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なにソ連?おいしいの?

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主にソ連、時々ロシアの生活とかデザインとか博物館とか、そんな話題をお届けしたりしなかったり。
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#ソ連

電話の歴史博物館

 今や「ダイヤルを回す」という表現など、すっかり死語だろう。通信の進化の結果、電話はもは…

露傍の石
2週間前
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A.E.フェルスマン記念鉱物学博物館

 鉱物というのは少なからず熱烈なマニアが存在する分野だが、門外漢には、その面白さは今一つ…

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露傍の石
2年前
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ゲーム・オブ・それーんず

 ソ連の娯楽産業は慢性的に低調であったが、やがて娯楽振興に向けた動きが始まる。1970年、ソ…

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露傍の石
4年前
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パッケージに包まれたなら(後編)

”きっと 目にうつる 全てのことは パッケージ” 1930~50年代は、パッケージや広告デザイ…

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露傍の石
5年前
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パッケージに包まれたなら(中編)

”パッケージに包まれたなら きっと 目にうつる 全てのことは メッセージ” そう、全て…

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露傍の石
5年前
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モミの木は残った

 モスクワもいよいよ、街中がツリーだらけである。  ロシアではクリスマス、正月、ツリーの…

露傍の石
4年前
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モスクワの灯り博物館

 街灯が、我々にとってすっかり当たり前の存在となって久しい。しかし当然ながら、それが当たり前ではなかった時代もあった。星と月明かりのみの夜の街は真っ暗。不便だし、なにより治安がよろしくない。街灯は、技術の進歩がもたらした、ありがたーいものなのである。  モスクワに初めて街灯が出現したのは、1730年12月。木製の柱にブリキのランプ。大麻油を使った弱々しい灯りでも、当時は画期的。もっとも、点灯は手作業なので手間がかかるし、上質な大麻油はよく盗まれるし、苦労は絶えなかった模様。

どです家電

 くそみてえな1年が終わろうとしているこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今月は少々…

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露傍の石
3年前
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インド人を右に!

 今月は本当は博物館レポをするつもりだったのだが、多忙と怠惰が重なり、頓挫。やむを得ず、…

露傍の石
2年前
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私を映画に連れてって 70年代からソ連末期まで

 今回は70年代以降のポスターの筈だったが、前回、60年代の児童向け映画のポスターを4点+1を…

露傍の石
3年前
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私を映画につれてって 30~60年代の映画ポスター

 今回は、ソ連の1930~60年代のポスターを見ていこう。画像クリックで拡大可。  アヴァンギ…

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露傍の石
3年前
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私を映画に連れてって

 そういえば以前、「銀幕のソ連史」で、映画史の話をシリーズ化していくような事を言ったな?…

露傍の石
3年前
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ギヤ・カンチェリ

 10月2日、ソ連・グルジアの作曲家ギヤ・カンチェリが、トビリシで死去した。享年84。旧ソ連…

露傍の石
4年前
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銀幕のソ連史 戦利品繚乱

 前回、作曲家ギヤ・カンチェリの死を悼み、短いながら、カンチェリが楽曲を提供した2つの有名映画作品に触れた。今回は、ソ連市民の大事な娯楽、映画について略述していこう。例によって、筆者の気力、体力、知識(つまり必要なものほぼ全て)が不足気味であるため、数回に分けて投稿していく。  映画史の観点からいえば、革命後、かのエイゼンシュテインらがもたらした画期的な撮影技法の数々が極めて重要な意味を持つ。しかし、これらは既に専門的な文物が多く、今さらここに書くまでもない、というか正直よ