見出し画像

葉巻に、白ワイン -ここで飲むしあわせ


・夏のパリで、高等遊民となる。

夏のパリは閑散としている。
だってパリジャンはヴァカンスで不在だ。
羨ましくないわけではない。ドーヴィルやサン=トロペでムール貝に舌鼓をうつのも悪くない。
しかし、僕は静かな夏のパリにとどまる。

日曜の朝、
僕は幾つかの路地と大通りを闊歩し、ブラッスリーのテラスに陣取り、イルビゾンテのサックからおもむろに葉巻を取り出し、火をつける。
キューバのトリニダッド。
太くて長いやつだ。1時間半はもつ。
煙があたりをゆるやかにつつむ。

ボーイさんにプイィフュメを注文する。
俗にミネラル系と呼ばれるタイプの白ワインだ。香りは甘く、味に透明感があり、喉をストンと落ちる。まるで鉱石のような硬さがある。
これがじつに葉巻と合う。
しばしば映画のなかでは、葉巻を吸うひとはブランデーを飲むけど、僕は上品な白ワインと一緒がいい。


・クールに、優しく。

そして僕は孤独を楽しむ。
昔の教え子たちの笑顔を思い出して。
家計簿の数字をしばし忘れて。
卑劣な偽善者たちへの怒りをいったん封印して。

アパルトマンの影がのんびり動くのを目で追う。
ジョギングをしているお爺さんと挨拶をかわす。
バゲットを手にして歩く赤いワンピの娘さんに微笑む。
なんて贅沢な1時間半。

そう、癒しの時間は必要だ。
子供の頃、大人になったら、強くなれると思っていた。
でも、違った。まっすぐ生きようと、戦うことを余儀なくされ、いまじゃあ、古傷が痛む。


プイィフュメのおかわりをする。
戦士の休日。
日曜なのに教会にも行かない。
ただ、祈りは忘れない。主よ、わたくしに、快楽を享受する五感を与えて下さったことを感謝します。


・Que reste-t-il de nos amours ?

頭の中で、『残されし恋には(Que reste-t-il de nos amours ?)』が流れだす。
トリュフォーの映画『夜霧の恋人たち』の主題歌にもなったっけ。
軽快でコミカルでオシャレな映画だった。


さて、葉巻はときにチョコのように甘く、ときにナッツのように香ばしく、ゆっくり味を変えていきます。
葉巻ってね、一本、一本、手巻きだから、きつく巻いてあるのや、やわらかいのがあって、要するに人間味があるのですよ。
これ、茶色でしょ。葉っぱだから。紙巻きたばこよりも、ずっとエコなんです。

ちょっと酔ったか、饒舌になる。
たとえ心の中でつぶやくにせよ、しゃべりすぎると、あとで自己嫌悪におちいる。

葉巻もだんだん短くなってくる。
煙で、指先がほのかにあたたかい。
引き揚げどきだ。

ボーイさんにさよならをする。
おつりは取っておいてくださいな、良い日曜日を。



しかし、いまは冬。ここは日本。
群衆はマスクをして背中をまるめて歩いている。
ネットじゃあ、手に入らないものを求めて。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?