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ありがとうは言わない。Vol.40

20年前、千葉みやげなんだから千葉県産のもので
商品開発をしたいと手を挙げた。
「ただでさえ国産のものは高いのに千葉県産になったら商品は今の価格の3倍以上だから売れないに決まっている」と言われた。


工場に千葉県産に原料を変えたいと打診しても取り合ってすらもらえなかった。
生産者のところに行くと「生でだいたい売れるから加工にまわすもんなんてないよ」とあしらわれた。


房の駅の店頭に意気込みを込めて、
「ちば どっさり うまいもの」という
のぼり旗を掲げた。
すると数日すると
全部が千葉県産じゃないのに
あんな のぼり旗を掲げるなと
抗議?の電話がきた。
お店は自分の理想を掲げる場所ではない。
お客様は待ってくれないと痛感した。


悔しかったけど のぼり旗を店頭からさげた。
正直、味方は1人もいないと思った。


じゃあやってやろうじゃないか。
と火がついた。


いきなり千葉県産100%なんて無理だ。
1ミリずつ
いや0.00000000000000000000001ミリずつぐらい。モノゴトは変わっていく。


資金力もなければ経験値もない。
味も普通。パッケージは印刷袋をつくれる予算もないからシールでちょんと貼っただけだ。商品名も普通。そもそもデザインする力なんてゼロだ。


150を超える工場まわり。自分の顔を売りまくった。わからないことだらけだったけど 気がつくと千葉県産の商品は100品を超えた。でも千葉県産にしたからといって売れるわけじゃない。大ヒット商品なんて一品もなかった。



そして18年前に
現戦略本部広告広報課 課長
「柴崎洋一」通称キャプテンに出会った。

歳は自分の7つ上。
チラシ作成などのデザイン会社で働いていた。
気合いと根性しかなかった自分は
キャプテンと出会い
わからないことをちゃんと聞くということを
教えられた。
そして工場をまわることや
農家をまわることの楽しみを知った。
そして広告が大切なこと、
商品の魅せ方が重要なことを
気づかされていった。


そしてキャプテンは自分からの幾度の誘いで
うちに入社することが決まった。


入社してくれたのが本当に嬉しかったのを
昨日のように覚えてる。
だって神社に行って「神様ありがとう」と
手を合わせにいったぐらいだから。



入社後のある日、カメラマンとキャプテン、
自分の3人でカタログの商品撮影500品、
1日で5000枚、3日で15000枚を撮影した。
3日間の徹夜だった。
見よう見まねで手伝ってるうちに
自分たちでやれるんじゃね?と
その翌日に一眼レフのカメラを自腹で買った。
おもちゃを買ってもらった子どものように
2人ではしゃいだ。


そしてキャプテンのカメラ技術は
それ以降、パッケージ写真、チラシ写真、
ホームページ、販促物作成の上で
やますにとって欠くことができない宝になった。


キャッチコピーや広告の議論で
2人で何度、徹夜をしただろうか。
傷つく言葉を何度ぶつけただろうか。
どれだけ夢や想いを真剣に語り合っただろうか。
どれだけ悪役になってもらっただろうか。
怒られ役もいつもキャプテンだ。
部下でありながら兄のような存在だ。


もし諏訪聖二の仕事人生で1番、影響を
与えた人は誰ですか?と問われたら
笑いは一切なしで
「キャプテン」と答えると決まっている。
それぐらいの出会いだった。
でも感謝なんて絶対しないし、ありがとうなんて
一生言わない。そこには超越する絆があるから。

商品開発は思うようにいかないことばかりだ。
でも報われるとか
報われないとか そんなレベルで仕事はしない。
最高の仲間たちとつくって
最高の仲間たちと売る。

「やますの商品開発」はこうやって
何1つ欠くことができないパズルでできあがっていく。
そして理想完結にはパズルがもう2つ必要なんだ。
やがて必ず来る2つのピースが揃ったとき
やますの商品は全商品、千葉県産になる。

まだまだこれから‼️


『諏訪聖二流、商品開発』
Vol.31-Vol.40(全10話)


諏訪聖二流、商品開発 
全10話を最後まで購読いただきありがとうございました。あいかわらず読みづらい文章ですみません🙇‍♂️ やますの商品開発に対する想いが少しでも伝えることができていたら嬉しいです。理想までは程遠く何十年かかるかもしれませんがお客様にとって理想の商品を追いかけていきますので今後ともよろしくお願いします。

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