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川口ちゃんの衣装計画#121 謎のコラムニスト改め…

※ファッションの話じゃないです。


・言葉の裏に隠れていた不安


先日投稿した記事を自分で読み返してみた。

"読者の人生を変える謎のコラムニスト"になりたい経緯が、自分の生き方を象徴する職業を考えたはずなのに、全体的に逃げ腰というか、「やりたいのかい、やりたくないのかい、どっちなんだい!!」という感じで、なんだか読んでいてモヤモヤしたので、スッキリするためにもう一度自問自答してみた。

その結果、私には問題解決したい気持ちと同時に、ある"不安"があり、そのせいでなんだか自信なさげになっていることがわかった。

それは、【問題解決が下手な人を見るとイラっとするのだが、それは他者を見下して優越感に浸りたいだけなのではないか、だとすればコンセプトに反しているので、このまま進むのはまずいかも】という不安である。


・恥ずかしい記憶


おそらくこの不安は、以前に家族の問題を解決しようとして失敗したときのことに由来していると思う。もう15年近く前、まだ私が未成年だった頃の話だ。

私の両親は毎日のように激しく喧嘩していた。
大抵、喧嘩の原因は父である。気の小さい父が、ことあるごとに母に対して高圧的な態度を取り、それに対して母が怒る。すると父がさらにヘソを曲げる。

二人に仲直りなんてものは無い。いつだって父がしばらくして何ごともなかったかのように調子よく母に話しかけて喧嘩は終わる。終わるというか、終わらされる。母の怒りは無かったことにされる。父が心から母に謝罪しているところを私は見たことがない。

母は父にうんざりしていたし、毎日の喧嘩の声は私にとっても非常にストレスだった。

現状をなんとかしたかった私は、専門家はどうやってこの問題を解決するのかを知ろうと思った。夫婦関係にまつわる本を読み漁り、夫婦のすれ違いの原因と対策の知識を詰め込んだ。

その結果、今はそれが大いに間違っているとわかるのだが、当時の私は"父はもう変わる見込みがないのだから、父をうまくコントロールできない母が悪い"のだと思い、母を責めてしまったのだ。

しかも、私はただ本を読んで知識を得ただけなのに、まるで自分はそれらを完璧に実行できるかのような態度で、いい気になって上から目線で母に意見してしまった。

そんな私に対し母は「どうして相手が悪いのに私が変わらなくてはいけないんだ」「理不尽に対して怒るのをやめたら心が壊れてしまう」「あなたは経験したことないからわからない、本の知識だけで頭でっかちになっている。」と怒った。

本当にその通りだなと反省した。

母のためにいろいろ提案したつもりだったのに、結果的に父と同じようなことをして、母を悲しませてしまったこと、それがショックで恥ずかしかった。

(そもそも私が両親の関係をどうこうしようとすること自体が間違っていたんだけど、当時はその線引きがわからなかった。)

こういう経験があるので、誰かの悩みを見てイラッとしているようでは、それはつまり他者の否定なので、また母にしたのと同じことを、相談者に対して繰り返してしまうのではないのかと不安になったのだ。

私のコンセプトである小さな浄土の"小さな"には、等身大、驕らず、調子乗らず、誠実に…みたいな戒めが込められている。油断するとすぐ上から目線になる自分をどうにかしたくて、このコンセプトを掲げている部分もあるのに、自らまたそんな自分に近づいていくなんて絶対嫌だ。

ただ、問題解決が得意、好きな気持ちも本当なので、言いたい気持ちと言えない気持ちで矛盾が発生して、謎の存在になりたいとか、対面は不安だから文章で答えたいとか、なんだか全体的に逃げ腰になってしまっていたんだと思う。

・あの日の私へ


私の不安が、はたして本当に危惧するに値するものなのか確かめるべく、一人静かに、過去の自分の気持ちに寄り添ってみた。


あの日の私よ。

かわいそうにね。
怒鳴り声、毎日とても辛かったね。

でも、前向きに生きていくために、こんなのどこの家庭でも起きていることだ、大したことないんだ、理論で解決できるはずだって、その気持ちを大袈裟だと思うことにしたんだよね。

本当は、自分の人生の目標を"心から愛する人を見つけて両思いになること"に決めてしまうくらい、苦しかったのにね。

だから今、悩んでいる人を見てると、無意識に過去の自分を重ねて、その時の「こんなの大したことじゃないって思わなきゃ!このくらい簡単に乗り越えなきゃ!」って気持ちがぶり返して、イライラしちゃうんだよね。別にその人を見下していたわけじゃなかったんだね。

ごめんね、辛かった気持ち、大したことだったって、ちゃんと認めるね。

そして、両親に仲良くなって欲しいという気持ち、母に上手く伝えられなかったね。ちゃんと勉強したつもりが、責める相手を間違えちゃって、馬鹿なことをしたね。

きっと小さい頃から母を責める父をずっと見て育ってきたから、無意識に自分にもそのやり方が身についてしまっていて、それでちょっと失敗しちゃったんだよね。心理学的にあるあるだね。

それに、私も苦しかったから、被害者意識もあって余計に責めちゃったんだよね。読んだ本も良くなかったね。ちょっと男尊女卑の考えが強かったね。

でも大丈夫。その時のことは反省してるし、その後いろんな経験も重ねて、前頭葉も発達して、今の私はもっとちゃんと人の心に寄り添える大人になってると思うよ。


・心から楽しめることをしよう!


はー、実は自分へのメッセージを書きながらめっちゃ泣いてしまった。読み返すと大したこと言ってないんだけど、かなりティッシュ使いました。

でも、涙が出るってことは、自分の本音と向き合えたサインでもあるから、達成感があるし、清々しいね。

そして、過去の傷ついた自分を認めてあげたら、自ら人の悩みに口出しにいこうみたいな気持ちが見事に消えてしまった。聞かれたら答えるくらいでいいや(笑)

改めて、コンセプトに合っていて、かつ純粋に、軽やかな気持ちで楽しめることを職業にしたいな。

私は問題解決が好きだし、文章を書くのが好きなことは変わらない。

でも、誰かと関わるんじゃなくて、こうして自分と向き合ってる方がいいや。楽しいし、自分が救われるから。他者を否定しようとしていないことはわかったうえで、あえて関わらない方を選びたい。

先日の記事を投稿した際に、私が既に人生変えるコラムニストだなんて、超嬉しいことを言ってくださるJJGの方々がいらしたけど(※そうです自慢です)、自分のために楽しくファッションのこと書いていて、それが意図せず誰かのためになっているなんてさ…これこそ理想よね。

だからこのブログの、ファッションではなく人生版みたいなことをやりたい。ファッションも人生なんだけど、もう少し幅を広げて。

そうなると、職業はコラムニストというよりエッセイストになるのかな。そんなこと言ったら自問自答ガールズほとんどエッセイストじゃーん!て感じがするけど、まあいいか。とりあえず。

誠実に自分の気持ちを綴るエッセイスト、自分の心に、タイミングがあえば読者の心に、小さな浄土をつくるエッセイストになるぞ!

実現のために、こことは別に新しいアカウントを作ろうかな。私の中でここはファッションについて自問自答する場になっちゃってるので。

あと、他者と関わらないとか言ったけど、こうして衣装計画を書いてきたおかげでたくさんの方々と出会えたので、節目で自問自答ガールズの方と記念対談みたいなことがしたい。そしてそれを文字起こし形式で載せたい。どんなテーマになるかは未知だけど。最初の節目は、そうだなあ、第10回…それはさすがに早すぎ?!



さて次回は、小さな浄土をつくるエッセイストはどんな服を着ているのか、自分が着ている、着たい服とどれくらい距離があるのか、みたいなことについて考える。たぶん。

タイムリーに、夫が松浦弥太郎さんの"エッセイストのように生きる"という本を読んでいたので、借りて私も読んでみよう。何かヒントがあるかもしれない。

信じないことが信条🍤