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「ママ、抱っこ」からの卒業


下の息子が先日、6歳になった。来年には小学生になる。

成長が早すぎて寂しい……と思っていたある日のことだ。

保育園からの帰り道を2人で歩いていた。


前方には、3歳くらいだろうか。女の子とそのお母さんが歩いているのが見えた。女の子の栗色の髪が、ふわりと柔らかく夕日を浴びて輝いている。

すると女の子は不意に、小さなもみじみたいな手をすっと伸ばして、「ママ抱っこ!」とせがんだ。

お母さんは一瞬とまどいながらも、ためらいなく抱っこ。お母さんの身体が、重みでずっしりと歪む。女の子の足が腰のあたりからにょっきりと、とび出ている。

『重たそうだな。大変だよね……、抱っこ』

と、そんなことが胸によぎった瞬間に、私はとんでもないことに気づいてしまった。

『そういえば、もう随分長いこと、抱っこをせがまれてないぞ……!?』

最後に「抱っこ!」とお願いされたのは、いつだっけ?

焦って思い出そうとするけど、さっぱり思い出せない。そんなにも自然に次男は「ママ、抱っこ!」から卒業してしまっていた。水たまりが自然にいつの間にか消えるように、本当にいつの間にか。

息子がまだ小さいとき、保育園から家まで抱っこなしで帰るなんて考えられなかった。10分くらいの道のりだって、落ちている石ころや旗の立てられたコンクリートの重し、ガードレール、息子たちがのぼってみたいもの、触ってみたいもの、見てみたいものは山のようにあった。大人なら10分の道が30分以上かかることはあたりまえ。そんな息子を、私は遠い目をしながら、何度「もういくよ~」と急かしてしまったっけ。

一生懸命励ましながら歩いた後は、もうマンションが目の前だと言うのに、お決まりのように「ママ、抱っこして~」と甘えた口調でせがまれた。

それがあたり前だと思っていた。いつまでも続くように錯覚していた。

けれど、今では保育園の帰り道で、立ち止まるのは稀なことだ。スタスタと歩ききってしまう。

こんな風に、息子たちの「抱っこ」に、突然終止符が打たれるとは思ってもみなかった。不覚だった。もしかしたらこれが最後の抱っこになるかもしれないと、もっと名残惜しく味わうべきだったのに。


ほんのり羨ましく、そして甘酸っぱいような気持ちで、女の子を抱いたお母さんを見つめた。いまでは、かつて私の両腕にずっしりと身を預けてきた息子のあたたかな感触が残るのみだ。

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実は、ほぼ実名でこのnoteを書いていることもあり、息子たちのことを書くときには、事前にこんな話を書きたいのだけど、いい?と確認するようにしている。

下の息子に、今回の抱っこからの卒業のことを書いてもいいか?と聞くと、うれしそうに「いいよ!」とOKがでた。実は、書きたいことはたくさんあったりするけど、却下されることが圧倒的に多い今日この頃。

息子にとっては「抱っこ」からの卒業は、誇らしいことなのだと分かる。

そう思うとほんのりと寂しかった気持ちが、嬉しい気持ちに塗りかえられた。 

今はまだ、両手を広げてこちらから誘えば、抱っこされにきてくれる息子。せがまれることはないけれど、私から誘う抱っこだけは、まだいけそう。もうしばらく、名残惜しく味わおうと思う。

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幼い日の息子の歩く姿。

そういえば、雨じゃないのに長靴を履きたがる時期があったな。



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