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気休めでも味方でいるから

「何があってもあなたの味方でいる」という言葉があまり好きじゃなかった。

ぽんぽんと、紙風船で遊ぶみたいに軽やかにその言葉を口にする人もいると思うし、それが悪いことだとも思わないけれど、私はこの言葉をとても重たいものとして捉えている。

だってどんなに近しくて愛している人でも、その人が明らかに間違ったことや、許すことのできないことをしていれば、私は「それは違う、あなたは間違っているよ」と言ってしまうのではないかと思うのだ。

だからずっと、私は簡単にその言葉を他者に、特に家族以外のひとに対してかけないようにしてきた。その人の味方であるということを真に証明できない限り、使うことはできないと思っていたからだ。

その言葉は自分と相手の間に絶対的な信頼関係がないと成り立たない。それこそ、たとえその人が殺人を犯したとしても「味方でいる」と言えるほどの信頼と覚悟がないと使えっこない。それくらい重たい言葉のはずじゃないのか。

そんな言葉を自らの意志で初めて用いたのは、中学生のころ友人になった、ひとつ年下の女の子に対してだった。

以前「花とひとびと」というタイトルでnoteを書いたとき、たんぽぽを見て私を思い出してくれる後輩がいるという話をちらっと綴ったのだけど、私が初めて「私はあなたの味方だよ」と伝えた相手は彼女なのだ。

彼女のことを書くのは決して簡単ではなく、もしかすると私は無意識のうちに、彼女についてここへ書くことをずっと避けていたのかもしれない。

それは彼女と私によく似た部分があり、彼女のことについて書くことがある意味自分や家族、恋人のことを書くより遥かに難しく、同時に繊細な作業だからなのだろうと思っている。

彼女との出会いは中学生のときで、私たちはどちらも吹奏楽部に所属していた。吹奏楽では楽器ごとにパートが分かれていて(私はコントラバス、彼女はチューバだった)、私たちはどちらも低音パートだったので、毎日一緒の教室で練習をしていたのだ。

私と彼女は毎日部活動で顔を合わせて放課後や休日をともに過ごし、少しずつ関係を深めた。手紙を書き合ったり、交換日記のようなものをするようになってからは、部活動のことも好きな人のことも喋ったし、普段感じている生きづらさや、ネガティブな気持ちをさらけ出すことのできる相手になっていった。

最初は私が先輩で彼女が後輩という上下的な関係性だったのだけど、次第に年がひとつ違う友人という関係性になっていき、私は今でも彼女と連絡を取っているし、学校や職場の休みが合えば、私の幼馴染の男の子も入れて3人で海辺を散歩したり、お昼ごはんを食べたりすることも多くある(彼のことはまだここに書けていないけど、この夏あたりにおそらく書くだろう)。

彼女は無邪気に笑う女の子で、でもひどく繊細で脆く、しかしとても強い心を持っている人だった。

自分のことを傷つけたいのか、というようなことを平気で言ったりしたりするくせに、誰かに何かをされたり、傷つけられることにはとても敏感で、目の前の彼女は確かに笑っているのに、胸の中では人知れず泣いているような、そんな女の子。彼女は普段は家族や家が好きで、学校も部活も大好きだと言っているのに、ふとした瞬間に家なんか嫌いだ、学校も部活も大嫌いだと本気で思ってしまうのだ。

彼女はよく「死にたい」とか「消えたい」という言葉を口にした。あまりに頻繁に口にするので、いつが本当にそうなってしまうほど危ないときなのか、私には分からなかった。でも彼女はいつでも本気だったし、同時に決して本気ではなかったのだ。

それが分かってからは不必要に心配しないことにした。しかし、彼女が、私の出会ってきたひとびとの中で最も不安定な危うさを持った女の子であることに変わりはなかった。

だからだろう、私は何があっても彼女の味方でいなくては、いつも見守っていてできる限り力になってあげなくてはと思い込んでしまった。だから「味方だよ」と彼女に言ったのだ。

もしかするとそれも原因のひとつかもしれないけど、この前久しぶりに彼女と言葉で(しかも私が最も忌み嫌う、SNSを媒介にした無機質な言葉で)少しだけ揉めた。

事情は詳しく書かないけれど、その流れで彼女は私に「あなたが私のことを考えている時間は無駄だ」というようなことを言い放った。

言葉のやりとりを通して、最近うまく隠していた私自身の子どもっぽい部分が出てきてしまったことは自覚している。私はその言葉が意図的ではないにしてもあまりにショックで、ちょっと感情的になってしまったのだった。

けれどもしかすると悪いのは私の方なのかもしれないと今は思っている。

あなたが傷ついて泣くのなら惜しみなく優しい言葉をかけたかった。話を聞いて慰めて、元気づける役目を担っていたかった。頼られる私でありたかったし、頼ってくれる彼女の言葉を待っていた。でももしかしたら、彼女にとってはそれが鬱陶しいものだったのかもしれない。私は彼女が頼ってきたときにだけ手を差し伸べればよかったのかもしれない。

けれど私は無条件に彼女の味方でありかったのだ。それは彼女の味方でいることが、自分の味方でいることととても似ているからかもしれない。

彼女は今日で20歳になる。少なくとも中学生のころから、事あるごとに死にたい、消えたいと絞り出すようにつぶやき続けてきた彼女は、その心と身体をもって20年間の日々を生き抜いてきたのだ。

それを祝ってあげなくて何が味方だろう。

あなたがひとりで立ち上がるなら私はそれを見守っているし、助けが必要ならいつでも力を貸そう。たとえほんの気休めだとしても、私はあなたの味方でいたかったのだ。あなたが苦しいときに私も一緒に苦しみたかった。

おせっかいかもしれないけど、今までもこれからもそう思っている。

そういうことを伝えられたらいいのだけれど、うまい言い回しが思いつかず、まだ言葉の組み合わせを探している。






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