川口ちゃんの衣装計画#125 エッセイスト改め…
・エッセイスト取り下げます
先日、コンセプトを"小さな浄土をつくるエッセイスト"に決めた。
けどやっぱり、なんか違う!!!
コンセプトにしたからには行動をしようと思って、ひとまずエッセイ用のアカウントを作った。
本当は、後々ZINEにできるくらいひとつひとつのエッセイを丁寧に、そしてコンスタントに投稿するぞって思っていたけど、いざ場所を設けたら書きたいことがわぁぁーっと頭の中に溢れてきて、あっという間に下書きの山ができてしまったので、諦めて荒削りのまま投稿している。理想の形とは違ったけど、とても楽しい(そしてせっかくなのでZINEにもしたい)。
でも、やってみて、私はエッセイストなのか、そう名乗りたいのかと言われると、それは違うなと感じた。自分が感じたことしか書けなくて、それが出来るかどうかは別だけどお金を稼げる文章は書く気になれない。やっぱり私にとって文章は趣味の域なんだと思う。利益目的ではなく、書かずにはいられないから書くなんて、それこそ真のエッセイストっぽいけど、なんていうか私が思っているエッセイストとは一致しない。
とにかく、このままコンセプトに掲げているのがむず痒いし、エッセイストというワードが自分のファッションの向上には繋がらない気がするので、一旦取り下げることにした。
・等身大の自分って?
こんな感じで、私は自分の中だけで勝手に決めているコンセプトですら心と一致していないと嫌だし、ファッションも、裸(※概念)に合わせられるくらい自分らしい物しか持ちたくない!って気持ちになることがしばしばある。
でも、等身大の自分ってなんなんだろう。
私って、どんな人間?
あきやさんの新刊に、自分の文章の傾向をファッションのヒントにしてみようという内容があって、今まで書いてきたnoteを振り返ってみたけど、自分の書いたものってコンテンツであることよりも記憶であることの方が勝ってしまって、客観視が難しかった。
Twitterでそのことをつぶやいたら、ゆとりさんが、このアカウントの私はかわいらくして瑞々しい印象、小さな浄土の方はしっとり大人な感じがすると教えてくれた。
どうやら私は出産してから変わったらしい。なんとなく自分でもそんな気がしていた。生きていると自分はどんどん変わっていく。そばにいる人、出会った人々によっても変わる。人間は接する人間の数だけ人格があるという、学生の頃に読んだ平野啓一郎さんの本を思い出した。それなら等身大の自分って追いかけても仕方ないのかもしれない。ファッションはコミュニケーションツールだから、唯一の正解があるわけじゃなくて、その都度、どの私を選ぶかって感じなのかな。
・浄土、つくる段階でいいのか問題
等身大の私について考えていたときに、普段の私をよく知っているであろう夫にも、私ってどんな子?と聞いてみた。
返ってきた答えは「明るくて…元気。」だった。
え、それってつまり、えいたそってこと?と聞いたら、真面目と純粋が追加された。その二項目でえいたそと差別化がされたのかは謎だけど、とにかく夫にとって私はそんな風に見えるらしい。私は自分をそこまで元気じゃないと思っているのでびっくりした(ちなみにしっとりは否定されてウケた)。
明るくて元気か。夫の前では常に浄土で生きていられているらしい。そりゃよかった、と思いながら、夫の目に映っているであろう明るく元気な自分をイメージしたんだけど、そのときに、なんか、浄土をつくる段階よりも、そこにいる段階の方が、服や生き方をイメージしやすいことに気づいた。
浄土は夫以外にはたぶん提供できてないから、頑張ってつくることを目標にしてたけど、もう在る、そしてそこに居る前提でコンセプトを決めても、いいのかしら。その方がより理想に近づけるのかしら。え、そんなことしていいのかな。実力が伴ってないのに、在るってことにしていいの?庭で植物を育てた経験もないのに、浄土に、天才すぎる庭師の権田眞理子さんの庭みたいに、夢のような花々を咲かせていいの?
…いっか!!!脳内だし!!!!
ということで、もう開き直ってコンセプトを小さな浄土があるという前提で"小さな浄土の楽しい一日"に変えることにした。
"楽しい一日"にしたのは、どんな仕事をしていても、どんな出来事があっても、日々の暮らしはそれ自体が楽しいことだと思っているから。それを忘れたくないし、そう思える平和が続いて欲しいから。
正直そこまで悩み抜いて決めていないので表現は微調整するかもしれないけど、絵本や児童書のタイトルみたいで可愛いなと思ってわりと気に入ってる。読み終わったときに絶対明るい気持ちになれる、この世界に行きたい!って思える作品のタイトルっぽくないですか。
だからこれからは、小さな浄土で毎日楽しく生きていそうな服を着ることにする。そして私が感じた日常の楽しかったことを、エッセイにする!今日はとっても楽しかったね。明日はも〜っと楽しくなるよね、ハムた(ry。
・エッセイ執筆部屋のその後
ところで、先日、自室の模様替えをして、エッセイを書きたくなる部屋を作ったんだけど、その後どうなったかというと、エッセイストをコンセプトから取り下げるより前に物置きと化した。
というのも、あれから娘が成長して、移動能力が身についてきたのだ。
お昼寝しているときでも、寝返りしてあちこち行ってしまうので、常に目の届く範囲に娘が居ないと心配になってしまって自室にはほぼ入らなくなり、どうせ使わないのならと、厳かにノートPCのみが置かれていた執筆用のデスクを、ハイハイが始まった時のために床にある物を一時的に避難させておく場所にしてしまった。
さらば、エッセイスト部屋。一瞬だったな。でも良い発見もあった。あらゆる荷物をこの部屋に置くにあたって、ゆとりを持って置いていた自分の持ち物をキュッと寄せ集めて置くようにしたんだけど、そのごちゃっとした感じが、暮らしている感が出てかなり好きだということに気づいた。私、ミニマリストに憧れているけどゴチャゴチャしたインテリアの方が合ってるみたい。
信じないことが信条🍤