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ゲーム・オブ・それーんず

 ソ連の娯楽産業は慢性的に低調であったが、やがて娯楽振興に向けた動きが始まる。1970年、ソ連文化省の調査団が日本、米国、西ドイツの遊園地や関連産業を視察。同年中にはチェコスロバキアの遊園地を期間限定で誘致し、採算性をテストした結果、極めて良好な結果が得られた。そこでさらに、国際的な遊具博覧会が企画されることになる。

アトラクション'71

 1971年8月、文化省と連邦商工会議所が音頭をとり、モスクワで遊具博覧会「アトラクション'71」が開催された。米国を中心に、ヨーロッパや日本など11か国から50社が参加し、屋外用のアトラクションや、屋内用のアーケードゲーム機を展示。来場者はその全てを体験可能であり、3週間で250万人が来場する盛況ぶりであった。

 この博覧会の模様はユース向け技術雑誌「Техника Молодёжи(若者の技術)」誌でも非常に好意的に紹介され、2号にわたってカラー写真入り計7ページの特集が組まれている。

 同誌の記事から確認できる日本企業は、株式会社トーゴと伊藤忠商事であるが、SEGAも出品していたようだ。

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Техника Молодёжи誌1971年№11より。ページ中央の写真に見える「ビックリハウス」は、記事中でも絶賛されていた。恐らくトーゴの出品と思われる。(画像は http://zhurnalko.net/ から)

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Техника Молодёжи誌1971年№12に掲載された「アトラクション'71」のレポート(画像は http://zhurnalko.net/ から)

 当時はまだTVの普及率も高くはない。ソ連の場合、1970年のTV普及率は、100家族あたり52台。そんな時代に、画面の映像(厳密には必ずしもそうではないが)を操作できるアーケードゲームは画期的であった。

国産化と、ソ連ならではの事情 

 ソ連はこの博覧会に出品されたアーケードゲーム機を買い取り、これをベースに、特に人気の高かった機種の国産化に向けた研究を開始する。なお、権利関係は黙殺されたようである。1974年には生産にこぎつけ、翌年から供給が始まった。

 生産は、主に軍事関連の工場が担当することになった。当時としては高度なエレクトロニクスを必要としたが、然るべき技術を有しているのは、主に軍事産業だったわけである(もっとも、軍用と平行して民生品の製造が行われるのは珍しくない)。

 構造の簡略化によるコストダウンも図られたが、それでも価格は一台あたり2~3000ルーブル台と高額になった(当時、最も安価だったソ連産乗用車が3500ルーブル)。製造にあたり、新規に部品製造は行わず、各工場の既存の部品を流用した他、非鉄金属も多用された事が、価格高騰の要因となった。このように高価かつ複雑な部品を多用したものの、マシンの性能向上には繋がらず、多分に無駄が多かったようだ。

 また、軍事工場の規程に則って生産されたため、筐体には工場名など、生産源を示す記載は無い。

ソ連におけるアーケードゲーム

 ソ連崩壊まで100種ほどのアーケードゲーム機が製造されたとされるが、この数字にはマイナーチェンジを経たモデルも含まれており、正確なところはよく分かっていない。また、維持の難しさや人気の低さから生産停止したモデルもあった。

 これらのアーケードゲームは遊技場やカフェ、映画館、ホテルのロビーなどに設置された。一律で1ゲーム15コペイカ。当時の地下鉄運賃が5コペイカであるから、安いとは言えない。しかし非常な人気で、採算性は極めて高かった

 ソ連製のアーケードゲームの最大の特徴は、ギャンブル性の排除である。無論、これはギャンブルを良しとしないイデオロギー所以で(とはいえ、ソ連にも宝くじや競馬は存在した)、プレーヤーが金銭ないし高額賞品を取得することがあってはならなかった。一定以上のスコアで得られるのはボーナスゲームか、せいぜいちょっとした記念品であった。

 1991年まで生産は続いたが、ソ連崩壊後は外国から持ち込まれた最新のハードの前に需要は激減し、廃棄されていった。

体験型ミュージアム

 2007年4月、モスクワにオープンした「ソビエトのアーケードゲーム博物館」は、有志が収集しレストアしたアーケードゲーム機を公開したものである。博物館スタッフはその後も収集を続け、レストアと動態保存に努めている。当然ながら部品は既に生産されていないため、時には共食い整備も行いながら、実際にプレイできる展示を維持している。

 筆者は2013年、留学生のミキさんにご協力頂いて、某サイト用に同博物館を取材した(現在はリンク切れ)。写真の質がヒドイが、どうかご勘弁願いたい。本当は改めて撮り直しに行きたいのだが、なにしろめんどksコロナ禍なので無理である。

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 2013年3月当時の館内の様子。ラウンジもあり、ゆっくり楽しめる。

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