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パット・マルティーノ「デスペラード」解説byレス・ポール日本語訳

ジャズギタリストパット・マルティーノの1970年作品「デスペラード」の解説です。思い出して聞きたくなり、解説も読んだら面白かったので日本語訳してみることにしました。

アトランティック・シティで演奏の仕事をしていた時に、私のサインをほしいという少年が両親に連れられて楽屋を訪れたことがあった。少年はギターを習っていると言うので、何か弾いてごらんと私のギターを手渡してみた。そうしたらどうだ、ギターから信じられないものが飛び出してきた。「習っている」だって!! 彼からレッスンを受けるのは私のほうではないかという気持ちがよぎったくらいだ… 彼のプレイの成熟度とクリーンさは見事なもので、ピッキングスタイルはまったく独特だった。ピックをエスプレッソのカップを持つように小指を立てて、とても丁寧につまんでいた。

その丁寧さはピックで弦を弾いた瞬間に消え去り、臆することなく、確信を持ったプレイに変わっていた。明らかに私はとても感銘を受け、その少年のことはずっと記憶に残ることになった。私はその後彼の消息を訪ねる術を失ってしまったのだけれども、このような優れた才能なのだから遅かれ早かれ頭角を現してくるに違いないと思っていた。

その数年後、ニューヨークで演奏している若いギタリストが、そのミュージシャンシップで他のミュージシャンを圧倒しているという話を耳にした。私は早速その噂のあるハーレムのクラブに行ってみた。その事実はもちろんのこと、彼が偉大なギタリストであることは誇張ではなかった。その時に私は彼があのアトランティック・シティで会った少年だと知ったのだった。いま成長して、数年の経験と練習期間を経て、彼は音楽的に巨人となりつつあった。彼の名はパット・マルティーノ。

それからまた6、7年の歳月が流れ、パットと私はかなり親しい友人となっていた。より個人的な交流を通して、私は彼の優れたミュージシャンシップを間近で見届けることができ、パットは素晴らしい男に成長した。彼はギターに自分のすべてを捧げていた。どのような職業でも熟達するためにそれは基本であり、とても重要な要素だ。私のパットへの思いは熟達したプロへの尊敬であり、パットもまた同様であった。しかし誰も100%熟達することなどできない。学ぶほどに、まだ表面を引っ掻いたくらいしかできていないと思い知らされるのだ。

このアルバムでは、パットは12弦ギターで5曲のオリジナル曲とソニー・ロリンズ「オレオ」を採り上げている。この難しい楽器でも彼の熟練度は下がることがない。このアルバムを聞いて自分で判断してほしい。もしあなたがギタリストでもがっかりすることはない。たくさん練習をすればいい。もしかしたら将来誰かが(パットということもあり得る)、あなたのためにライナーノーツを書いてくれるかもしれない。

レス・ポール
1970年6月

レスは初めて会った時にパットにどうやってこのピッキングを学んだかと聞いたそうです。パットは「間違ってるの?」と聞き直したそうですが、レスは「そのままでいい」と言ったそうです。

パットがフィラデルフィアからハーレムに拠点を移したのは高校を中退した16才の時です。その後、パットはレスの家にお世話になりしばらく一緒に暮らしていたということです。

1997年にはパットのアルバム"All Sides Now"で共演もしています。映像は恐らくその頃で、レスのイリディウムでのレギュラーショウにパットが飛び入りした時のこと。


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