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いかすぜ、スプラトゥーン -孤老、おともだちができる

ガチでAになる

スプラトゥーン2をはじめて、1年以上の月日が流れた。
今日、ようやく、ガチでAになった。
嬉しい。

私のような老人。
いつでもなんでも下り坂の老人。
体力の衰え、とどまるところを知らず。
日々、昔できたことができなくなり、苦しく、悲しい老人。

そんな私ではあるが、1年前に比べて、成長したのだ。
それが実感できたのが、なによりも嬉しい。

1年前、ガチなんて、ちっとも勝てなかった。
わけのわからぬまま、どこからか飛んでくるインクでキルされていた。
けれども、ほぼ毎日、ゲームを続けた。
いまじゃあ、敵、味方の動きが目で追えるようになった。
まことにもって、「継続は力なり」である。

「はまっている」と言ってよいのかもしれない。
飲み屋でも、イカの刺身を注文しながら、若女将にスプラトゥーンの話をする。
「あら、うちの子もやっているわ」とか言われながら。

ちと、恥ずかしい。


キルが苦手

実を言えば、私はキルが苦手である。
殺生が苦手なのだ。
家では蜘蛛を殺すのも避ける。

外では、仕事のときは、怖い青鬼の役を演じなければならないこともある。
好きでやっているのではない。
しかし、みんながみんな、お友だちクラブの仲良しごっこをしていても、進歩はない。
それゆえ、涙をのんで、厳しくなる。「斬る」。

その反動が、内では、オフのときは、生じるのだろう。
傷つけること、殺すことを生理的に避けるのだ。
かくしてスプラトゥーンでもキルが苦手である。
照準が定まらない。指先に力が入らない。得点が伸びない。


感謝

そんな私ではあるが、振り返れば、感謝しかない。

昨年、私にスプラトゥーンを買い与えた若い友人(ウデマエSのひと)からは、いろいろな指導を受けた。彼女の忠告はどれも適確であった。
「独りで突っ込んでいっちゃあ、ダメなのよ。」
「相手のチームが少しキルされて減るまで、待つの。」


実際、スプラトゥーンで大事なのは、助け合いの精神だと思う。

私が、小アサリを8つほど持って、途方に暮れ、ウロウロしていると、〈たんじろう〉さんとかが、2つほど、めぐんでくださる。
ああいう優しいひとは、おそらく電車の中でも、老人や妊婦に席を譲られるのであろう。

また、私がホコを抱え、はてさて、どうしたものかと思案していると、〈パパ〉さんとかが、道をつくって、「カモン!」と呼びかけ、エスコートしてくださる。
もしかしたら私のことを可憐なマドモアゼルと思い違いしていらっしゃるのだろうか。
いやいや。
そんなふうに、ひとさまの善意を受け取ってはいけないだろう。


いずれにせよ、助けてもらってばかりいるのも悪い。
だから私も率先して矢面に立つ。
自己犠牲の精神だ。カミカゼだ。

カンモンでは、ヤグラの上に登る。
毅然と立つ私に、四方から敵の砲弾がふりそそぐ。
しかし誰かが時間稼ぎをしなければならないのだ。
ならば、私がやるまで。

あるいは、私の大アサリを、私がキルされた後、誰かが拾ってゴールしてくれたときは感動である。風が吹く。
-私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。-
涙もろくなったか、画面がかすむ。
先がない者が、先がある者のために尽くすのは当然だ。
畢竟、老人の夢は、若者の夢を叶えること。

最終的に味方のチームが勝ったときの歓びはひとしおである。


とにかくAになりました。
ご報告させていただきます。
みなさまのおかげです。
ありがとうございました。

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