和田誠司

株式会社ジェイフィール コンサルタント兼広報・マーケティングデザイナー 株式会社タナベ…

和田誠司

株式会社ジェイフィール コンサルタント兼広報・マーケティングデザイナー 株式会社タナベ経営にて、SPデザインコンサルタントとして、企業成長に向けたイベント企画、マーケティング支援を経て現職。 東京理科大学大学院イノベーション研究科修士課程修了、技術経営修士。

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最近の記事

ヘドロのように沈殿し続ける傷、それが性被害

性被害の実情 みんさん突然ですが、90:10と85:15、これらの比率が何を表すものかご存知だろうか。この数値を見てぴーん来た方は相当日頃から感度が高いの証拠だ。 これは、性被害と加害者を表した比率である。 性被害に合う90%が女性で、加害者の85%が男性だ。 詳しくはこちらの動画を見てほしい。この動画を見て私も感化され、なにかできることがあるだろうとこの記事を書こうと思った。 私は男性であるが、男性と女性から性被害を何度も受けたことがある。先程の数値から言うとかなり稀有

    • 渋沢栄一が最期に期待したこと

      渋沢栄一の生涯をたどる旅もいよいよ最後となった。これまで連載を読んでいただいた皆さんに心から謝意を伝える。 私の中でどこか彼の物語を終わらせたくないという思いがあり、なかなか筆を起こす気になれなかった。人生には始まりがあれば、終わりがある。本稿では、彼の最期の時をご一緒頂ければ幸いである。 彼は1909年に第一銀行頭取と東京貯蓄銀行取締役会長を除き、企業の相談役や監査役の職を辞した。その後、1916年それらの職も辞し、完全に実業界を引退する。ではなぜ、1909年に事実上、実

      • 渋沢栄一の人材育成

        社会貢献につながるさまざまな活動に積極的だった栄一は、人材育成についても余念がなかった。名プレーヤー必ずしも名監督(=育成者)にあらずとよく耳にするが、栄一の場合は違ったと言えるだろう。彼は、人材育成にも積極的だった。有名な話として、栄一は面会を求められれば必ず会って話をしていた。そんな栄一に周囲の人は、全員に会わなくても良いのではないかと助言する人も少なくなかったそうだが、彼は生涯にわたり面会を続けた。その意図を彼はこう綴っている。 「知人であろうがなかろうが、自分に差し支

        • SDG'sの先駆者、渋沢栄一

          前回は渋沢栄一が、コネクティングリーダー、つなぐリーダーシップを発揮して社会の発展に貢献し続けていたと紹介した。栄一はコネクティングリーダーとして、社会公共事業の発展にも大きく貢献した。今、達成に向け世界中が動いているSDG’S。彼はそんな言葉もない時代から、もっと言うと社会公共事業という言葉がない中で、創り、貢献し続けてきた。つまり、SDG’Sのパイオニアと言っても過言ではない。 まず、功績を簡単にご紹介すると、驚くべきはその数と種類の多さである。栄一が携わった社会公共事

        ヘドロのように沈殿し続ける傷、それが性被害

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        • 渋沢栄一×組織、人材開発
          8本

        記事

          渋沢栄一から学ぶ、コネクティングリーダーシップ

          前回は渋沢栄一と岩崎弥太郎の思想の違いから見える、異なるリーダーシップスタイルについて探求をし、その中で、渋沢栄一は横のリーダーシップ、岩崎弥太郎は縦のリーダーシップを発揮していたと説明した。 彼が発揮した横のリーダーシップ、コネクティングリーダーシップは、数々の歴史的な事業家、社会や世論、ひいては世界とつながるようになる。その育まれ方と実績を詳しく見ていき、一緒に彼が生きた世界を味わってみたい。 これまでの連載で渋沢栄一の半生を追ってきたことで、彼の歩んだ道筋がコネクティ

          渋沢栄一から学ぶ、コネクティングリーダーシップ

          渋沢栄一と岩崎弥太郎の思想の違いから見るリーダーシップ

          (今回はやや長文となっていますが、最後までお読み頂けますと幸いです) 前回は栄一がどのように立志をしたのか、を探求していった。その中で、栄一はヨーロッパ視察を経て、「合本主義」を考察したとお伝えした。今回は栄一が最も大切にした考え、価値観である「合本主義」について、探求をしていく。 「合本主義」とよく対比されるものが「専制主義」である。独裁主義と言われることも多い。言い換えると、カリスマ型リーダーがビジョンを描き、フォロアーがそれに従い動くという考えである。専制主義をとっ

          渋沢栄一と岩崎弥太郎の思想の違いから見るリーダーシップ

          渋沢栄一はどのように志を立てたのか?

          本シリーズを読んでくださっている方から、 「毎回楽しく読んでいます。示唆に富んでいて勉強になります」 とコメントをいただいた。大変ありがたい。そんな方々のためにも、書き続けたいと思う。 前回は、渋沢栄一がいかにしてグローバルな視点で考えられるようになったのか、その軌跡を追った。今回は、「いかにして栄一の大義、信念が生まれたのか」をテーマに探求する。 栄一は大義のことを「大きな志」「立志」と言っていた。彼が立志してからは、ブレずに行動し続け、日本の資本主義の父と呼ばれるまで

          渋沢栄一はどのように志を立てたのか?

          渋沢栄一流グローバル視野の育み方

          前回「渋沢栄一と喜作の比較」を書いたところ反響をいただいた。お声を寄せて下った皆さんに感謝を申し上げたい。その方々のためにも、本シリーズを10本ほど書いてみようと思う。テーマは「渋沢栄一×組織・人材開発」である。 渋沢栄一の生涯をたどり、名言をまとめたものや経済的な視点で分析をされた著書は数多く存在する。ただ、組織開発や人材開発の視点で分析を試みた著書はあまり存在しない。 なので、栄一の学びを組織開発、人材開発でどう活かせるのかを本シーズでは探求していく。 前回は渋沢栄一の

          渋沢栄一流グローバル視野の育み方

          渋沢栄一と喜作を分けたものとは

          3月の期末面談で取締役から 「渋沢栄一の大河ドラマが始まっているのに、和田さんは何か発信しないの? 大学院で学んだことを活かすチャンスじゃないか!」 と言われて、目が覚めた。 そうであった、私は伊丹敬之教授の厳しい指導のもと、修士論文を書き上げるために、渋沢栄一の研究をしていた。なんともったいないことをした、と思うと同時に書きたいものがこみ上げて来た。なので、渋沢研究を活かし、いくつか書き上げてみようと思う。 ちなみに、多少のネタバレが含まれているが、ご容赦頂きたい。 渋沢

          渋沢栄一と喜作を分けたものとは