渋沢栄一の人材育成
社会貢献につながるさまざまな活動に積極的だった栄一は、人材育成についても余念がなかった。名プレーヤー必ずしも名監督(=育成者)にあらずとよく耳にするが、栄一の場合は違ったと言えるだろう。彼は、人材育成にも積極的だった。有名な話として、栄一は面会を求められれば必ず会って話をしていた。そんな栄一に周囲の人は、全員に会わなくても良いのではないかと助言する人も少なくなかったそうだが、彼は生涯にわたり面会を続けた。その意図を彼はこう綴っている。
「知人であろうがなかろうが、自分に差し支えがなければ、必ず面会をして先方の注文と希望を聞く。そして、来訪者の希望が道徳にかなっていると思える場合は、相手がどのような人間でも、その人の希望をかなえてやる。(中略)もし面会を謝絶したり、手紙を見なかったりすれば、私の普段からの主義に反する行為になる」。※1
手紙をすべて読み差出人が書いてあれば、必ず返信したというから、国家への貢献のために、人材を探し続ける姿には感服するばかりだ。ちなみに、面会者の中で、本当に道徳にかなっていると思える話は1%ほどと述べているので、彼は効率より可能性を重視していたのだろう。栄一の良き人材を探す気概が見て取れる。
なぜ彼が見ず知らずの人物と面会をしていたのか、それにはもう一つ理由がある。私が考えるに、彼の人材育成の信念である「自ら箸を取れ」が影響していた。言い換えると、「自ら機会を得るために、行動せよ」だろう。よって、自ら箸を取りに来た面会者を無下にすることはなかった。まさに知行合一をしていたわけだ。
この「自ら箸を取れ」について、詳しくみていきたい。
「青年たちのなかには、大いに仕事がしたいのに、頼れる人がいないとか、応援してくれる人がいない、見てくれる人がいないと嘆くものがいる。(中略)しかしそれは普通以下の人の話で、もしその人に手腕があり、優れた頭脳があれば、たとえ若いうちから有力な知り合いや親類がいなくても、世間がほっておくものではない」※1と前段で述べている。私も書いていて耳が痛いが、栄一が青年と言っている就職活動生のときは、恥ずかしながら、自分の出身校に対する愚痴を言っていた。
栄一は続けてこう述べる。「人材登用のお膳立てをして、(中略)この用意を食べるかどうかは箸を取る人の気持ち次第でしかない。ご馳走の献立をつくったうえに、それを口に運んでやるほど先輩や世の中はヒマではないのだ。(中略)何かひとつ仕事をしてやろうとする者は、自分で箸を取らなければダメなのだ」
自ら機会をつくる重要性を述べている。実際栄一は幕臣時代に建白につぐ建白で徳川慶喜の心を掴み、ヨーロッパ留学に同行したことは以前に紹介した。彼は青年時代に自ら箸を取り続けたわけだ。
そうはいっても今の環境では無理だ、と思われている方も少なくないだろうが、安心してほしい。そんな人達のために、栄一は続けてこう述べている。『たとえ自分は、「今よりもっと大きなことをする人間だ」と思っていても、その大きなことは微々たるものを集積したもの。どんな場合も、些細なことを軽蔑することなく、勤勉に、忠実に、誠意をこめて完全にやり遂げようとすべきなのだ』。
私も、未だに自分の置かれている環境に、ついつい愚痴を言ってしまっている。栄一から言わせれば、愚痴を言うくらいであれば、自分を磨け、ということだろう。反省である。
このような言葉の通り自ら箸を取り、栄一に認められた人物の1人として、浅野総一郎がいる。浅野は当時ゴミとしか思われていなかったコークスを、見事にセメントの材料にしたことで、巨万の富を得たと言われている。ある日、そのコークスを集めている姿が栄一の目に止まった。何せ処分に困るし、人体に触れるとかぶれなどを起こすやっかいものをせっせと集めているのだから、それは珍しかったのだろう。その当時の栄一は実業家として知らない人はいないほど有名であった。一青年だった浅野からすれば、雲の上のような存在である。しかし、浅野は栄一の呼びかけに物怖じせず、「世間がゴミとおもっているものに商機がある」や「睡眠を4時間以上取ると、人間はアホになる」という旨のことをきっぱりと述べた。そうすると、栄一は「私もアホということか?」と浅野に聞き「そうだ」と述べる。栄一はこのやり取りで、浅野のことを大変気に入ったそうだ。それから栄一は浅野の事業を手助けするようになる。栄一の助言や支援を受けた浅野は後にセメント王と呼ばれる。浅野は今ある仕事に手を抜くことなく、創意工夫をしたことで、栄一から事業の支援を受けるようになったわけで、まさに自ら箸を取った事例と言えよう。
もう一つ、栄一の人材育成で忘れてはならないのが、竜門会だ。浅野のように、自分で考えて行動をして、成長し続けられる人間はごく稀ではないだろうか。栄一は経営層から学生までが集い、教育や啓蒙を行う竜門会という組織を作り上げた。
「(活動の内容は)ほぼ一貫して毎月定例会が開かれ、会員相互の演説や識者の講演をふまえてお互いに意見交換することに活動の中心が置かれていた。(中略)講演内容として政府の経済政策、欧米や韓国などの経済・ビジネス事情(文化も含む)といったテーマが選ばれ、その講演に対しても比較的自由闊達な意見交換が行われていた」。※2()内は筆者加筆
「(ただ、栄一が実業界を引退してからは)経済道徳合一説を世にひろめるための会に性格が変更された」。※2このように、栄一は、人と人とのつながりや知恵の交流の中で、人材育成を行っていた。
自ら箸を取れ! と聞くと、いかにもハードでタフな人材を好んでいるように見えるが、そういう側面ばかりではないと思う。資本主義の競争に敗れてしまった人に対して、栄一はセーフティネットづくりに尽力していたことは、前回お伝えした。
栄一の人材育成を見てきて、まとめてみると以下のような構造が浮かび上がる。
セーフティネットの構築:頑張れない人を正常な状態に戻す。もしチャレンジが失敗しても再浮上するようにする。
↓
自ら箸を取る状態にする:竜門会など人のつながりと知恵の交流をする機関をつくる。
↓
自ら箸を取った人の支援:自ら箸を取りに来た人に、良い機会を提供する。また助言や金銭的支援を行う。
栄一はこのような流れを作ることで、日本に大志を抱き、行動する人を増やしたかったのではないだろうか。もしかしたら、この時代から日本人の構想力を問題視していたのかも知れない。
本稿では栄一の人材育成の信念である「自ら箸を取れ!」について見てきた。本稿の締めくくりとして、現代でも体現していると感じた人がいるので、紹介したい。
それは、日本最古のハンバーガーチェーンのドムドムバーガー社長、藤崎 忍氏である。彼女は専業主婦から社長になったという特異な経歴の持ち主である。彼女はドムドムバーガーへ転職する前に、飲食店を立ち上げている。その時も「見よう見まねで事業計画書を作って融資を受けた」※3と述べており、経営的な勉強をしたことは無かったのだ。
そのお店にドムドムバーガーの専務が通っていることがきっかけで、商品開発を手伝う。そのバーガーがヒットしたことで、転職することになる。この時、主婦の経験が役に立ったのだろう。
入社後、彼女はドムドムバーガーの経営状況を知り、愕然としたという。
「企業・事業再生への決意を固めた私は、(中略)役員に電話し『経営に参加させてほしい』と頼みこみましたが、当時はSVになりたてで数字も残しておらず、『それは無理だよ』と断られました」。※3
「しかしそれでも諦めず、何度も何度も問題点をまとめたレポートを役員に送り続けたある日、役員陣から呼び出しが。そこで 『代表取締役になってほしい』 と言われたのです」。※3
これは、栄一が慶喜に建白し続けた様子と重なる。まさに、自ら箸を取った事例ではないだろうか。
こういう話を紹介すると「この人は特別だから」など、他人を羨み、あきらめた声を良く耳にする。私は思考停止をする前に、自分の可能性に気がついてほしいと切に願う。
私は漫画が好きで、よく読んでいるが、最近は転生ものが数多く存在することに驚いている。転生ものとは、ほとんどが、現代でだめだめな主人公が来世や別世界に行き、活躍するというものである。このようなストーリーが共感されているということは、現代をあきらめているのではないかと一抹の淋しさを感じる。
あきらめる前に自分の可能性や力にを信じて箸を取ってみてはいかがだろうか。試しに、インターネットやyouTubeで自分が試したいことを検索してみると面白いと思う。無料で良質な教材が転がっている。現代は知識の共有財化がかなり進んでいる。前出の藤崎氏も、この共有財を活かして、起業につなげている。一人では難しければ、集まる場を探してみても良い、本当にたくさんのつながりがある。自分ひとりだけで箸を取り続ける必要はないのだ。年末年始にお休みを取る人は、その時間を何に使うか思案をしてみてはいかがだろうか。私は完全に門外漢であるプログラミングを勉強してみようかと思う。
この一年で「渋沢栄一×組織開発」というテーマでさまざまな探求を行ってきた。始まりがあれば終わりがある。次回は栄一の無念と共に、彼の最期を見ていこう。
筆者:
株式会社ジェイフィール
和田 誠司
引用文献:
※1:渋沢栄一、守谷淳訳『論語と算盤』
※2:島田昌和『渋沢栄一の企業者活動の研究』日本経済論社
※3:BIZHINT
参考図書:
城山三郎 『雄気堂々 上下』新潮文庫
渋沢栄一 『雨夜譚』岩波書店
木村昌人『渋沢栄一 民間経済外交の創始者』中公新書
河合 敦『渋沢栄一と岩崎弥太郎 日本の資本主義を築いた両雄の経営哲学』 幻冬舎新書
島田昌和『社会起業家の先駆者』岩波新書
渋沢財団『デジタル版渋沢栄一伝記資料』
渋沢秀雄 『父渋沢栄一』実業之日本社
橘玲『無理ゲー社会』小学館新書
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