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規定未満の名選手たち ~「率」の項目編~

これまで、野手編投手編に分けて規定未満の選手の中で好成績を残した選手たちを見てきた。規定到達者と比べても遜色のない数字を残している選手が結構いることが分かっていただけただろう。

ところで各稿で紹介してきた項目には、打率と防御率がなかった。この二つに限らず率で評価する記録は、値で評価する記録とはまた違う比較の難しさがある。少しくどくなるが、例を示しながら説明していこう。

例えば4打数2安打の選手がいたとする。シーズン日本記録をはるかに上回る打率.500である、といってこれをそのまま鵜呑みにする人はいないだろう。4打数2安打ぐらいならよくあること、積み重ねて規定打席に届くかどうかというところまで行けば.500をキープできないのは、むしろごく一般的なことである(将来キープするだけの素晴らしい打者が出ないとは言わない)。

本来、数の多寡が機会の多寡に左右される点を考慮して、その差を均すために使うのが率ではあるが、極端な値になるとその率も鵜呑みにするわけにはいかない。そしてその「極端」の閾値の基準作りが難しいため、率の記録であっても、その数字をそのまま評価できないことがあるわけだ。

では次は200打数80安打で打率.400の選手はどうだろう。確かに打率はそのまま鵜呑みにはできないが、200打数と言えばレギュラー選手なら50試合を消化したあたり、それで打率.400ならシーズン終盤まで出場してもかなりいい数字を残すのではないかと期待される。感覚は人によるだろうが少々悪くても打率.333ぐらいのところはキープしそうだ。

ならば360打数126安打で打率.350の選手はどうか。ここまでくれば120試合ぐらいは出場しているだろう。シーズン終了まで出ても.350をキープできる可能性が大いにあるし、打率.333ぐらいなら一層可能性が高い。さてそうなると、この選手に期待できそうな打率.333というのは、先の200打数80安打で打率.400の選手と同じということになる。

この場合、200打数80安打と360打数126安打はどちらが上と評価できるだろうか。これを比較するには、上で挙げた期待できそうな値をできるだけ厳密に出す、というのが一番説得力を持つ。そのため、一定の計算式に基づいて統一的に値を算出する必要がある。

ここで思い出されるのは、首位打者の特例である。規定打席不足の選手でも、不足数を打数に加えて算出した打率がなお規定打席到達者の1位の打率を上回るなら、首位打者として認めるというものだ。残りの打席全て凡退しても打率1位というのは説得力があり、非常に筋がとおっているので、これを補正に用いることは誰もが考える。

ただ、これを補正に用いると、不足数が10程度と少なければまだしも、100程度の不足となると補正が強烈になりすぎるきらいがある。例えば先の200打数80安打の選手なら不足は200程度だろう。400打数80安打では、打率.400が.200と半減してしまう。360打数126安打の選手でも、40程度の不足として400打数126安打なら打率.350が.315、許容範囲とはいえ最初のイメージに比べると低い値になってしまう。

不足する打数を補うというアイデアは良いので、次の策として不足の打数分を一定の打率で計算するという案がある。上の首位打者の特例は、不足の打数分を打率.000として計算しているのに等しい。そこでこれを打率.200とするとどうなるか。

200打数80安打の選手は、不足する200打数に打率.200を掛けた40安打を生み出すものとして、分母分子にそれぞれ足して計算すると400打数120安打の打率.300となる。また360打数126安打の選手は40打数8安打を加えて400打数134安打、打率.335となる。最初のイメージにだいぶ近づいた値が出たと言えよう。

ただこの場合、一定の打率をどこに設定するかがまた難しい。上の例では打率.200としたが、1943年はリーグ平均打率が.196なので、平均打率以下の選手は補正をするとかえって打率が上がってしまう。従ってもう少し低い値のほうがよさそうだ、ということになる。

打率についてはこう考えていくと目安が絞れるが、同じように他の記録項目に対しても、一つ一つ検討していくのは大変である。ここを統一するために、本稿では不足する打数または投球回数に対して歴代の規定到達者中最低の成績を適用することとした。具体的には以下のとおりである。

表9-3-1 規定到達選手中、各項目の最低記録
  • 打率 .107 1938年春 山田潔

  • 出塁率 .123 1936年秋 前田喜代士

  • 長打率 .107 1938年春 山田潔

  • OPS .294 1938年春 山田潔

  • 防御率 7.20 1937年秋 重松通雄

  • 奪三振率 1.20 1946年 井筒研一

  • WHIP 2.06 1936年秋 桜井七之助

すべて1リーグ時代、それも試合数が少ない短期シーズン制の時代の数字が大半となってしまったが、現代の感覚からして十分に低い値だということができるだろう。特に防御率のように値が低い方が評価が高い項目については、補正の基準が青天井になってしまうため、他の項目と統一的に基準が設けられるというのは説得力が増す方向に働くだろう。

将来これらの率が更新されないとも限らないし、値の低さは補正の強さにもつながるので、この方法がベストとは申さない。さまざまな考え方があるだろうが、今回はこれで計算してみた、ということでご理解いただきたい。

また本稿では「補正後」の率という言い方をしているが、首位打者特例のように単純に分母だけを増やして計算した値を「特例適用後」の率と表記している。特例が設定されたわけではない他の率についてもこのように表記しているので、ご留意いただきたい。

なおもう一点、出塁率や防御率は年度によって計算式が異なることがある。これについて本稿では「補正前の値は当時の計算式で算出する」「補正後の値は現行の計算式で算出する」という方針を採った。補正前の値は当時の記録との比較を容易にするため、補正後の値は年度をまたぐ比較に際して基準を統一するため、というのが理由である。


表9-3-2 規定未到達者の打率ランキング(上位20位)

さっそく打率から見て行こう。1位のデービスが1987年の数字であるが、補正後でも唯一打率.320を上回っているのは評価に値する。大麻の件や暴行事件などで悪印象がつきまとうが、他の年度の数字を見ても同じような悪印象の選手の中では一等の成績を残していたといえる。

そのデービスが更新するまで36年間1位の座にあったのが、1951年笠原和夫の打率.366である。規定打数に47不足ということで補正の効果が強くデービスを下回ることになったが、リスト中唯一.350を上回る数字を残しており、補正後の打率でさえ同年のパリーグでは打撃2位にランクインする数字である。また首位打者特例の補正を適用した場合でも打率.300ジャストとなり、これでも8位にランクインされる。

表9-3-3 各年度の打率ランキング(規定以上)において相当する順位

デービスは補正後でも特例適用後でも3位にランクインしており、やはりこの中ではかなり評価の高い方に属するといっていいだろう。また数字は決して高くないものの、補正前補正後ともに4位に入る12位の2022年西川龍馬も、順位よりは高い評価ができそうだ。

それ以外でも、上位20人は補正後の打率でも全員が3割を超えており、また規定に到達していさえすれば打撃ベスト10に入っている打者も多く、埋もれた三割打者がいかに多かったかということがわかる。

13位の本堂保次は補正後の打率が変わっていないが、これは1949年の規定到達基準が原因である。この年は100試合以上かつ300打数以上という基準だったが、本堂は76試合しか出場していなかったため規定に到達していなかった。しかし打数は301でクリアしているため、不足の打数というのが生じず補正ができなかったものである。

なお100試合以上を現在の基準で示せばさしずめ310打席以上ということになろうが、本堂は320打席であったためこの点からも規定はクリアしていると言えるだけに、このリストに含めるにはいささかそぐわないかもしれない。


表9-3-4 規定未到達者の出塁率ランキング(上位20位)

次は出塁率である。圧倒的なのが1位のペタジーニで、2位以下を大きく引き離している。この出塁率に首位打者特例の補正を適用すると.435となるのだが、この年の最高出塁率は福留孝介の.401だったため、文字どおりの「隠れ最高出塁率」であった。その後2007年からは最高出塁率にも首位打者と同様の特例が適用されることとなったが、もちろん遡及はなくペタジーニはタイトルを一つ損してしまった。

この上位20人のうち、先ほどの打率の上位20人にもランクインしている選手は6人しかいない。それどころか残りの14人の中には結構低打率の選手も多い。例えば5位の1942年楠安夫は打率.227、16位の1938年春の呉波にいたっては打率.210である。他にも1999年藤井康雄の.245に1955年山本靜雄の.241など、3割未満の選手が9人いる。

楠は68安打に対して84四死球、呉は17安打に対して30四死球といずれも四死球が安打を大きく上回っていた。藤井も79安打に対して78四死球、山本も86安打に82四死球とほぼ同数を記録している。

もっとも楠、呉、山本の3人は規定打席ではなく規定打数が基準だったため、今風に試合数×3.1の規定打席を採用すると打数だけでも規定に到達してしまう。その意味では藤井の選球眼が評価されてしかるべきだろう。


表9-3-5 規定未到達者の長打率ランキング(上位20位)

続いては長打率を見てみるが、こちらも2003年ペタジーニが1位に君臨している。そして出塁率同様首位打者特例の補正を適用すると.644となり、この年の最高長打率はラミレスの.616を上回る「隠れ二冠王」となっている。

そのペタジーニを上回る長打率.6832を記録していた1987年のホーナーは48打席の不足が響いてペタジーニに逆転されてしまったが、補正後でも6割を超えるのはこの二人しかいないだけにそこまで評価が低くなるものではない。

一方、この二人を上回る長打率.719をたたき出した1988年のブライアントは、不足する打席実に101ということで8位にまで落ちている。8位にまで、とは書いたがどちらかと言えば未だ8位に留まっているというほうが正確な評価かもしれない。

長打率と言えばやはり本塁打を打てる選手ほど高い数字を残しそうであるが、規定未満の本塁打数上位20位(21人)にもランクインしている選手は12人である。人により評価の分かれる数字だが、筆者にはちょっと少ないように思う。

むしろ打率3割を切る選手が6人しかいないという点で、長打力も必要ではあろうが安打を量産する能力も兼ね備えていないと、なかなか数字は伸びないのだろう。


表9-3-6 規定未到達者のOPSランキング(上位20位)

打撃編の最後はOPSである。出塁率と長打率という分母の違う数字を足しているためあまり意味がないように見えるが、得点の多少との相関性が強いことから打者の得点生産能力を簡便に測る指標として重宝されており、1.000を上回っていればトップクラスの打者という評価がなされる。

もっとも、上で見た出塁率と長打率でともに2003年ペタジーニが1位である以上答えは簡単、OPSでも1位は2003年ペタジーニであり、そして規定到達選手を含めた2003年のリーグ最優秀の数字であった。補正後の数字でさえ唯一1.000を上回るのだから、この年のペタジーニは規定到達云々に関係なくリーグを代表する強打者ぶりを発揮したと評価されてよいだろう。

以下、出塁率長打率双方で3位に入った2021年オースティンが2位、長打率2位のホーナーが3位、出塁率2位の川口憲史が4位、5位の山本和範も長打率で4位と上位は順当な選出であろう。オースティンとホーナーは補正後のOPSが0.998と0.991で惜しくも1.000に届いていないが、4位以下との差を見れば上位3人は極めて高い評価ができる。

ところが6位には、長打率7位ながら出塁率ではランク外だったモスビーが入ってきている。これを頭に出塁率ではランク外の選手が上位20人中11人もいる。一方長打率ではランク外の選手は20人中4人である。

また、17位の1996年C・Dや18位の2003年清原和博は、出塁率・長打率のいずれでもランクインしていない。C・Dは出塁率が36位の長打率で23位、清原は出塁率が34位で長打率は24位である。さきのモスビーも出塁率は23位であり、やはり出塁率よりは長打率が高い方がOPSには有利に働くようである。

その長打率で8位だった1988年のブライアントは、OPSでは22位と落ちている。これは出塁率の低さというよりは打席数の不足が補正に大きく響いたためである。同じように、補正前のOPSが1.013と文句なしの合格点である2004年のカブレラは、122打席不足のため100位にも入らない状態である。これらは今回の評価方法にあってはやむを得ないところであろう。


続いて投手編に移るが、投手記録の補正をするにはちょっと工夫が必要である。というのも、戦前の規定は登板試合数を基準にしているのが一般的だからである。また1939年だけは完投数が基準になっている。防御率など投手の記録を計算するには投球回数の不足数を出す必要があるのだが、試合数や完投数の不足を投球回数に換算する必要がある。

これについては、以下のとおりとした。まず規定試合数に不足する場合は、1試合につき5イニングの不足として扱う。これは、規定試合数が基準だった各年度において、規定到達者中最も投球回数が少なかった選手の数字を規定試合数で割った値を平均したところ、ほぼ5イニングになったことが根拠である。1試合に5イニング投げていれば規定到達というのは、先発投手の勝利条件などに照らしても、しっくりくるものがある。

表9-3-7 規定試合到達者中の投球回数最少投手と1試合当たりの平均投球回数

もう一つ完投については、1完投につき9イニングの不足として扱う。補正としては結構強めにかかるためどうかとも思ったのだが、ごく単純な換算方法で受け入れやすいこともありこれを採用した。


表9-3-8 規定未到達者の防御率ランキング(上位20位)

さて防御率から見ていくと、1位は1941年の石田光彦であった。通算91勝とあって馴染みのない名前だが、戦前は十字架投法という変則的な投げ方で人気を集めた投手で、実力もあり1940年には16勝を挙げている。

プロ野球創設以来阪急の屋台骨として投げてきたのがこの年南海に移籍してきた。南海でも中心投手として活躍したが、秋季にあまり登板機会がなかったために投球回数が伸びず規定には届かなかった。それでも防御率0.96はそのままだと同年の投手ランキングの3位相当で、補正後の1.38でも4位に入る。

防御率のランキングで特徴的なのが、1960年代から2000年代の選手がほぼいないことであり、8位の1993年伊藤智仁を除けばぽっかり大きな空白期間ができる。

表9-3-9 10年平均での投手記録各種指標の移り変わり

1970年代以降は1チーム平均4人近い投手が規定投球回に届いている。従って規定未満の投手は先発では四番手、五番手クラスであり、リーグ防御率3.50以上と打高投低傾向が進み定着していく中にあってなかなか防御率を下げられなかったことが主な原因と考えられる。

もっとも1960年代、特にリーグ平均防御率2点台もしばしばあったセリーグの投手陣については、ランキングに入ってくる選手がいてもよさそうなのが謎ではある。

長らく固定されていたランキングが2010年代に入って突如動きだしたのは、投手分業制の進展でリリーフ陣の登板機会が分厚くなり、先発投手の投球回数や完投数が減少するというトレンドの中で、先発の三番手クラス、さらに最近は二番手クラスの選手ですら規定投球回に到達しなくなってきたことが最大の理由であろう。

そんな近年の記録では3位の2021年のマルティネスが今のところ最高である。補正前、補正後いずれの防御率にしても防御率ランキングでは2位相当であり、特に防御率1点台というのが1位の山本由伸しかいないだけに評価が高い。

もっとも近年少しずつランクインしてくる投手が出てきているだけに、投手起用のトレンドに大きな変化が見られなければ、このランキングもまだまだ塗り替わっていくものと思われる。

表9-3-10 各年度の防御率ランキング(規定以上)において相当する順位

近年の選手で他に特筆すべきは6位の2016年大谷翔平である。補正後の防御率1.98にしてもこの年最優秀防御率だった石川歩の2.16を大きく上回る「隠れ最優秀防御率」である。指名打者で打率.322、22本塁打と合わせて花開いた二刀流は、打撃投手いずれも規定には届かなかったが総合すれば最大級の評価を与えられるだろう。

もう一人、「隠れ最優秀防御率」となったのが、8位の伊藤である。前半戦での離脱となったがそれまで14試合に7勝2敗の防御率0.91とあって、補正後だと2.00まで下がったにもかかわらず、同年最優秀防御率の山本昌広の2.06を凌いでいる。


あとの2つは、表彰項目ではなく公式な記録でもないが、いずれもなじみが深い項目なのでここで紹介する。1つ目は奪三振率である。

表9-3-11 規定未到達者の奪三振率ランキング(上位20位)

補正後の率で1位になったのは2022年の佐々木朗希である。完全試合で日本タイ記録となる19奪三振、その中に日本新記録の13者連続奪三振を含めたインパクトだけでなく、シーズンを通して高い奪三振率を誇った。補正後の奪三振率11.00に対して、この年の規定投球回以上では千賀滉大の9.75が最高だったので、文句なしに「隠れ最高奪三振率」と言ってよいであろう。

奪三振率最大の特徴は、上位20人中にリリーフ投手がしばしば見受けられることである。中でも唯一2回ランクインしている佐々木主浩がやはり目につく。特に1992年は奪三振率13.85という驚異的な数字を記録しているが、同年の規定投球回到達者の中では宮本和知の8.37が最高だったから、補正後の率でもリーグトップの数字となる。のみならず、特例適用後でも9.35で宮本を上回るので、表彰があったならば佐々木もまた「隠れ最高奪三振率」であった。

もっとも補正後や特例適用後の値でも規定到達者を上回るケースは上記以外にも多く、補正後奪三振率10点台の上位4人はいずれも隠れたタイトルホルダーである。中には13位の石毛博史のように、特例適用してもなお規定到達者を上回ったにもかかわらず、5位の佐々木に抑えられて2位になる、というケースまである。

近年の実力ある先発投手や突出したストッパーがランキングをにぎわせる中、1959年大石清と1958年小野正一の二人がランキングに踏みとどまっているのも好もしい。このうち大石は金田正一に阻まれたが、小野は特例適用後でも見事隠れタイトルホルダーとなっている。


表9-3-12 規定未到達者のWHIPランキング(上位20位)

もう一つ、WHIPを見て最後としたい。これは被安打と与四球を足したものを投球回数で割ったもので、1イニングに出塁を許した打者数の目安といえる指標である。投手の被安打はバックの守備の影響も大きいとされるだけに投手自身の実力を測る指標としては評価しない向きもあるが、分かりやすさゆえに定着しつつあり、1.000を切れば優秀とされている。

この上位20人には防御率で述べたのと同様の傾向、すなわち1950~60年代以前の古い記録と2010年代以降の新しい記録と、両極端に二分される特徴が見られる。

ランキングに入ってこない年代もそれぞれに事情がある。今はチーム当たりの年間四球数(換算値)は400個程度であるが、1950年以前は475.7個とであった。この多さが1950年代以前の記録が入ってこない一つの要因である。

一方1970年代以降は打高投低傾向の影響で被安打が増えたため、というのは防御率と同じ背景だと考えられるが、その後最近の記録がランクインしてきている点については、WHIP自体の提唱が近年のことであり、選手もまたこれに注目し意識するようになってきたことが大きな理由ではないだろうか。

そんな近年組の筆頭は奪三振率トップの2022年佐々木朗希で、この年WHIP0.796という数字を叩き出しているが、規定到達者では0.800を切っていたのは過去7人しかいない。また100イニング以上投げて0.800を切る数字というのは、1970年の村山実以来52年ぶり9人目のことであった。つまり規定未到達者で0.800を切るのは佐々木を含めて2人しかいないわけである。

それが、1位の1966年若生忠男である。補正後のWHIP0.873は唯一0.900を切っており、この年の規定到達者中トップだった稲尾和久の0.846に次ぐ2位の数字であったが、それより何より補正前の0.665という値である。

100イニング以上投げた投手はもちろん、さらに下げて70イニング以上投げた徒手にまで基準を下げても、WHIPが0.700を切った投手は他にはいない。2017年に和田毅が68回を投げて0.618という数字を記録したが、これが若生のWHIPを上回る投手のうち最も投球回数の多い投手である。その和田より50イニング近く多く投げた上でのこの数字は、限定的ながら球史に残るクラスの記録だと評価したい。

表9-3-13 WHIP0.666未満の投手(投球回数順、投球回数10以上)

ちなみに若生よりもWHIPが低かった投手は、60イニング以上で2人、40イニング以上で5人、20イニング以上でさえ9人しかおらず、10イニング以上まで下げてようやく23人と増え始める分布となっている。

若生はこの年逃げ切り用のリリーフ起用が多かったことと、6月に1か月近く二軍落ちしたこととで規定投球回に到達しなかったのだが、二軍落ちの頃のコメントが「フォームがくずれているからコントロールが悪い。とくに変化球の制球力が不足している」である。

18イニングで2四死球、WHIPでも0.444という当時の一軍での成績を見ればにわかに信じがたいコメントで、なにか三味線でも弾いていたのかとさえ思わせる。


以上、規定未満の選手の「率」の記録項目について見てきた。補正のかけ方次第では、出場数の異なる選手でもそれなりの根拠、つまり一定の基準の担保をもって比較ができるようになることはわかっていただけただろう。

そしてこれまでも述べてきたことであるが、各項目において規定到達選手をはるかにしのぐ、隠れタイトルホルダーと呼べる選手がいたことは、規定未満の選手の中にも記憶にとどめるべき選手が多くいることを示している。

過去の選手というものはよほど優れた選手しか後世に残っていかず、他は忘れ去られてしまうのは歴史の常かもしれないが、それでもあの時活躍したあの選手を思い起こし、少しでも現代につなぎとめる縁として、こういうランキングの意義があるのではないだろうか。


最後に、3本の記事で紹介した選手の中から独断で編成したベストチームの紹介をもって本稿を締めたい。

表9-3-14 規定未満選手によるベストチーム(打者編)
表9-3-15 規定未満選手によるベストチーム(投手編)

できるだけ複数の項目でランキングに入っている選手を中心にしたが、単に上位の選手というだけでなく、ポジションや選手の特性なども踏まえて選出したため、似たようなタイプの選手ではずいぶんと取捨選択に悩んだ。

野手についてはその年のポジションを基準に選出したため、特にペタジーニをレフトに起用するについては少々不安があるが、現実的にはペタジーニをファーストに配し、ロペスに代えてレフトにブライアントらを起用することになるのだろう。

また今回セーブやホールドについては紹介しなかったためリリーフ投手の選出がいささか古風になっているが、昨今の起用法でも十分実力を発揮してくれるものと思う。

(追記)
表番号および表のタイトルの修正を行いました。(2023.7.14)

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