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心のお天気はそれぞれちがうから

何かや誰かの姿を見て、「こんなふうになりたい」「こんなひとになりたい」と憧れを抱くということは、すごくピュアでみずみずしい、大切な感情だと思う。

けれど私は同時に「こんなふうになりたくない」「こんなひとにはなりたくない」と感じることも同じくらい大切だと思う。ひょっとすると「こうなりたい」という気持ちより大切かもしれない、と最近は感じているほど。

誰しも他者とのかかわりの中で息をしている。
自分のことで必死になって忘れてしまいがちだけれど、どんなひとにもそのひとの1日があり、彼ら彼女らも、そのなかでひたむきに生きている。

数日前、すこしもやっとすることがあった。

中学生のときから交流しているある女の子から、
「明日の夜暇してない?まだ〇〇(地元)にいる?」というメッセージがきていたので、私は「今、〇〇(地元)」「会いたいの?」というような返事をした。

その文面から私は、彼女は私に会いたいのかしら、と思ったので、のんびり返事が来るのを待っていたのだけれども、結局その日の間に返事はなかった。それはよくあることだったし、彼女の誘いはあまりに急なので、次の日に会うことは難しいだろうとさえ思っていたのは事実だった。

しかし、なんと、翌日の夜19時ごろになっても音沙汰がなかった。

家族で夜ごはんを食べているときに、ふと彼女から返事がきていないことを思い出して、なぜ彼女側から「会いたい」という意味合いのメッセージを送ってきたのに、まだ返事が来ないのだろう?と、胸がもやっとした。

最初はなんとも思っていなかったから(なんなら忘れていたくらいだったんだよ)よかったけれど、考えているうちにすこし腹が立ってきたので、「翌日の夜暇してないか聞いてきて、そこから音沙汰がないのはどうなの」とメッセージを送ってみた。

私がはっきりと予定の有無を返さなかったのが悪かったかもしれないけれど、会うにしろ、会わないにしろ、誘った側が指定していた日時になっても返事をしないのは、私はへんではないかと思った。どんなに仲がよいとしても、それはあまり好ましくないのではないか、と思った。

すると、メッセージを送って1分も経たないうちに彼女から返事がきた。

そこにあったのは「ごめん」という謝罪と、「体調を崩していたから返事ができなかった」ということばだった。

もちろんそういう可能性もあると思ってはいた。メッセージを送信する直前に、「何かあったのかな」と頭の中で思ったのも事実だった。しかしそれを押しのけて、なんならすこし勇気を出して、私はわざとすこしこわい口調で尋ねてみたのだ。普段はこういうことは言わないけど。

だからこそ彼女はびっくりしたのだろう。私の方は「そうか、体調が悪かったのか」と受け止められたし、もう大人なので、そのあとぐだぐだ追及することもしなかった。

そのあと追加で届けられたことばは、最近いろいろあって体調を崩している、解決しなくてはいけないことが何も解決できていなくて、だからごめん、という内容だった。

そのことばを見てどうしても、言いわけがましいと思ってしまったのは、私の心が疲れているからなのだろうか。ネガティブかもしれないけど、私は、彼女に軽んじられたような気さえした。どんな経緯があるにしろ、「青葉なら、まあ、連絡しなくても大丈夫かな」と思われているように感じた。

それが私の主観で、事実がそうではないとしても。

しかし彼女の体調が本当に悪かったのだとしても、私からのメッセージに1分もせずに反応できるなら、もうすこし先に教えてくれてもよかったのに、と思う、やっぱり、そう思う。

私は彼女に誘われたらいつも予定を合わせようとするし、話を聞いてほしそうだったら察知してそれとなく聞くようにしている。彼女はわがままで、自己中心的なところがあるけれど、それは中学生のころから分かっていることだから、そういうところも含めて彼女という人間と付き合い続けてきたはずなのに、その日はやけに腹が立ってしまったのだ。

しかしそれは私が彼女と会って「あげて」いる、彼女の話を聞いて「あげて」いる、と心のどこかで思っているからではないだろうか。

それがたとえ事実であっても、そう思っているということそのものが、自分でいやだなと思った。さらに言えば、私は彼女のような振る舞いを決してしないようにしなくてはならない、と思った。

彼女はいろいろあって今つらいのかもしれないし、体調が悪いのも、何か問題を抱えて解決しようとしているのも、きっと本当だと思う。

けれど私にだってつらいときはあるのだ。

私だっていつも心が元気なわけではない。彼女と同じように、私も私の世界で自分なりに戦っているのだ。余裕があるときもあれば、いっぱいいっぱいで他者の話なんてとても聞けないときもある。ほんの少しなら聞けそうだったけど、今回のような些細な出来事があって、自分で思っているよりすこし深く傷ついてしまうこともある。

そういうことを理解していないひとというのは、実は多いのではないかと思う。無意識に他者を傷つけてしまっているひと。悪意など最初からないのだから、いつまでも自分が相手を傷つけていることに気づけないし、

そして私ももしかすると本当の意味でそれを分かってなどおらず、私と向き合ってくれる誰かを気づかぬうちに傷つけてしまっているかもしれない、とも思う。私が過去に誰かにしたことが、同じようにこうして帰ってきているだけかもしれない、とも、今回のことで感じた。

私が苦しいときに話を聞いてくれているそのひとは、本当は私より深く傷ついているかもしれないし、私の立っている場所とちがう場所で無我夢中でなにかと向き合ったり、そのために疲弊してしまったりしているかもしれない。

私の心模様に自分を合わせてくれているひとがきっといる。

そのことをこういう出来事があるたびに思い出したい。
そして私のまばたきが、こぼれ落ちたためいきが、なんの気なしに放ったことばのかけらが、繊細な誰かの心をむやみやたらに傷つけてしまっているかもしれないということを、いつでも胸に秘めておきたい。







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