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理由が無い事・スピリチュアル(小説ネタ)

 昨日の記事は少し刺激的だったので(たぶん文章でなくて用語が)18禁になってしまいました。解除申請もできるらしいのですが、それはしません。別に子供に読んで欲しいとは思いませんから。

 さて、今日はちょっと悩みながらスピリチュアルに関するところを文章にしています。何を隠そう、別に隠してはいませんが、昔むかし、私はある女性とお付き合いしました。(フラれましたけど。) そんなに長い時間ではありませんでしたが、言葉の往復はかなりありました。何しろその時点では今のようにインターネット接続が東南アジアの村々までというわけにはいかず、手で書いた手紙を往復させる必要があったからです。

 その女性はスピリチュアルにとても興味ある人でした。私は特に興味があったわけではありませんが、それに興味ある人がなぜか周囲に多くいて、暇だった事もあって借りて本をよく読みました。「アルケミスト」「アウト・オン・ア・リム」「聖なる予言」「ONE」ライアル・ワトソン氏の本なども数冊読みました。(でもこれはスピリチュアルの為に書かれていなかった。誤解です。)後何だっけ? とにかく、今から見ればスピリチュアルの古典のような本ばかり読みました。

 私はもともと、そして今も技術系の人間なので、そうしたものと親和性があるかというと頭の中はそうでもありません。けっこう分析的に読んでしまいます。ですが、逆にその方がわかる事も多いようで、こっちの本の内容とあっちの本の内容の違いや矛盾や論点の違いのような事がよくわかります。それに体系的な事をしらべなくてもどの本が別のどれとか誰とかを参照して言っているとか、割と幼稚な理解でわかったフリしているなとかもわかったりします。でもね、スピリチュアルを否定したりは絶対にしません。だってわからない事は科学にだってたくさんあるわけですし、とくに工学分野では理由なんかわからんくてもとりあえず生産してお金にしないといけない事は日常茶飯事ですから。世の中そんな感じでけっこうイイカゲンにできているのです。スピリチュアルがどれだけ適当であっても、それはそれです。

 話は反れましたが、私はスピリチュアルの女性とお付き合いしていました。(話はそこまで戻ります。) もちろん深い関係になりました。それで一番わかったのは「理由が要らない」という事だったと思います。

 いろいろな事、全てに原因と結果や理由を考えてしまうのが人間の性質なのか、それとも教育の成果なのかわかりませんが、そうしてしまいます。でも、理由が無い事ってけっこうあるものです。例えば、鼻歌が時々出てしまう人がいると思いますが、そんなのは気分だけの問題でたいした理由はありません。そして理由の無い事を人はだいたい無視して生きているのでそれに気づきません。理由がありそうな事だけ、そしてその理由付けが簡単そうなものだけに無意識に理由を求めます。それは物事にとってとてもフェアな態度じゃありません。(物事に人格があればですが。)つまり人間のそんな脳の使い方自体なイイカゲンなので、誰かがスピリチュアル大好きでイイカゲンそうな事を言っていてもそれを批判したり間違いを修正する必要は無いのです。

 楽しければ良い、それで幸せを感じられるなら良いのです。

 今日もちょっと下描きの一部を載せようと思ったのですが、今日は無しにさせてください。そのうち書きますけれど。今日はあまり内容が無くてごめんなさい。




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