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人が「自分の能力が”開花”した」と感じることについて考えてみた

「自分のスキルや能力が、”開花”したなと思いましたね」

先日、インタビューの仕事をしていたら、スタートアップ企業のエンジニアさんが満足そうに語ってくれた。

わたしは、その”開花”したという表現がいいなぁと思うと同時に、一瞬の羨望も感じた。私にはそんなふうに思う瞬間が果たしてあっただろうか。人が「自分が開花した」と感じるというのは、一体どういうことなんだろうと疑問もわいてきた。

私にも、かつて「開花」を感じた時があったのだろか……。記憶をたぐりよせてみると、ある意外な体験のことを思い出した。今日は自分の体験も合わせて、人が「自分の開花を感じる」ということについて書いてみようとおもう。

「主体的」に挑んだ時、開花を感じる

インタビューしたエンジニアさんは、日本人なら誰もが知るような大企業で8年ほど勤めた後、スキルアップを求めて自分の意思でスタートアップに転職した。お給料もずいぶん下がったし、当時、専業主婦の妻と2人の子どももいたので思い切った選択だった。でも、仕事が何よりおもしろそうだし、一緒に働きたい人がたくさんいたから、という理由で決断したらしい。

その彼が転職後3年経った今の心境を、"開花した"と表現したのだ。

スタートアップでは大企業のエンジニアがやらないような様々な業務がある。たとえば他の業務委託エンジニアのマネジメントや、他部署や企画担当者との折衝。コストや工期の管理も全て自分でする。技術的にも、それまでより遥かに広範囲のことをカバーする必要があったとのこと。

最初はその業務範囲の多さに驚いたけど、自分の意志で入ることを決めた会社だからと、全て自分で整えていくつもりで頑張ったという。その後、技術部のマネージャーにもなった。これまでは経験できなかったような多くの経験ができて、”自分が開花する”のを感じたということだった。

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桜は毎年、あたりまえのように”開花”する。でも、人は、なかなか自分のことを開花したとは思えないんじゃないだろうか。

インタビューの中で特に多く出てきたのは「自分で決めたことだから」という言葉だった。きっと、自分から「主体的」にする多少の無理を含んだ挑戦は「開花」につながるんだろうなと思う。


ハードな「キノコ狩り」で開花を感じた

そして私が記憶をたぐりよせて思い出した”開花”体験。

それは、意外にも20代後半ではじめて出会った「キノコ狩り」だった。

秋も深くなった頃、毎週末のようにロッククライミングや沢登りをして遊んでいる方たちが、キノコ狩りに連れて行ってくれるというので、友達が誘ってくれたのだ。

「天然なめこ」をとりにいくらしい。

キノコ狩りというのも魅力的だったし、山で遊ぶ人というのにも憧れもあったので行ってみたかった。でも、ハードな遊びになりそうな予感しかしない。行くかどうか迷った。

聞くと、その方たちの小3のお子さんも参加するとのことで、今回は軽めコースにするから大丈夫だよ!とのことだった。子どもが参加するなら大丈夫かも。だって、キノコ狩りすごく楽しそう!と好奇心もむくむく湧いてきて、参加してみることにした。

水上駅で集合。キャンピングカーに乗り込む。そして、車に揺られること30分ほどだっただろうか。どこかの山に連れて行かれた。

「キノコ狩り」には、ほんとうに小学3年生の男の子もいた。それなら大丈夫かな……とホッとしたのも束の間。

「天然なめこは、宝石みたいなんだよね。見つけたときには興奮するよ。ホント綺麗だから楽しみにしてて。じゃぁ、ココから入ろうか」

そう言われた薄暗い森の入口には、まず、道がなくてびっくりした。

道がないどころか、いきなりの急勾配だ。

これまで登山をしたことは何度かあったけど、どんなに細くても岩場でも、いつも道はあったのだ。

でも、キノコ狩りは、道なき道をいくものらしい。いや、急にこれはハードだなと思った。急勾配な上に、道もないので、木の根元を掴みながらどんどん木をかき分け登っていく。小3の男の子は、スイスイと登っていってしまう。聞けば、毎週末のようにパパと山で遊んでいるという筋金入りなんだから、私より体力があるのかもしれない。

いや、でも、ここで私がもたついていたら、みんなのやる気をそいでしまう。というわけで必死についていく。必死に這うようにして山を駆け上がっていく。棘のある植物も多く、足に折れた木の枝が刺さってきたり、手も危険なので、たまたま持っていたグローブを急いでした。

その時は、あまりに必死だったのだけど、ずっと身体を動かすうちに不思議と体の中から何かがゾワッと沸き立ってくる感じがした。自分の中の眠っていた動物的な神経回路が呼び覚まされて、自分の身体が”開花”した感じがしたのだ。

不思議な感覚だった。自分の身体が動物的に研ぎ澄まされて開花していくような感じ。そんな感じを体験をしたのは、あの日が初めてだった。

私は、ずっとロッククライミングとか、危険な山登りをする人達のことが不思議で仕方がなかった。その答えの一つが、見つかったような気もした。


なんとか、みんなのペースについていって、次々と天然のキノコを発見するのは楽しかった。毒キノコとの見分け方もレクチャーしてもらった。

初めて「天然のなめこ」というものを私はそこでみた。薄暗く、しめった土気色の世界の中で、それは本当に奇妙なほどにキラキラと輝いていた。スーパーで見るなめこよりも随分と大きく、こんもりと茂っていて、生命力が溢れている感じだ。

夜はきのこ鍋をみんなで囲んだ。すこしだけ土の香りのする、天然なめこは野性的で美味しかった。

インタビューの彼と、私の開花体験は少し違うのかもしれない。でも何か自分の能力が目覚めて花開いたという感覚は同じかもしれないなと思った。

自分の中に、育っていくものをイメージする

”自分が開花した”と感じるのに必要なものって何なのだろう。

スタートアップ企業の仕事に、彼は主体的に臨んだ。つまり、自分で決めたことだから頑張れた。

これが本当はやりたくないとか、心からやりたいと思っていないのに誰かから「やれ」と言われたことだったとしたら、長時間労働やストレスで身体を壊したり心を病んだりしかねない。

自分で主体的に選び、自分で決めたことであれば、人は納得して努力できる。もし失敗したとしても、むしろ良い経験になるかもしれない。

私がハードなキノコ狩りで一瞬、動物的な能力が目覚めが感じがしたように、少し自分には無理めな挑戦。そしてストレッチした目標にあえて挑んでみるということもポイントだろう。

人が内面で、自分の開花を感じるというのは、自分の中で芽生えたものを大事に育てて美しい花を咲かせるような感覚なのかもしれない。

自分の中で、「こうなりたい」とか「これをやってみたい」みたいな気持ちを、小さな挑戦やふんばりを栄養に大事に育てていく。そして、それが沢山重なって、自分の能力が目いっぱい目覚めて、花が開いたような感覚なのかもしれない。

だから主体的に挑戦したいことを見つけた時というのは、植物に例えれば、芽生えみたいなものなのかもしれない。自分の中に、何かが育っていくというイメージは、なかなかいいなと思った。

私も最近は、自分で考えたストレッチした目標を持つようにして、少しずつ達成するようにしている。開花まではいかないけど、そういえば、ちょっとずつ茎がのびていって葉っぱが育っているような感じがするかも。

もし、そうであれば、桜が毎年、ありのままの姿で美しく咲くように。人だって、何度でも死ぬまでずっと自分自身の開花を感じ続けられるものなのかもしれないな、と思う。

人が自分自身の開花を感じる時、それは簡単に周りの人に目に見えるものではないだろう。どこかで華々しく活躍しているからといって、その人自身が心から満足して自分の開花を感じているかは、本人に聞いてみなければわからない。そんなところもまた面白いなと思う。




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