就活と海とプラスチック

就職活動をしていると、ニュースをより見るようになる。世の中を動かしている経済のことを把握せねばならないからである。どうすることもできない大きな流れ(大抵は悪い流れ)が出来上がってしまっていることに気が付く。

人は流れに気がついてから、二つの行動パターンに分かれる。世の中の悪い流れを断ち切ろうと動くか、その流れの中で生きていこうをするかである。

「この世の流れはおかしい。断ち切らねば」

若い頃の私はそう考えていた。世の中の弱き者のために動いた。環境を配慮して生活をした。結果として廃人のような職歴なしが出来上がった。30代後半、就職活動をするようになり200社以上応募しているが、9割以上、書類選考で落ちる。毎日エントリーし、毎日選考落ちのメールがくる。キャリア形成など気にせずに生きてきたら30代後半で職に困るおっさんになったのだ。

流された人は幸せそうである。

県内有数のバカ高に入った同級生は、高卒で単純労働についたがいい給与をもらっているようである。いい車に乗っているのを見た。私はいわゆる高学歴だが職に恵まれず非正規を転々としながら生きているので給与が低く、車そのものを買ったことがない。塾も本屋もないところから独学で高学歴になったのに、世に流されず真っ直ぐ生きてしまい、見るも無惨な無職になってしまった。流されればよかったと半分本気で思っている。

正しいことをして生きていたら誰かが見てくれていると信じていた。

私が若い頃に形成された価値観は、性善説であった。私への道徳教育は成功していた。ありがとう先生。結果として30代後半、いまだに光(内定)が見えない人間が出来上がったよ。
私のような人間は就活中、まさに面接官のサンドバッグである。私は無職である。何にも所属していない。年は重ねているがこの上なく不安である。歯を食いしばって生きているのである。しかし世間に心配されたりということはない。当たり前である。おっさんの就活など気にされることはない。氷河期世代(リーマン世代含む)の残党の就活など今や誰も気にしていない。サンドバッグとしてちょうどいい。

しかし世間は環境問題は気にしている。

地球の遠く離れた海で、亀がプラスチック袋(ビニール袋)を食べて窒息したと言う。それを遠く離れた極東の島国が気にして国中で対策した。有料が義務になった。徹底していた。地球の裏側とでもいえる位置の生命が困ったらかわいそうだと対策し、身近なおっさんが困っても自己責任と切り捨てる。順序を間違ってはいないだろうか。

「日本人はどうしてこうも馬鹿になったのだろう」

確かに海中のプラスチックゴミは増えているという。プラスチックと海の画像を検索すると確かにやばい。でもそれは失業率を、とくに35歳以降(35歳以降は就職するのが極めて厳しいから。氷河期関係なく政府・経団連などが後押しすべきだ)の失業率を改善してからの話ではないだろうか。
街を歩いてすれ違う人が死ぬ(自殺する)まで追い込まれているかもしれないのに、普段縁もゆかりもない海の生物の心配をしているのは、いかにも現代日本人である。「日本人はどうしてこうも馬鹿になったのだろう」と司馬遼太郎が嘆いていたのをふと思い出す。


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