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ヘドロのように沈殿し続ける傷、それが性被害


性被害の実情


みんさん突然ですが、90:10と85:15、これらの比率が何を表すものかご存知だろうか。この数値を見てぴーん来た方は相当日頃から感度が高いの証拠だ。
これは、性被害と加害者を表した比率である。
性被害に合う90%が女性で、加害者の85%が男性だ。


詳しくはこちらの動画を見てほしい。この動画を見て私も感化され、なにかできることがあるだろうとこの記事を書こうと思った。
私は男性であるが、男性と女性から性被害を何度も受けたことがある。先程の数値から言うとかなり稀有な体験をしている。では、その時何を感じ、何を思ったのか。そして、今はその経験を通じてどのような教訓があるのか。今回はそのことを伝えていきたい。

私の初体験


最初に被害にあったのは17歳の夏の日であった。この日は部活の遠征で茨城県に行っていた。東京へと向かう上り列車の中で、私は練習試合の疲れもあり、手すりに腕をかけながらうとうととうたた寝をしていた。
うたた寝をしていると、隣に座る人がいてやたらと私の方に詰めてくる人がいた。
「おっといかんいかん。ローカル路線とは言え混んできたか」
と思い、私も姿勢を正しながら周囲を見渡すとがらんがらんだった。
「あれ? 空いてるぞ? なんでこの人はこんなに詰めてくるんだ?」。
視線を感じたので、私の正面の席に目を向けると同級生二人がニヤニヤしていた。
「何がおかしいだろう?」
私の頭は混乱していたが、だんだんと目が覚めてくると実態が分かった。
席を詰められていると感じた正体は、となりに座ったおっちゃんが私の乳首あたりをずーとさすっていたのだ!
「????✕100個くらい」
何が起きているのだ。頭が真っ白で状況がまだ読み込めない。
「待て待て、一旦落ち着こう。この人は男性で、僕も男だ。現に坊主頭で学ランを着ているし、女性と間違えているわけではなさそうだ」。
私の中でどこか、痴漢は女性にするものという変な固定観念があった。しかし、それがものの見事に崩れ去ったのだ。
混乱状態から自体を把握した私であったが、次第に怖くなった。
「勘弁してくれ、早く降りてくれ、それか二人(同級生のこと)助けてー。せめて息子のだけは勘弁して-」と願い、耐え忍ぶことしかできなかった。そんな私が唯一取れた行動は、手すりをにらみつけることだった。
当然、怒りの顔をおっちゃんが見るわけもない。私が無言でいると次におっちゃんの手は胸から私の息子付近へ移動し始めた。この時、ニヤニヤしていた同級生たちが声を出して爆笑し始めた。
この声を聞いておっちゃんははっとして、ごめんな、と一言を言ってそそくさと駅に降りていく。
「やっと終わってくれた。あれ以上我慢していたらズボンの中に手を入れられたかもしれない」。
私には恐怖が残っていた。
その様子を見ていた二人は私にこんな言葉をかけてくれた。
「なんか一言くらい言えばいいのに、本当に情けないヤツ」、
「だからレギュラーも取れないんだよ。本当にだめなヤツだな-」。
「うん? 悪いのは僕なのか」。 
想定とは違った言葉に驚きながら、当時の私は自分のことを疑問に思った。

次の日には電車でのできごとが学年中に広まっていた。男子校に通っていたためか、痴漢にあっている中で何もできなかった私に向けて非難の声が集まった。情けない、ださいということを言う同級生ばかりで、慰めや同情の言葉は一言もなかった。
そこで私は
「そうだよな、部活で空手をやっているんだから、せめて一発くらいパンチしろよな。自分はだめなんだな-」
と疑問が確信に変わり、痴漢されている中で何にもできない情けない奴、悪いのは自分、と私は自分のことを攻め続けた。
この話題は次の日には消えていたが、私には消えない思い出が一つ出来、見たくないから心の奥底に隠すことにした。

沈殿した記憶が呼び起こされる


自分に自信を持てない私であったが、一浪をして大学に入学することができた。ただ、残念ながら希望の大学とは違い、電車で1.5hほどかけて通わないと行けないところしか、受からなかった。
それでも嬉しかった。今思うと完全になめているが、当時の私は大学=自由、大学=人生の夏休みという認識でいた。
加えて、高校時代はずーと坊主だったため、髪の毛を染めたい気持ちが強く、まずは茶髪から始めた。その後もいろいろな色を試した。自分で言うのも何だが、肌の色が白いため明るい髪は非常に似合っていたと思う。
髪を染めてからはよくハーフに間違われるようになったし、外国の方に道を聞かれることも多くなった。その度にボディランゲージで対応していた。
このことは人生であまり褒めて来られなかった私にとって嬉しかった。

しかし、心の奥底に沈殿していた記憶が19歳の暑い夏の日にに掘り起こされた。いつもどおり満員電車に揺られていると、コツンコツンと私のお尻に誰かの手があたる感触がする。
「まぁこんなに人がいたらそうなるよなー。中野~新宿区間は超満員区間だし」。
と思い、私は向きを変えてみた。
するとコツンコツンとあたっていた手は、スス、ササとお尻を撫でるように変化する。
「まぁこの辺はゆれるからなー」
と鈍感な私。いや怖いからあえて勘違いと思いたい私。
でも、男性らしき手はだんだんと力強くなり、
「新宿~、新宿~」とアナウンスが入ると同時に、モミモミとお尻を力強くもまれる。
私は電車が止まるとダッシュで逃げることが精一杯だったのだ。
何も出来ない私はターゲットにされたのか、別の日にはおそらく別の男性から背中に手を入れられる。汗ばんでるのに気持ち悪くないのだろうかと思っていた。また別の日には別の男性から息子を触られるなど、毎週いろんな人に身体のありとあらゆる部位を触られた。
高校時代でこりた私は、周囲に言うことを避けた。高校生のようにひとから蔑まされるのが、怖かったのだ。そして、我慢を繰り返しては、自分を攻めた。その度にだめな自分と自分を責めた。大学デビューで浮かれていた私の自尊感情はずたぼろになった。
5~6回目を越えた辺りだろう、満員電車に乗ることを辞めた。そう、痴漢に立ち向かうのではなく、逃げた。勇気を持つことができなかったので、当時はそれ以外考えられなかったと思う。

加害者に性別は関係ない


満員電車に乗らなくなったおかげで、男性からの痴漢被害はなくなった。一安心である。またいましい記憶を沈殿させることができたと思いきやすぐに掘り起こされる。今度は女性からの痴女被害である。
人があまり乗っていない総武線にゆられてうつらうつらとしていると、隣にすらっとした女性が座った。
「空席も多いのになんでわざわざ?」
と私は少し疑問に思ったが、
「まぁ高校のときのようにおじさんじゃないし、大丈夫か」と思った。
するとあの日と違い、お姉さまは積極的に顔で何かをアピールし始める。
今だったら何をアピールしているか分かるが、当時まだ魔法使いになると思っていた私には、何がなんだかわからなかった。
じれったくなったのか、今度は胸を私の腕に押し付けて来て、最終的には息子付近に手が伸びる。
「やばい!あの時と一緒だ!!」
と危機をやっと察知した私は、いつも通りダッシュで電車を降りた。
このとき私は初めて、男性以外にも気をつけないといけないことを知った。

その後も痴漢、痴女の被害にあっては逃げるを繰り返した。
傾向を分析すると、痴漢は基本的に身体を触る事が多く、自分の性器を当ててくることはなかった。
痴女の場合は基本的に自分の胸や陰部を当ててくることが多く、その後私の性器を触ろうとすることが多かった。
ある程度傾向が分かってくると危機察知能力が高まり、危険な場所や人には近づかないようにした。
特に人の方は、なんとなくこの人怪しいなというのが分かるようになった。年齢、性別、見た目には共通しているところはあまりなく、なんとな雰囲気というかオーラが違うのである。
自分で対策を考えたため、加えて、怪しい人を見極めることができるようになり、だめな自分と責めることが少なくなった。

みんなで撲滅しこう


冒頭の映像のように、おそらく今でもいろんな場所で性被害が起きているのだと思う。
性被害は被害者の身体を傷つけるだけでなく、多くの場合心を痛める。これが一番問題である。身体の傷は癒えるが、心の傷は癒えるかどうかが分からない。むしろ、心の奥底にヘドロのように沈殿し続ける。
この傷を癒やすには、この経験を含めて自分のことを愛せるかどうかである。そのためにも、良き理解者が必要である。
そして何より、映像のように、周囲者が一言声をあげるだけで、被害を未然に防ぐことができる。加害者のほとんどは、卑怯で小心者だ。
やる方は一瞬の快楽を得て、受ける方は永くなりづらい苦悩をえることになる。
こんな犯罪は撲滅していきたい。私も性被害を少しでも減らしたいと思い、動画の共有と私の経験を吐露することにした。
みなさんも良ければ、動画を拡散してほしい。






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