生き抜くこと。
私の最愛のばーちゃんは、7年前に虹の橋を渡った。最期の一年間は、アルツハイマー型の認知症になった。だけど、さすが、ばーちゃん!笑いと優しさがより深まった人になっていった。
もちろん、介護するのは楽だとは言わない。時には、言葉が追いつかない気持ちに苛まれた日もあった。本人には、どうにも出来ない思いも、寂しさも沢山あったと思う。
ばーちゃんは、とにかく私を呼びに呼びまくった(笑)ばーちゃん子だった私は、特に苦ではなかったけど体力が付いていかない日もあった。
ばーちゃんは、私が部屋にいくと、それはそれは、可愛すぎる満面の福顔をして迎えてくれる。ベッドで昔話をはじめる。うたを歌うときもあれば、前のめりになりながら踊りを踊ったり(笑)たまに、ベッドから落ちそうになって、焦ったときがあった。とにかく、可愛い人であった。
だが、ある日。
そんなばーちゃんが、壁を見つめて、今まで一度も見たことのない厳しい顔をしていた。私が「ばーちゃん!どーしたの?」と手を握ったら…。いったいこの細い指に手にこんな力が出せるのか?というぐらいの力で握り返してきた。
間髪いれずにばーちゃんは、叫んだ。
「伏せろ!」
と言い放ち私の上に覆い被さった。私は、もちろんちっとも状況なんて理解できない。
でも、ばーちゃんには、見えていた。閃光が。凄まじい爆風。爆音。鐘の音。広がった死の匂い。炎。圧倒する赤色。
ばーちゃんは、戦争の時を思い出していた。
ばーちゃんは、自分の娘の名前を何度も何度も呼びながら、私の体を確かめ続けた。私は涙の止め方を忘れた。ばーちゃんは、言葉にならない叫びをあげていた。
そして、数日後ばーちゃんは、また私を呼んだ。娘の名前ではなく…。
その時の顔は、先日の強い覇気ではなく慈愛に満ちた、全てが許されてしまうような笑顔だった。もう、起き上がれなかったけど、必死に私の手に、小さなブローチを握らせた。
そのときのあたたかさを憶えてる。
「ばーちゃん…?ばーちゃん!」
私は夢中でばーちゃんを呼んだ。
だって、その小さなブローチは形見だったから。
「どうして、私に渡すの!大事なものでしょ!」
嫌な嫌な予感がした。あたたかいのに、優しいのに、胸は早く痛くなるばかり。
「ほら…なぐな。生き抜げよ。」
ブローチが、言葉が、想いが、私の中に流れ込む。同化する。
ばーちゃん、やめてよ。
何でいつも人のことなの。自分のことは、いっつも後回しにして、辛い思いしたりしてきたのに。
何でそんなに、優しいんだ。
ばーちゃんは、ただ、微笑んでいた。冷たくなっても微笑みはあたたかいままだった。
私のばあちゃんは、98歳で亡くなった。
私は、【生きにくさや生きずらさ】を抱えて、持病と共に今も生きている。正直に言えば辛いときもある。打ちひしがれて、泥沼に全て放棄して朽ちてしまいたいと思う日もある。
だけど…顔を上げる。何度でも。
今日も感受性が振り切れないよう
コントロールする。
ばーちゃんが、愛してくれた。
私は、それだけで生き抜ける。
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