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クリストファー・コーカー著『戦争はなくせるか?』を読んで


戦争の自律性

クリストファー・コーカー著『戦争はなくせるか?』奥山真司訳(勁草書房、2022年)のなかで、著者は問いかける、「戦争はなくせるか?」
著者は答える、「戦争はなくせない」。
何故なら戦争は人間の一部だから。
何故なら人間が戦争の進化を完全にコントロールできているわけではないから。

戦争は人間の思惑を超えて進化する。
従って、これまでどのように戦争は進化してきたか、そしてこれからどのように進化していく可能性があるのかを研究することはできる。
しかしわたしたちが未来の戦争をどのようなものにすべきかは、議論できない。

機関銃の合理性と道徳性

例えば、著者によれば、1880年代にハイラム・マキシムが機関銃を発明したとき、彼は「戦争は不可能になるでしょう」と述べたという。つまり機関銃のような強力な兵器があれば、誰も紛争解決の手段として戦争には訴えなくなるだろうと思ったのだ。

発明後、機関銃は、それを持っていたのが西洋諸国だけであったため、「合理的な社会の産物」としての意味を持たされ、「道徳的優位性」の表象となった。
機関銃に抵抗するアフリカ先住民は、不合理な〈野蛮人〉だった。

しかしその後、第1次世界大戦のさい、西洋人は相互に機関銃を向け合うに至った。
第1次世界大戦のような戦争はマキシムにとって、明らかに想定外だったわけだ。(44-45頁)

女性兵士の潜在能力

ところで著者によれば、現在、女性は既にアメリカ軍の15パーセントを占めており、2016年には戦闘任務に従事する権利を獲得した。(従来は後方支援などの任務に限られていた。)
実際、女性兵士は攻撃ヘリコプター「アパッチ」を飛ばして銃撃戦に参加し、戦場での女性の死因の80パーセントが「敵対的な勢力によるもの」とされている(「事故」や「病気」ではないのだ)。

しかし注目すべきは、男性兵士に比較しての女性兵士の強さである。
現在、アメリカ軍の自殺者の95パーセントが男性である。
女性は男性よりも、とりわけ精神的に強い。実際、神経科学の研究では、女性の方が、ストレス耐性があることが明らかになっている。(40-42頁)

それでは身体的脆弱さという問題が兵器の改良によって解決されるこんにち、ますます求められるのは精神的強靭さを持った女性兵士ということにならないだろうか。

戦争の非人間化と人道化

戦争において、人間よりも、ロボットが介入する場面が多くなればなるほど、戦争は非人間化される。しかしそのことが、逆説的ながら、戦争を人道的なものにするかもしれない。
ロボットは憎悪や復讐心を持たないからだ。
ロボットは命令によって定められた対象だけを「無力化する(殺す)」ので、過度な虐殺は行わない。激情にかられた不必要な暴力はふるわない。それゆえロボットが戦争を人道化する可能性は大である。

しかしここに問題が生まれると、著者は言う。
人間による戦争は、「撃つか撃たないか」という道徳的判断に人間を直面させる。
反対に、ロボットによる戦争は、人間から自分の行動に対する道徳的責任を奪ってしまう。(56-57頁)

つまり未来の戦争は無責任なものになるかもしれないわけだ。

戦争はかわるが、なくならない

最後に読後の感想を書いておこう。

過去の戦争には幾つかの「良い点」もあった。
戦火のなか、勇気、自己犠牲、助け合いといった人間的価値を見ることができた。
また軍隊で必要とされたのは、ただの暴力ではなく、精確で規律ある実力の行使だったので、それが人間の精神力を鍛えたという側面もあった(柔道や剣道を想起しよう)。
さらに戦争があればこそ、平和の尊さを実感できもした。
しかしそのような過去の戦争の「良い点」が、いつまでも続く保証はない。

SF小説を書くつもりで、未来の戦争を想像してみようか。
戦争を実施するのは民間軍事会社である。その社員=兵士にとって、戦争の目的は祖国や民主主義を守るためではない、金儲けのためだ。
戦闘員の多くはストレス耐性の強い女性である。
作戦当日、指揮官に召集された戦闘員たちは、お互い知り合いではなく、お互い名前すら知らない(近年流行の闇バイトのように)。そして戦闘はロボットの助けを借りておこなわれる。
女性兵士は男女平等原理の論理的帰結でもある。またロボットの使用は戦場での性犯罪を避けるという人道上の配慮でもある。
他方、戦争は長期化し、戦時と平時の区別は難しくなるだろう(コロナ禍後、仕事を自宅で行なうことが普及したように)。

未来を想像すると、現在の矛盾が見えてきて、あんがい面白い。


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