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フランスの童謡-ものがたり


新旧日本の童謡

日本の童謡では、僕は「月の砂漠」や「かなりや」が大好きです。
え?ご存知ない?
それはよくありません。
「月の砂漠」や「かなりや」を知らずに大きくなったお子さんは、情操教育が習得できていませんから、将来、家庭内暴力をふるうことでしょう。


「アンパンマンのマーチ」なんか教えるから、「生きる歓びを感じられない」とか「何のために生まれたのか分からない」とか言って、引きこもったり、うつ病になったりするのです。

「歩こう、歩こう、わたしは元気」とか、病弱で外出できない人間への差別かしらんと思います。あなたが元気なのは、あなたの勝手。そもそも「トトロ」を見ていたら、野山を歩いてエコロジー教育を実践する時間もないでしょうに。

そんなわけで近年の道徳臭の強い童謡よりは、「青い眼の人形」とか「からたちの花」とか、感受性を豊かにする童謡をおすすめします。

昔のフランスの童謡

ところで話はかわりますが、フランスの童謡は歌いやすく覚えやすいものが多いと思います。

今回はそんなフランスの童謡のなかでも、
« Il était un petit navire »(小さなお船)を紹介しましょう。

童謡はしばしば子守唄として使いますよね
ところで子供を寝かしつけるときに大事なのは、おはなしです。
幾度も「繰り返し」を入れて、結末を引き伸ばし引き伸ばし、ものがたりの途中で子供が眠ってくれることを祈りながら、親は歌います。

この「小さなお船」も、ちょっとした大河ドラマです。なかなか寝付かない子どもを考慮に入れているのでしょう。
あらすじを、ネタバレも含めて、紹介しましょう。

昔々あるところに、小さなお船がありました。
そのお船はいちども海に出たことがありませんでした。
さてお船は地中海に長い旅に出ました。
5、6週間たって、食べものがなくなりました。
そこで水夫たちはクジ引きをしました。
誰を食べるのか、決めるためにです。
いちばん若い、子どもの水夫が、クジにあたりました。
みんなはこの若い水夫を、どんなソースで食べようかと話し合いました。
また、あるひとはフライにして食べようと、別のひとは煮込みにして食べようと言いました。
クジにあたった水夫は、帆のてっぺんに登りました。
彼は叫びました、聖母マリアさま、お助けください。
すると、なんと、たくさんの魚が船の上に飛び込んできました。奇跡です。
みんなは魚をつかまえて、フライにしました。
若い水夫は助かりました。
もしもこの話が気に入ったのなら、もういちど最初から話してあげますよ。

いやあ、子どもの興味を引くよう、実によくできている。
「パパ、地中海て、なに?」
「5、6週間て、どれくらい?」
「えええ、子どもを食べちゃうの?!」
「ボク、ソースはケチャップが好き!」

パパも積極的にコメントをつけることができる。
「パパはこの子どもの水夫さんをバーベキューにして食べたいなあ。」
「ママはお刺身にするかもね。切るだけで、手間がかからないから。」

フランスではタラのフライが子どもたちの好物だ。
そんなことも考えると、最後、魚のフライで、水夫が助かって、メデタシメデタシになっているのも微笑ましい。
でも「この話が気に入ったのなら、もういちど最初から話してあげますよ」とか言って、もしも子どもが「ウィー!」と答えたら、ちょっと恐怖ですね。

映画『大いなる幻影』挿入歌

ところでこの童謡は、あのジャン・ルノワール監督の傑作『大いなる幻影』(1937年)で、用いられている。

『大いなる幻影』は、第1次世界大戦を舞台に、フランスの将校たちがドイツ軍の捕虜収容所から脱走する話。
逃げ出すとき、貴族のボアルデューが、自分がおとりになると立候補する。
彼の自己犠牲のおかげで、労働者階級出身のマレシャル、ユダヤ系のローゼンタールは助かる。
ボアルデューがわざと敵の注意を引くとき、口笛で歌うのがこの「小さなお船」の「繰り返し」部分なのである。
彼は、みんなのために食べられる若い水夫に自分を重ねて、この曲を選んだのだろうか。

いずれにせよルノワールは捕虜になった将校たちにフランスを表象させた。
そのなかでルノワールが貴族代表に与えた役割が、自己犠牲であった。
20世紀初頭、フランス共和国を救うため、自由・平等・友愛を救うため、貴族には自己犠牲(=名誉ある死)が求められていたのであろう。

なんか、ちょっと暗くなっちゃったかな。
じゃあ、おくちなおしに「小さなお船」をお聞きください。



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