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特急・古代への旅 1

その1
サンライズ出雲


 東京駅9番線、夜10時前。

まだ通勤客や酔客でざわめく広い駅構内のなかで、この時間帯のこのホームだけは、新幹線が失ってしまった懐かしい「旅情」が、ほんの少し漂っている。

エンジ色とアイボリーに塗り分けられた寝台特急電車「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」の16輌編成が、静かに横たわっている。

2007年までは、同じホームから30分前に、ブルートレインの寝台特急「出雲」が発車していた。

京都から山陰本線を夜通しヒタ走ったブルートレイン、「出雲」。

それに対し、この後発の電車寝台特急は、岡山でサンライズ瀬戸の8輌と別れると、伯備線山越えルートを北上、中国山地を一気に駆け登り駆け降り、出雲へと向かうのである。

そしてめざす出雲には、ブルートレインより30分も早く到着してしまう。

夜行列車の旅情より、サンライズ目指して疾走する、実務的な寝台特急であった。

しかし、2009年の春に消えた「富士・はやぶさ」を最後に、東京駅にはもうブルートレインの姿はない。

サンライズ出雲は、歴史ある東海道本線最後の寝台特急となった。

 

 

 21時50分、サンライズ出雲は東京駅を静かに発車した。

有楽町、新橋と、さざめく大都会のきらめきを車窓に映しながら、夜の東海道を軽快に走りだす。

ブルートレインがひしめいていた田町の東京運転所、その荒涼とした線路群が、いまや高輪ゲートウエーの駅となって車窓をかすめる。

品川のホテル群の光に、しばし都会の日常との別れを告げて、列車は夜のしじまに向かって旅立って行く。

家路に向かう人々でいっぱいの横浜駅を出た頃から、ようやく夜行列車の風情が心に沁みてくる。

レールの響き、思い出したように窓を飛んで行く灯、フェイドイン、フェイドアウトしてゆく踏切の音色。鉄道の旅はいいものだとしみじみ思う。

新幹線では決して味わえない「旅路」がはじまった。

日本の古代は謎に満ちている。
私たちの日本の成り立ちと始まりはどのようなものだったのか。
その謎を解き明かす旅へと出発する。

日付をまたいで、深夜の東海道本線を快適に進む。

この列車はほぼ全車が個室寝台なので、何にも煩わされることなく、線路と小さなモーター音だけの世界に浸ることができる。

うつらうつらしながら沼津、静岡、浜松と過ぎると、意外なほどあっさりと名古屋に着く。

新幹線では少々退屈する東京・名古屋間が、この在来線の列車では、かえって早く着いた感じがするのは何故だろう。

時刻表では名古屋は通過駅扱いだが、みんなが寝ている間に一休み、乗務員交代という風情。

新幹線のホームからの見慣れた風景と違い、在来線のホームから見る名古屋駅は、まさに堂々たる風格ある大ステーションである。

 

京都で、かつてブルートレインの出雲が向かった山陰本線を見送り、サンライズ出雲は大阪、神戸へと東海道・山陽本線をひた走る。

 

夜明けだ。

夜を徹して走り続けた、わが列車が愛おしい。

岡山で、瀬戸大橋を渡って高松へ向かうサンライズ瀬戸とお別れ。ちょっと寂しくなった八輌で、暁の備中路を進む。

ポイントの音を響かせ、倉敷で山陽本線から一気に方角を北へ変えると、伯備線の山越えに挑む。

岡山からこの間は、古代の吉備王権の地である。大和をしのぐ強大な勢力を誇ったといわれる土地だ。

次第に深く中国山地に分け入って行く。上りカーブをうねうねと、朝露に湿った線路をきしませながら登る。夜の東海道・山陽路を走り抜いた車両を、いたわってやりたくなるような試練の山道。

備中高梁、新見と、未だ目覚めぬ中国山地の要衝を過ぎ、峯伝いに津山・鳥取へ向かう姫新線と別れ、上り詰めると、その名も備後神代。単線ですれ違う交換列車を待つ。

朝霧深い木々の隙き間から、山中を広島からやってきた芸備線の線路が現れる。よくぞこの山奥で鉄路同士を結び合った、という感慨が湧く。

眠ったような駅の苔むしたホームを離れると、いよいよ列車は出雲の山々へと入って行く。

車窓から見上げる山々は、鬱蒼として朝靄にかすみ、折り重なって現れる峰々には、立ちのぼる雲が幾重にも湧きあがっている。軽快なモーター音を響かせていた現代の特急電車も、この荘厳な山々の光景を前に、沈黙して音もなく進んでゆく。

神々しい、「八雲立つ出雲」という言葉が自然に浮かんでくる。

 

昨夜、近代都市・東京を出発した一本の列車は、いま、出雲の朝の光と雲に包まれた小さな存在となって、畏れるように神々の国へと向かってゆく。そんな幻想にかられる山々。

谷田峠を越え、川の流れが正反対に変わる。日本海へ向かって流れる日野川沿いに坂を下ると、米子である。右側車窓いっぱいに、朝の太陽を背にした雄大な大山がひろがる。

山陰本線と再会し、安来節の安来を通り、松江を過ぎると右側に宍道湖が開ける。

夕陽が名物の宍道湖は、シジミ漁で名高い。中海の干拓計画で死滅が心配されたが、人々の反対で中止になり生き残った。

湖の向こうに島根半島の山々が見える。東は美保岬から、西の出雲大社へ連なるこの半島は、古代は島で、中海や宍道湖は入海だった。

出雲の地にぽっかり浮かんだ細長い島。「国引き神話」は、この地形から生まれた。

大山と三瓶山をクイにして、新羅や越の余った土地を八束水臣津野命が引っ張って国を作ったという。

国引きの話は、出雲風土記に書かれ、日本書紀や古事記には載っていない。何故だろう。

そうした謎はこの旅のなかで解けるだろうか。

 

朝の光が夜行列車の客の目にまぶしい。

豊かな田園と朝靄に浮かぶ神奈備(かんなび)の仏経山。そして奥出雲の山々。

山々は沸き立つ雲に包まれている。

この車窓を眺めていると、なぜ「出雲」と呼ぶのか、何故その枕詞が「八雲立つ」なのか、何の説明もいらない。現場に立つことは、それゆえに大事だ。

 まもなく終点の出雲市、列車は大きな鉄橋の響きに包まれる。

八雲立つ山々の奥から、滔々(とうとう)と大蛇の如く流れ下る大河。朝日がまばゆく川面に輝く大河。「斐伊川」である。

日本に川の数は多いが、これほどの川らしい川の風景を、筆者は未だかつて見たことがない。

斐伊川鉄橋の風景は、それほどに感動的だ。

ベージュと赤茶けた広大な砂川原。幾筋もうねる川筋。その源の方角の荘厳な出雲の山々。

まさに、大蛇がのたうち、うねるが如き斐伊川。

暴れ川である。古代、この川は、島根半島が地続きとなるほどの土砂を押し流しながら、現在の神西湖あたりから日本海へ直接流れ込んでいた。

その後、度重なる洪水で、流れはのたうち、ついに現在の宍道湖へ注ぐ川筋ができた。

宍道湖の北側を走って出雲大社と松江を結ぶ一畑電鉄、その線路に沿って、今でも見上げるほどの堤防が延々と続いている。

赤茶けた土砂は、豊かな稲を産む豊穣な平野を作った。そして鉄を作った。

しかし古代から人々は、荒れ狂う洪水に作物を、愛する人を流され苦しんだ。

斐伊川はまさに、出雲の人々にとって、大蛇なのである。

こう書けば、思い当たる方は多いと思う。

そう、「ヤマタノオロチ」である。

スサノオが出雲に降臨して退治したというヤマタノオロチの一つの具象とは、暴れる斐伊川の姿なのであろう。

午前9時58分、サンライズ出雲、終点出雲市着。12時間の夢の旅であった。

 

私たちの古代の旅は、いよいよここから始まる。

 

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