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ソ連を知る本 1

 ソ連についての本、といっても、歴史とかソ連邦政治システム概論とか来るべきソビエト軍北海道上陸作戦に備えよ等といったものではなく、往時の生活とか文化を垣間見られるような書籍を紹介したい。

 とはいえ基本的には、たまたま自宅にあったので読んだ、というだけの本が多いので、決して、「ソ連を知るにはこれを読め!」というお墨付きを与える類のチョイスではない事を予め断っておきたい。

シベリア追跡 椎名誠 小学館 1987年

 1985年、大黒屋光太夫の足跡を追うTVドキュメンタリーの撮影隊に加わり、シベリアを横断した椎名誠による紀行。冬のシベリアでラーメンを作り、立ちションをし、二日酔いに苦しみ、よく分からないビールを飲み、夏のシベリアで蚊柱を見、モスクワとレニングラードで激動直前のソ連社会を体感する。椎名節前回で愉快なエピソードに溢れているが、およそ愉快ではないソ連の実情を垣間見る観察眼は精緻だ。非効率、大雑把、テキトー、無愛想といったソ連の生活や構造を、時に市民に近い目線で体験している記述は特に面白い。ソ連を多少なりとも知る身としては、例えば買い物をする下りで「レジの女はドバドバドバッ!と怒り狂ってキイを叩き」などという描写はツボだ。

 ソ連とは関係が無いが、冒頭の、荒涼とした米領アムチトカ島(大黒屋光太夫一行の漂着地)で一行がキャンプする描写がたまらなく好きで、何度読み返したか分からない。

 文庫版や電子版もあるが、私の手元にあるのはハードカバー版。挿入されている写真の数に違いがあるのか分からないが、多いに越したことはないだろう。

ロシアにおけるニタリノフの便座について 椎名誠 新潮文庫

 「シベリア追跡」に先立ち、椎名誠が「小説新潮」に寄せた体験記を収録。表題から察せられる通り、一行が旅先で否が応にも向き合わざるを得ない、ソ連の便所との過酷な邂逅を描いている。その残酷無比な五感蹂躙型の実態の描写は圧倒的迫力に満ち、あたかも文章という形でトラウマを昇華させる作業なのではないかと疑わせるに足る。

 内容としては「シベリア追跡」と被る部分が多く、表題作の20数頁以外はソ連とは無関係のエッセイである。念のため。

 なお、ソ連時代と比してロシアのトイレ事情は格段に向上したとはいえ、それでもなお国家の品格を問わざるを得ない重大課題である事に変わりはない。

ソ連自動車旅行 桶谷繁雄 文藝春秋新社 1961年

 本書を知って興味を持ったところ、即座に友人からプレゼントして頂いた。ありがたい限りである。

 1960年、東京工業大学の桶谷繁雄助教授(当時)をリーダーに学生らが国産自動車4台で、ソ連を含む欧州12か国を走破した記録である。自動車の性能テストと、日本の自動車工業力の宣伝が主目的で、走行距離は実に1万5千キロメートルに及んだ。マルセイユをスタート地点に、ソ連を経由して当時の東西陣営をスクロールするような大移動である。

 本書で再三述べられている通り、著者は当時の所謂進歩的文化人と呼ばれた人々の親ソ的態度に元々懐疑的だったようだ。それを差し引いても、あるいはそれ故に、というべきか、桶谷教授のソ連評は明瞭かつ手厳しい。何といっても、ソ連の農家の貧しいこと、民需製品の質量ともに貧弱なことは特にショッキングであったらしい。

 また、自動車輸送が未発達で、田舎では馬車に頼っている記述もある。数年前、ロシアでノヴォチェルカスク事件(1962年、ソ連のノヴォチェルカスク市でストライキが暴動に発展した結果、軍に鎮圧されて夥しい犠牲者を出した事件)の映画を撮影する際、現場から「車道を走る自動車を調達したい」と言われたプロデューサーが「ねーよ!モスクワでさえ車なんてロクに無かったんだから、ノヴォチェルカスクなんて馬車だよ!」と呆れ気味に答えたエピソードが思い出される。

 本書で印象深いエピソードは、ソ連のインテリ青年との会話である。青年の嘆き節と、自由に焦がれる思いは、体制による抑圧の理不尽さと、そこから逃れられない絶望感に溢れている。この青年がソ連の終焉まで生き永らえ、自由な空気に触れられたことを願うばかりである。

 ここまで書くと、いかにも暗く陰鬱な旅かと思ってしまうが、一方でソ連の素朴で親切な人々との邂逅もあり、写真も多く挿入されているので、紀行文として純粋に楽しめる。もちろんソ連以外の諸国遍歴も、まだ海外旅行が珍しかった時代の感覚を伝える優良な記録となっている。古書での入手か図書館を頼るか、本書にアクセスするのは少々困難かもしれないが、ぜひ一読をお勧めしたい一冊だ。


きまぐれ体験紀行 星新一 講談社 1978年

 手元にあるのは古い講談社版だが、今は角川文庫版が入手しやすい。内容は同じだし、旧版も写真は挿入されていない。違いといえば、旧版は装丁が和田誠であることだ。表紙のホシヅルが嬉しい。

 1975年、ソ連作家同盟の招待で北杜夫、大庭みな子ら3人でモスクワ、レニングラード、バクーを訪れた記録。バクーでは、世界各国の作家が集う文化祭とやらに出席している。招待旅行ゆえに何かと優遇されているのは星さんも重々承知で、そのためか、旅先の描写も割と淡泊。モスクワで初めてバクー行きを告げられたそうで、随分と大雑把な話である。星新一らしい簡潔明瞭な文体で、まったく日常の延長のように旅程が進んでいく。

 紀行文としてはまあ、当たり障りのない内容で、これといって特筆すべきエピソードもないが、レニングラードへ向かう寝台特急で発生した「赤い矢事件」はなるほど悪夢のような珍事件で笑ってしまう。このほか、東南アジア、香港、台湾、韓国を旅した記録と、断食療法の体験記を収録。昭和50年代前半の話であるから、現在の事情と比べつつ読むと楽しいだろう。

 なお、文庫版だとソ連旅行は1976年9~10月であるかのような表記だが、雑誌掲載時期が昭和51年2~4月号なので、誤りであろう。1975年と考えて、ほぼ間違いない。

ほろ酔い加減のロシア ウォッカ迷言集 狩野亨

 ロシアクラスタの友、ユーラシア・ブックレットより。ほろ酔いどころか泥酔では、というツッコミはさておき…いやだめだ、表紙からツッコむしかない。

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 表紙からしてコレである。本文中の写真もだいたいこんな感じである。

 著者の狩野亨氏は、1962年にソ連に留学。以降、ソ連・ロシアに深く関わり続け、翻訳、研究、教育に従事されてきた。私の家族とはとても古い付き合いで、なにかとエピソードの多い御方なのだが、ご本人の名誉のためにも、軽はずみに書くわけにはいかない。だが、なるほど、このような本を書きそうな愉快な方なのである。本書は、狩野氏がロシア人を相手にアルコールと二日酔いを分かち合ってきた貴重な記録である。

 酒にまつわるエピソードが満載な他、酒にまつわる隠語に俗語に言葉遊び、飲酒文化に酒ジョーク。その一部は、時代とともに失われしまっている。ジョークにしろ言葉遊びにしろ、ロシア人らしいユーモアにあふれており、時に痛快で時に物悲しく、時にミもフタもない破れかぶれ具合である。象牙の塔に居ては決して知り得ない、街の隅っこのリアルな空気が描写されている。

 狩野氏が歩んだ痛飲街道は、図らずも貴重なフィールドワークとなって、我々に無二の記録を残してくれた。真の敬意を表しつつ、だが酔い子は決してマネをしないように

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