕にだってリアリティが湧いてこないけれども。でも、1年間にそれだけの莫大なお金が自動的にもらえるとしたら、これは大変な事だと言うのはわかる。それに、それが使切れなくて、と言う事は複利計算で増えていくはずだ。

 「あっ、そうか! お金持ちのところにはどんどん自動的にお金が入るって事ですね。そうしたら毎年、毎年富は集中する方向にしか行かないですよ。」

 さらに冷静な雄二郎氏は言った。
 「そうなのです。まさにその通りです。つまり、世の中はお金持ちがさらにお金持ちになるような仕組みになっていると言う事なのです。」

 これを知って興奮した僕の頭の中は少しして冷めてくると絶望的な気分になっていった。


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