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〈正解のない問い・3〉 「やりたいこと・好きなことをやれて日々充実してるけれど短命な人と、何をやってもうまくいかず、不幸なことばかりあるけれど長生きできる人。どちらが幸せなんでしょうね」


『正解のない問い』

ワタクシ 米山哲司のfacebookで、「正解のない問いをください」、「問いはご自身が気になっている問いでも、どうでもいいようなお気軽な問いでも結構です」と呼びかけたところ、数日間で個性あふれる問いを50以上もいただきました。嬉しい限りです!(いただいた問いは こちらの投稿のコメント欄をご覧ください) いただいた順に私がぼんやりと思ったことを返信として投稿しますね。着飾らずに書きますので、ゆるやかな気持ちでお読みいただければ、と。 では早速…

〈問〉
「やりたいこと・好きなことをやれて日々充実してるけれど 短命な人と、何をやってもうまくいかず 不幸なことばかりあるけれど 長生きできる人。どちらが幸せなんでしょうね」

〈返信〉
前回の第2問目と少し似た問いが続くことになりました。当方に問いが着信した順で返信していますのでご了承を。

問いの文面そのままを丁寧に受け取るならば、ほとんどの人が前者(充実して短命)を選ぶのではないでしょうかね? 後者の「何をやってもうまくいかない」さらには「不幸なことばかり」なら長く生きるほうがつらくないでしょうかね。「長く生きていれば、いつかは良いこともあるさ」の言葉かけもあるでしょう。ただそれは過去に一度でもいいことがあった人にならば励ましになるのでしょうが、後者は何をやってもうまくいかず不幸なことばかりとあります。そうだとしたならば、その人物にとって長さにプラスの価値を見い出すことはできないのでは、と。

死生観の話はどんよりしがちです。が、そこから目をそむけるのは思考から逃げているだけですので、タブーや誤解を恐れずに続けますね。

〝長さ〟つまり「量」です。それに対して〝充実〟や〝不幸〟は「質」。人生の価値を量で考えるか、質で考えるのかなのかと。「今日の晩御飯は、山盛りのまずい料理か、おいしいがたったの一口サイズ、どっちがいい?」という問いに似ています。その人物は何で満たされるのかの違いですね。

高校時代の話を思い出しましたよ。昼食の時間帯に2社のパン屋さんが交替で販売に来ていました。「安くて、まずいパン屋」は通称〝まずパン〟。「高くて、うまいパン屋」は〝たかパン〟と呼ばれていました。呼び名は両方とも悪口のほうを採用しているのです。品もデリカシーもありません。呼称の基準を金額または味で揃えるならまだしも、自分都合が基準でしたね。(自己弁護のために補足しますが、これは私が考えた呼称ではなくて、代々先輩から伝わってきたものですので) 自分の価値観が定まっていない幼き者は「安くてありがたいね」とか「おいしいのが一番」という褒めるセリフよりも、隙あらば文句ばっかり言っていましたね。〝なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な 15の夜〟なのです。満たされていないと、人は人を傷つけるのでしょう。(あっ、価値基準の話で思い出しただけで話につながりがありませんでした。失礼)

話題を変えますね。
気づきの研修やキャリアカウンセリングの際にツール(カードなどを使用したアセスメント)を使うことがあります。「414カード(読み:よいしカード)」もそのひとつです。〝よいし〟とは〝良い死〟に係っています。説明書の「はじめに」には次のように書かれています。

[はじめに]
414(よいし)カードは、死を見据えて自分が大切にしたいものを考え、深め、大切な人との対話を可能にするカードです。自分の生き方を見つめたり、大切な人をより近い存在として感じられたり…。そのようなツールとして使っていただける温かいカードだと思っています。

カードは49種類。表の面には「誰かの役に立つ」、「過ごしたい場所にいる」、「流れに身を任せる」などの記載があり、自分が大切にしたいと思っている表現を選びます。選んだそのカードの裏面にはその表現にまつわる問いかけが書かれており、それに答えることや考えることで死生観を語り合おいやすくなるというツールです。冒頭にも書きましたが生死の話を持ち出すことはタブーとされがちで、対話のテーマに発展しにくいところがあります。そういう時 このようなツールがキャリアカウンセリングを補助します。話しやすくなり、聴きやすくなりますが、所詮、道具でしかありません。道具に頼りすぎるのは結果的に残念な研修になりますのでご注意を。大事なのは道具を、誰が、どう使うかですね。職人の工具と同じです。ゆえに冒頭の話、相談に対し「長く生きていれば、いつかは良いこともあるさ」などのインスタントなセリフで解決させようとしてはならないのだと思うのですよ。

話を戻します。
量をタテ、質をヨコとし、面積をイメージしたとします。前者は「タテが短く、ヨコが長い」。後者は「タテが長く、ヨコが短い」。両者とも同じ面積に思えたのなら、「どっちがいい?」は、どっちでもいいのかもしれません。大事なのは、その面にどうタカサを出せるのか、なのかと。そう、面積ではなく体積で考えるということ。タカサを出すのはもちろん自分自身。人生を与えられているものと思っているうちは、面積なんてどれも似たようなものなのかもしれません。それに厚みを出すこと、深みを出すこととを主体的に考え始めたとき、単なる人生が〝私の人生〟となるのです。その厚みや深みを出すためには時間が必要だ、ということならば、長生きも価値あること。当人にその意識を感じたときに「長く生きていれば、いつかは良いこともあるさ」が言葉が届くのかと。

整えます。
問いの「やりたいこと・好きなことをやれて日々充実してるけれど短命な人と、何をやってもうまくいかず、不幸なことばかりあるけれど長生きできる人。どちらが幸せなんでしょうね」への返信です。
「どちらが幸せなのでしょう?」に対しては、「どちらも幸せになれると思いますよ」とお返しして差し上げたいですね。少し斜めの目線でお返しするなら「幸せかどうかは、自分で決めればいいですよね」ですかね。自分の船は自分の手で漕がなきゃね。主体性開発です。キャリアコンサルタントはそれをお手伝いするお役目でもあります。いやはや〝禍福は糾える縄の如し〟ですなぁ。
~以上~

・・・
〝正解のない問い〟ですので、残念ながらどこにもたどり着きません。思いを巡らす中に、「ひらめく予感」や、「モノを言いたくなる自分」にたどり着ければ、それを〝変化〟と捉えたいなぁ、と。結局、モヤモヤ製造所みたいになっているかもしれませんが(笑)

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このような問いがまだまだ続きます。大丈夫なのだろうか?(笑) 
第4問目は『最近、蝶々を目にする機会が多いです!どういう意味なんでしょうか? 黄色と白の蝶々です!』です。問われている意図を私は察することができるのだろうか…

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