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映画『あぶない刑事』シリーズを観て -うすっぺらい横浜

新作公開にあわせて、最近テレビで『あぶない刑事』シリーズを放映している。
素晴らしい俳優陣にもかかわらず、いつもつまらないし、いつもダサい。

理由は簡単だ。
舞台となる横浜の描きかたが、うすっぺらいからだ。
ヒローたちはせっかく、ときに二枚目、ときに三枚目と、がんばっているのに。
横浜はただの壁の花だ。
ただただウドの大木のように突っ立っているだけだ。
おくぶかさがない。
その結果、映画が、観光客を横浜に呼び込むためのコマーシャルに堕してしまっている。

「観光客」といっても、禅や歌舞伎といったジャポニズムを夢見に来る外国人ではない。

アメリカをオシャレだと思い込む、日本の田舎者、つまり〈おのぼりさん〉である。
そう。『あぶない刑事』は〈おのぼりさん〉の視点で描かれている。
だから泥臭いのだ。かっこわるいのだ。


もっと横浜の一般庶民の視点を大事にしたらよかったのに、と思う。
翔んで埼玉』の埼玉県人の視点みたいに。『パリピ孔明』の渋谷に集う民草の視点みたいに。

あるいは横浜の闇を描いてみせるのも手であっただろう。
ダーティハリー』がサンフランシスコの人種差別を描いてみせたように。

実際、横浜といえばIR(カジノを含む統合型リゾート施設)誘致で話題になったところだ。
『あぶない刑事』のアイテム、鉄砲バンバン、ギャング、汚職政治家、そして〈過去は聞かないで女〉などなどとは相性が良いはずである。

あるいはせっかく中華街があるのだから、『イヤー・オブ・ドラゴン』へのめくばせがあってもよかっただろうに。

そもそも周知のごとく、横浜といえば、幕末明治の開港だ。
それは強いられた開港だった。つまり横浜は、日本が西洋諸列強によって「強姦」された象徴なのである。
にもかかわらず、横浜の高級ホテル、流れるジャズ、外国人たち、そして龍踊りを、いかにもオシャレでしょうと強いる画面。
しかしそこに生気はない。必然性がないからだ。
観光オブジェの背景の歴史までをも撮りこもうとする意欲に欠けるからだ。

私は『あぶない刑事』が描く横浜に、欺瞞を見る。
日本で生活する人間としてのプライドの欠如を見る。

暗鬱な歴史的背景を考慮に入れたうえで、敢えて鉄砲バンバンのコメディを描けば、そのとき『あぶない刑事』は「ポリティカルコレクトネス的にはあぶない」かもしれないけど、日々の暮らしに追われる人々にとって、気持ちの良い作品、気分転換のためのほんとうの娯楽映画になると思う。


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