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深沢七郎『人間滅亡的人生案内』(河出文庫)を読んで

本書は雑誌『話の特集』に1967年から1969年までに掲載された、深沢七郎の人生相談をまとめたものです。
大半が20歳前後の若いひとからの相談です。
即ち、もしも御存命ならば、現在75歳ぐらいになる方々の、若かりし日の相談です。


昔の若者の文章

興味深いのは深沢の回答よりも、むしろ若い相談者の文章です。
深沢の回答は、いかにも作家らしい常識外れのものです。
それはそれで大いに結構。

しかし注目すべきは若い相談者の文章です。
相談の内容そのものは、今の若者と比べても、平凡でありきたりのものです。
ところが昔の若者の文章こそは、いまどきのブログなどでは決してお目にかかることのできないシロモノなのです。
半世紀前の若者たち、自己を表現することにおいて、めちゃくちゃ「自由」なのです。
天真爛漫。実にあけっぴろげ、おっぴろげ、あっけらかん。


事例

例えばこんな感じ。


「二十になりたての女の子。
非処女。…同衾したのが十九の秋。結論―破局。
なまぬるく生きる事がキライだったわたし。
はりさけんばかりの生がほしいと涙ポロポロ流した、いじらしくもかわいかったわたし。
それが豹変。…生きていたってつまらない。世をはかなむ。自分には何も残って無い様な気がする。指針がない。意欲ゼロ。」


または社会変革を望む女闘士。


「私はLSDではないのですが、睡眠薬を常用し、日本ヒッピー族を気どって夜毎街をさまよっていた…。『愛』『平和の力』『花の心』をスローガンとして私たちは体制や、これまでの古いモラルに反抗しつづけてきたつもりです…。私たちは、花なのです。花の役割としてのフリーセックス、博愛、美しき表現などを基本に生きているのです。
…ある日、ふと知り合った男性と肌を温めあいながら互いに胸の内側を見せて語り合いたいのです。」


あるいは酒好き短大生。


「私は自分を理解し、必要としてくれる人間がほしいのです。…私は今短大へ行っています。講義はあまり興味はない。…私の大学は自治会でも学生運動を禁止しているので、それを打破しようと考えている。…恋愛はしたくない。お喋りも、おしゃれも、ボーイフレンドもどうでもいい、全力疾走できる持続的、精神的対象があればいい。現在は反体制思想がある。あやしいもんだという気がする。…でも生きていることは悲しいです。だから私を慰め、一緒にやけ酒飲んでくれる人がほしいのです。」


職業婦人の相談もある。


「私、…あせっているハイミスです。…私が法学部へ入ったのは、学問のためでなく、職業のためでもない、ほんとうのところ手っ取り早く、結婚相手を見つけようと思ったからでした。しかし、あまりに男が多すぎて、どれがよいのか自分でも判りませんでした。あれやこれやとぐずぐずしているうちに四年間が過ぎてしまい、結局のところ一人の男も知ることなしに卒業してしまいました。…
現在は、社会に出て、働いてはいるのですが、大学であまり勉強をしなかったので、学歴を役に立てることができません。それで口惜し紛れに、仕事とは関係のないところでつい知性と教養をひけらかしてしまうのです。…
大学まで出て、馬鹿な女と笑わないでください。深沢先生、どうぞ、私に男を捕える方法をお教えください。」


もちろん男の子も悩んでいる。例えば、


「二十五歳の造花職人です。小説を読むのだけが好きなので、ある私立大学の文科に入ったのですが、生来の怠け者の為、まじめに単位を取ってゆけなくて、国文学関係以外の語学や数学等の学科はみな落とし、めんどうなので三年ほどで中退してしまいました。…僕は未だ童貞なのです。いわゆる女の人がキライなのです。話していても、その無神経さ、頭のワルサ。思いあがったキドリ。…好きでもない女を性欲の為だけでくどく程の、その事は価値のあるものなのでしょうか。」


ほかにも、妻のいる男に恋した二十一歳のデザイン志望の女の子、あるいは強姦をして少年院に行った男の子などの投稿がならんでいる。

注意を喚起したいのだが、驚くべきことにこれらの人生相談は必ずしも常に匿名ではなく掲載されているのだ。


今と昔、何がかわったの?

すごいでしょ。
どうしてここまで赤裸々に自分のことを自分の言葉で書けたのでしょう。豊かな文章からは、人生に悩む往時の若者(現在の後期高齢者)をリアルに想像できます。

この点がいまどきの若者との違いだと思うのです。
しばしばいまどきの若い方のnoteを拝読させていただくのですが、お行儀よくのっぺりわかりやすくまとめられていて、妙に自分自身を隠している気がします。

怯えているの?
恥ずかしいの?
小市民道徳を内面化しちゃったの?
ねえ、生きづらくないかい?

私は昔を美化することが嫌いです。
「過去よりも未来の方が、物質的及び精神的に、ずっと豊かになる」と信じたい。
けれどいまどきの若者に思いをはせるとき、その「信仰」が揺るぎ始めるのです。


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