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このブログでは、古着屋実店舗開業したい方、古着屋ウェブショップを出したい方、海外輸入転売、海外買い付けについて等、多岐にわたって発信していこうと思っております。
しかし私自身がどんな人物なのかまだ解らないと思うので、私の自己紹介から始めさせて下さい。
私は現在、ヨーロッパのオランダにて日本国内の古着卸業者、日本国内の古着屋に商品を卸すバイヤーをしている36歳のくそジジイです笑

その前は東京の住みたい町ランキング上位の吉祥寺で7年程古着屋を経営しておりました。今では自由な毎日を過ごし、楽しい日々を過ごしていますが、お金も人脈もただの凡人以下のカス人間でした。。

①新潟での職人時代
②夢を見て東京に上京、服飾の専門学校に入学
③外資系アパレル管理職
④古着屋を始めるきっかけ
⑤開業に向けて貯金時代
⑥独立古着屋開業
⑦オランダに移住



①新潟での職人時代

私の生まれは新潟市の北区、田んぼに囲まれたかなり田舎な部落地区、最寄りの駅まで自転車で30分(笑)嘘かと思われるかもしれませんが本当に周りは田んぼに囲まれてバスも通らない小さい町。
そんな環境もあってかバイクの免許が取れる年齢になると周りの仲間はみんな単車を購入、私もその環境通りに右にならえで先輩から単車を購入していました。これと言って取り柄もなく何となく成り上がるぞという気持ちはあったけど、何となく流されて生活していました。特に頭もよくなかったので、高校を卒業すると自然と土木建築系の仕事をしており、当時の給料は日給で12000円、そこそこ良い給料を貰っていましたが、頑張って稼いだお金はすぐに使う毎日でした。特に何も考えずに生活していたので、全く貯金をしていませんでした(笑)おまけにお金がある訳でも無いのに、高級車に憧れて20セルシオをローンで購入、デカいアルミを履かせてかなりイキがっていました。

キャプチャ

本当今思うと痛すぎるんですけど、何故か当時は本当にそれが最高にカッコいいと思ってやってましたね、、多分他の世界を知らなくて狭いコミュニティで形成されていたからでしょうね、将来は起業して社長になって金持ちになろうと夢物語を語ったり、世の中なんとかなるだろう、人生余裕だろう、と完全に後先考えずにただただ何となく生活してるクズでした。今思うと本当に勿体なかったと思いますが、その時はまさか今オランダに住んで、運河の観えるカフェで優雅にエスプレッソを飲んでるとは思いもつかないでしょう(笑)

②夢を見て東京に上京、服飾の専門学校に入学

そんな私も土木の仕事を4年程続けてくると、いよいよ本気で独立したいと思う訳です。飲みの場で仲間達と何となく将来はこうなりたいとか、こんな家を作ってこんな高級車に乗ってるとか毎回そんな話ばかりしてるものだからいつのまにか本気で思うものなんです。(笑)
そして私は今の土木の仕事で独立するべきなのかと本気の本気で考えました。一生自分の命を削って働く仕事がこの仕事なのか?何歳になってもこんな土木の体力を使う仕事を好きでいれるのか?そんな自問自答を毎晩毎晩していました。そんな時何故か東京の専門学校を携帯で調べていました。そうです、服飾の専門学校です。元々カッコつけるのが好きだった為洋服にも気を使っていました、そういう所から、一生自分で仕事をするならアパレルが良いなと思った訳です。
アパレルなら何となくカッコいい、別に体も汚れない、体力仕事じゃないから年を取った時にも良い、自分の一生を注ぐ仕事はアパレルだ!と自分自身確信が入った事を今でも覚えています(笑)

そして東京へ、確か当時の服装を今でもはっきり覚えているんですが、マジでかなりダサかったです(笑)ギャル男を崇拝していたので、もうかなり恥ずかしい感じの服装でした(笑)しかしここでもそれが自分の中では最高にカッコいいと思っていたので、価値観って変わるものなんだなとつくづく思います。今思うとクレイジー過ぎるのですが、東京の服飾の専門学校の入学式に袴で行ったのを覚えています(笑)まるで田舎の成人式ばりのあの感じでです、さすがに自分一人でしたね袴でオシャレな入学式に行ったのは。まわりはみんな自分で作ったであろうオシャレな衣装、つぎはぎ、コート、衣装、コスプレ、あ、コスプレ的な意味で言ったらそれはそれでよかったのかもですが、今思うと痛い(笑)
私が専攻していた科でプレスの授業があったのですが、先生からの課題で自分の好きなブランドのプレゼンをするという課題があり、私は本気で本気で考え、自分の好きなブランドが今はないな、でも好きなブランドというか好きな物はセルシオだなと思い、何故かセルシオのプレゼンをしたのを覚えています(笑)多分初でしょうね、服飾の専門学校のプレゼンでトヨタの高級車をプレゼンしたのは(笑)
そんなこんなで少しずつ東京生活にも慣れてきましたが、学費や家賃を毎月支払わないといけません、普通に稼ぐとなるとやっぱり夜勤です、ちょうどアパレルのストックでの仕事で夜勤のバイトが有りそこでバイトを始めることに。


③外資系アパレル管理職

東京生活にも慣れ無事に服飾の専門学校も卒業し、在学中からアルバイトで続けていた外資系アパレル会社にそのまま就職、専門学校時代よりも一番ここでオシャレ、ファッション、という事を学びました。

アパレルのストックと言ったらイメージ的には裏方で楽そうなイメージですよね?
しかし真逆で超肉体労働超ハード超単純作業、という鬼の仕事内容でした。
私が古着屋を開業しようと決めたのもこの時で、原因は直属の上司です。
その先輩は私よりも3歳も年が下なのですが、スキル、コミュ力、持ってる物ほとんどが私よりも優れててかなり優秀な人でした、他のメンバーもオシャレで服に関してかなり詳しい人ばかりで、毎日毎日私服チェックをされて、今日の合わせはここがダメだとか、これにはこう合わせた方が良いとか、本当に嫌になる位言われる生活を送っていました、その時のダメ出し経験があるから今の自分のセンスがあるのは間違いないと思っています。いやしかし当時は本当にかなりへこむ位ダメ出しされてて毎日その時間が憂鬱でしたよ(笑)
真面目に働き2年たつ頃にはある程度のマネージャーとして副店長的な立ち位置で管理職の立場を貰っており、仕事に励む毎日でした。


④古着屋を始めるきっかけ

そんな時私の直属の上司が渋谷に古着屋を出店、もともとは私はアパレルで社長になりたいと思い上京、なのに何もその道に近づいていなかったと、その時ハッとしました。人間って環境動物だなとつくづく思いましたね。

身近に古着屋を出店する人がいるとやはり自分自身もイメージが湧きやすくなるものです。

私は本当毎日って位に先輩の古着屋に行き、先輩から色々な事を聞き教えて貰い、ついで毎回のごとく古着を買いまくっていました(笑)そしてありとあらゆる古着屋を視察しまくっていました(笑)
都内の古着屋を見てはお店の印象や商品構成、商品配置、商品内容、BGM、接客対応等、観察して勝手にお店の評価をしていました。色んなお店を見ていると、自然と気になる所がありました。

それは接客です。何故ならばほとんどの古着屋はあまり接客に対してアクティブじゃなかったからです。
セレクトショップやブランド店でも普通に接客はするのに、どうして古着屋はまったく接客をしないんだろう、、?
確かに接客が嫌なお客さんもいると思うけど、そういうお客さんだと解ったらアプローチを止めれば良いだけなのに。と、先輩のお店では接客に対してはかなりシビアに取り組んでいましたし、私にも接客の大切さを毎日のように仰っていました。
やはり独立して個人で大手の古着屋と戦うとなると、接客力やコミュ力は確実に必要な要素だと実感しました。

⑤開業に向けて貯金時代

当時働いていた外資系アパレル会社では他にも古着屋で独立開業する先輩がもう一人いました。
NYに留学し英語も堪能で身長185㎝越えでロン毛に髭のモデルのような先輩でした。
今思えば渋谷に古着屋を開業した先輩もロン毛に髭でしたし、私自身も開業当時はロン毛に髭でした(笑)
しかし古着屋を独立開業する人ってどうしてロン毛に髭率が高いのでしょうか(笑)
身近に古着屋開業した先輩が二人もいるとやはり私自身の毎日の取り組み方も自然と変わってきました。
毎月の給料は最低でも20万円は貯金しました。当時私は手取りで28万円程の給料を貰っていたので出来た事ですが、出来ない人は毎月確実に決まった額を最初に貯金に回した方が良いです。
ご飯はほぼ松屋の牛丼つゆだく一択のみ、当時松屋の牛丼が290円だったので、1食290円計算で3食分だとしても900円いかない位です。1日900円だとして10日で9000円、30日で27000円、食費を毎月3万以内に抑えていました。服は先輩の店で買った古着を使いまわし、毎回同じようなローテーションで着まわしていました。アパレル会社にいましたが、服を一切買わなくなりました。正直これが一番辛かったかもしれません、アパレルで働くとみんな新しい服絶対買うんですよ、そんな中自分だけ毎回同じような服装ですからね(笑)しかし鬼の精神で心を落ち着かせ、俺は絶対に古着屋を開業させるんだ!俺は有言実行するんだ!と心に誓っていました。確か一年ちょっとの間貯金にフル全力を使ったのを覚えてるのですが、その間の記憶がほとんどありません。多分そうとう辛かったのかと思います(笑)ドラゴンボールでゆう精神と時の部屋にいる感覚でしたね(笑)貯金をずっと続けてくると通帳の残高を見るのが唯一の楽しみになってくるものです。当時の僕はほぼ遊びを断り、一転集中で貯金生活を謳歌していたのでそれ位しか本当に楽しみが無かった。後は物件を見る事でしたね。自分が出店する物件を毎日のように、貯金してる間は色んな所の物件を見ていました。その甲斐あってか、その土地の相場感がかなり解るようになりました。不動産屋かって位本当に毎日ルーティン的に見ていましたからね。これから古着屋を実店舗で開業する人もその位のストイックさをもって物件を探すのが良いかと思います。そうするとおのずと良い物件と言うのが見えてきます。


⑥独立古着屋開業
ある程度貯金も貯まり物件も決まり、ついに自分の古着屋をオープンする事が出来ました。念願だった自分の夢を叶えた時はかなり嬉しかったです。最初は一人での運営で大変でしたが、次第にstaffも増えてきて1日に50万程売れる時も有り、軌道にものり良い感じでした。古着を買い付けにロスに行ったりテキサスに行ったり、はたまたマイアミにまで行ったりと、お金を掛けて買い付けに行ったお陰で絶対に行かないと解らないディーラーや買い付け先が見つかってきました。例えば、この国はアクセが強いだとか、この国は冬物が強いだとか、ここの地域はこうゆう商品が沢山あるだとか、ここの地域はこの位の価格帯だとか、このディーラーはデッドのリーバイスのXXを大量に持ってるだとか(笑)アメリカ人ディーラーから紹介してもらって海外在住の日本人ディーラーの倉庫を見に行った時はかなり驚きました。普通のスリフトって中々オールドの古着ってなかったりするんですけど、やっぱりある所にはあるんですよね、もうヴィンテージの教科書に載ってるアイテムがいくつもありました。勿論仕入れ値はそれなりにしますが、日本で買うよりは安く買えます。都内の有名な古着屋さんのオーナーさん達もよく来るらしく、こうゆう所で仕入れてるんだと感心した程です。基本的に古着屋を続けていて楽しい事ばかりでした。好きな所に買い付けにいき、自分がカッコいいと思った物を買ってくると、顧客の方が必ず購入して下さっていたので、本当に楽しくやりがいのある仕事だと思います。一生やっていく上でとても良い仕事だと感じていました。そして私は当時付き合っていた彼女と結婚をしてから、段々と海外で生活が出来たらなと思う気持ちが芽生えてきました。私の妻も元々よく海外旅行に行くので、そういうのも有り私自身も海外に住んでしまえば、毎回わざわざ高い旅費をかけて行くよりも全然安上がりだし、日本で売れる仕組みさえ作れてしまえば、私自身は海外生活しても良いなと日に日に思うよりになっていました。


⑦オランダに移住
そんな矢先にあのウィルスが世間を騒がせました。ロックダウンした街は閑散として、リアルゴーストタウン、この先どうなるんだろうと客観的に考えていましたが、私はプラスに考えて、これは私の事を海外が呼んでるに違いない、早くお店を閉めて海外に飛び立ちなさい。そう言ってるように日に日に思えてきて(笑)結局それがきっかけとなり、海外移住を決意。そしてその間に私は個人で海外輸入転売をスタート。仕組みは至って簡単。ネットで海外から仕入れて国内のオークションサイト等で売るというとてもシンプルなもの。私は古着屋とその海外輸入物販を始めて安定的に毎月10万円以上を稼いでいました。正直最初は色々とめんどい事が多かったですが、次第に慣れていました。そして妻とも話し合い、オランダに移住するフライトを先に抑え、逆算でその日から色々と準備を進めていき、まだオランダで住む賃貸物件もビザも無い状態でオランダに出発して、その後現地にて賃貸契約を交わし生活の基盤を作りました。現在は日本の古着屋さんや古着卸業者に、こちらでピックした古着を売って生活しております。

少し長くなる自己紹介でしたが、最後まで読んで下さり有難う御座います。


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