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アホかお前アホだろ。Vol.11

部門の垣根の越え方を知った自分はスーパーの枠にとらわれないことをしようと思いついた。シーゾナルバイヤーという権限をもらっていた自分は全国の駅弁や空弁、全国の銘菓を仕入れ、限定販売をする計画をはじめる。小さいお店で店長的な仕事を小さいながらさせてもらったことも礎になり、1チーフでありながら縦横無尽に動くことができた。


商品が届いたら売場づくりのはじまりだ。
売場づくりにはお金がかかる。
当時、各部門のチーフには自由に使える経費が毎月2万円あった。 
当時、自分が住んでいた場所が浅草上野だったので合羽橋道具街が近かった。装飾にあれもほしい、これもほしいと ついつい予算がオーバーして自腹が連発した。予算内じゃ自分がやりたい売場ができなかった。でも できた売場は毎回、なんとも言えない充実感だった。


給与をどんどん突っ込むからお金はどんどんなくなった。遊ぶお金なんて1円もなかった。


そんなあるとき業績が良かった自分にボーナスがでた。迷いはなかった。全額、冷凍食品コーナーの平台の冷凍ショーケースの上に15メートルの棚2本を購入した。初任給4ヶ月分全額突っ込んだ。


店長もまわりのチーフもまさか 自腹なんておもってない。こういうのって大きな会社になると誰に決定権があるかわからないから 請求書がない限りみんな誰かが許可だしたんだろうと詮索しない笑。


売上は過去最高になり1部門でありながら7億を大きく超えた。


ところが例の社長訪問でバレた。
そりゃそうだ。何もなかったところに棚が2段できてるんだから売場の景色は一変していた。ある日突然 平な場所に山と川と滝が現れた感じだ。「誰がこんな大胆なことに許可を出したんだ?」という社長からの質問に誰も答えられない。モゴモゴしてる自分の顔をみて社長はすぐに気づいた。「アホか お前アホだろ」と涙ぐみながら言われた。そして頭をはたかれた。


翌日、自分の口座にボーナス以上のお金が振り込まれた。


そして社長からお前の実家に挨拶に行くと言われた。実家は諏訪商店。卸問屋。創業30年。次男坊。「後を継ぐ気はあるのか?」と問われた。


実はその1ヶ月前に父親と話す機会があり、スーパーの仕事が天職だとおもった自分は「諏訪商店に戻る気はないけど大丈夫かな?」と父に伝えた。父は一瞬の迷いもなく お兄ちゃんがいるから大丈夫だと自分に返した。


だから自分は一瞬の迷いもなく
社長に実家に「もどることはないし継ぐ気はありません」と言い切った。


そして後日、社長のベンツに乗り 父親と母親が待つ実家に挨拶に行くことになった。まるで結婚の挨拶みたいな状況になった笑



諏訪聖二 房の駅を立ち上げるまで
あと8ヶ月。

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