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「実はね」という方法(小説の書き方)

 ここのところ、バタイユの「ミルク皿にお尻」のインパクトにやられて脳みそがパンクしそうになっている。「目玉の話」を読んでしまうと、ミルク皿はお尻を乗せる物という事に頭中で定義付けられてしまって戻れない。(と、昨日の記事で書いた) どこの家にもある白いミルク、そこに隠されているはずの性器が浸る。白色の液体にピンクと黒の肉が接触する。印象が強すぎる。それに匹敵するのは無理かもしれないが、その類のアイデアは無いかとずっと探しているが、何をどう考えてもわざとらしくなってしまって無理がある。

 結局、凡人の頭には限界がある。当たり前か。なので、別の方法に切り替えるのはどうかと考えた。その一つは、よくある「実はね」という方法。例はこれ。↓

 この記事にある歌は完全にショートショート的な歌詞になっている。素直に聴いていると完全に騙されて、最後に背筋が凍る。

1) あるカップルが強盗をして人を殺し多額の金品を奪う。
1)男「これで豪勢に遊ぼうぜ」
2) 女「これが最初で最後だからね」
3) 男女「あなた(おまえ)は私には必要なのよ」
4) 男「ちくしょう、ヘマしちまったぜ」
5) 女「私の前で弱音を吐かないで」
6) 男女「あなた(おまえ)は私には必要なのよ」
7) 女「あなたの顔を洗って髪をとかしてあげるわ。だから私を信用して。」
8) 男「部屋を暗くして音楽を聴きロウソクが燃えるのを見ていよう」
9) 男「だんだんと意識が遠ざかる。床に血が・・俺の愛は永遠におまえのもの・・・」

 このお話で事態が急転するのは8)と9)の間です。そこで女は男を殺してしまいます。いきなり銃をぶっ放すのような方法ではなくて剃刀で頸動脈を切るような方法です。切ってすぐにはまだ男は生きていて意識もあります。男は女を愛していて信用していますから剃刀で髭を剃ってもらうような時にその剃刀が自分の首を切るとは疑いません。

 そうした展開の後では今まで交わした会話や言った言葉の意味が変わります。2)のところで女が「これが最初で最後」と言った意味は、それを聞いた時には「こんな危ない橋を渡るのはもうこれ切り」に聞こえるのですが、9)で男の意識が遠ざかるまで聞くと、あの言葉は「あんたは逃げ切ったところで用済みなのよ」に変わります。そして「あなたは私には必要なのよ」の意味も「あなたには全部の罪を被ってもらわなきゃいけないのよ」のようになります。そうなると永遠の愛の意味も「永遠に捧げるだけの愛」だった事がわかり、完全に意味がひっくり返るのです。これが、後になってみると「実はね」なわけです。

 この歌はちょっと素晴らし過ぎるのですが、応用してやってみたら自然な導入が作れるのかな?とちょっと思ったりもします。何の保証もないですが。

 物語は1人称で語られます。(必要条件) なぜなら、主人公から見た風景が必要で、主人公は異常な状態にあったり異常な事をしていても自分がそれを自然だと考えていれば、語りは自然なところから入れます。異常なものが読書には見えませんから。例えば主人公が鉄板の上で肉を焼いていて良い匂いがしてきたと言います。串で持ち上げて焼け具合を見ています。美味そうです。ここまでは普通に家にベランダで焼肉でもしていると思われます。
 すると突然、大きな音とともにドアを壊して何人かが部屋に押し入って来ます。「警察だ、そこ動くな!」(あれ、この人犯罪者だったの?) 主人公は逃げようとして慌てて何かに躓いて倒れます。主人公は床に転がってある物を目にします。死体の目が開いていてほんの数センチ先からこちらを見ていました。「実はね」となります。

 だからそこまで部屋の様子もそうなった経緯も何も描かないのです。そうすると自然な始まりが実はそうじゃなかったと振り返ってわかります。途中でそれが急に変わるのです。私のように説明したくない病人には合っている書き方かな?と思ったり。


タイトル画像は「青いご飯」です。綺麗でしょ? えっ?、食べられない物か絵の具で色? いえ、私の今日の朝食ですよ。

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