「#はたらくってなんだろう」私見
「#はたらくってなんだろう」という投稿コンテストが行われているので、これを機に私なりに「はたらく」ことについて感じていることを書いてみたいと思います。
このnoteの内容はコンテストの趣旨とは沿わないと思いますが、自分自身の気持ちを整理してまとめたものとして自分のために書き記したものです。
私にとって「はたらく(働く)」ことは「罰」です。
人間として生きている限り死ぬまで続く罰というのが、私の感じている「はたらく(働く)」ことです。
私が「はたらく(働く)」ことを「罰」だと確信したのは旧約聖書の一節を知ったことでした。
私はクリスチャンではありませんが、この箇所を読んだとき聖書と自分の思いが同じだと知って安堵しました。古代ユダヤ人にとって「はたらく」ことは罰なのだと知り自分の感じていたことは間違っていなかったと確信しました。
・しかたなくしている仕事
私は学生生活が終わるとバイトをしながらプロのミュージシャンを目指していました。自分の就きたかった職業はミュージシャンなのでそれ以外の仕事は考えていませんでした。
とはいっても生活のためにはお金を稼がないといけません。プロのミュージシャンとしての稼ぎがない以上、他の仕事(バイト)をする必要があります。目的はあくまでプロのミュージシャンになることなので、それ以外のことで心身の負担になることは避けたいという理由から仕事(バイト)選びは仕事の内容が自分にとって楽なものを選んでいました。
もともとやりたくない仕事を生きていくためにしかたなくしているのですから、当然仕事が楽しいとかはたらくことが好きだとかいう感情は芽生えません。
・かなわなかった夢、現実の厳しさが苦痛
けっきょくプロのミュージシャンにはなれず、しかたなく続けている仕事(バイト)で生活しているうちに、「はたらく」って懲役刑みたいなものなのではないかと思うようになりました。
やりたくないことをしているので当然仕事は辛いと感じていましたが、職場での人間関係の煩わしさが仕事そしてはたらくことを更に苦痛にしました。
労働そのものの苦痛(いわゆる3Kなど)と、職場の人間関係の軋轢から生じる苦痛に私は苛まれました(今も苛まれています)。
・何かが変わることを期待した
昨年から流行した新型コロナウィルスの影響で世間では新しい生活様式を模索するようになりました。仕事についてはテレワークの導入など従来の働き方を見直そうという動きがあります。
新しい生活様式を模索することは大変良いことだと思いますが、私はこの期に及んでもはたらくことを選択する社会に失望しています。
新しい生活様式というなら、今までの労働の対価として報酬(給料)を得るという仕組みを止めて、労働・お金に依存しないで生きていける社会を築くべきなのではないかというのが私の希望です。ですが私には今の仕組みに変わる新しい仕組みの妙案がありません。
テレビの討論番組で著名な学者たちが出演しても、誰も「これを機にはたらくことを止めて新しい社会の仕組みを考案しませんか?」と提案しないのが残念です。現在の労働の対価に報酬(給料)を得るという仕組みのままでは、社会情勢に左右され続け不景気になれば失業してお金を得られなくなり、お金がなければ生活ができなくなるという状況が今後も続くのです。貧困の不安・恐怖は解消されません。
・労働から解放されよう
今回の新型コロナウィルスの影響により従来の生活ができなくなってしまいました。新しい生活様式・働き方改革を追求していくと、ここでこのコンテストのお題になっている「はたらくってなんだろう」という疑問が生じます。
繰り返しになりますが、私にとって「はたらく(働く)」ことは「罰」です。「罰」なら無いほうがいい。それなら「罰」に替わる新しい仕組みで人間社会を再構築できないでしょうか。そしてこの新しい仕組みによって人々が働く必要がないお金に頼らなくても生きていける社会になってほしい。お金に頼る必要がないので月々の支払いから解放された社会で人々は自分の本来やりたかったことをやって生きていけばいい、というのが私の願いです。
紀元前の昔から「罰」だと考えられてきた「はたらく(働く)」ことからそろそろ人類は解放されていいのではないでしょうか。
私の戯言にお付き合いいただきありがとうございました。
追記:このnoteに似たような内容で関連があるnoteを以前投稿しました。ついでに読んでもらえると幸いです。
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