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能登のがれきのお片付け【災害ボランティアとはこういうもの】


能登のがれきのおかたづけ【災害ボランティアとはこういうもの】

七尾市に4月1日から3日まで、ボランティアに行ってきました。

災害ボランティアです。

災害復興は巨大な「直す」、巨大な「お片付け」ですね。

ボランティアには壁がある

災害ボランティアをぼくが初めてしたのは2018年です。

それまではしたいと思ってもなかなかできなかったのが正直なところです。

ボランティアをしたくないという人もいると思いますが、その理由としてよく聞くのが、「本気で助けたいという気持ちがないのにやろうとは思えない」というものです。

それはそれで構わないと思います。

そもそもやっているぼくでも思うのは、結局「自分に納得できるか」「自分のためにやっているか」ということだからです。

ぼくは黙ってみているわけにはいかないという気持ちが湧き上がる人間なので、やっています。

でも、2018年までできなかったのは、ボランティアをすることに対して「こわさ」があったからです。

ボランティアをしたくてもできない方も多いですよね。

そういう方の中には、

「行っても足手まといになるのではないか」

「どう手続きすればいいか分からない」

「やったことがないから状況が見えなくてこわい」

「準備したものが、現場で足りなかったらどうしよう。え?そんなの持って来たの?とか思われたらどうしよう」

「泊まる場所とか食べる物とか自己責任だよね。不安だなあ」

こんな風に思っている方が多いと思います。

まさにぼくがそうでした。

今でもそうです。

さかのぼると阪神大震災の時、ぼくは高校生でした。

その時テレビを見ながら、

「次の大きな震災が起きた時は絶対にボランティアに行こう。」

と思っていました。

でも、2011年東日本大震災の時、結局ボランティアに行けませんでした。

仕事で忙しかったというのも理由ではありますが、一番の理由は、気持ちで負けたということです。

さっきのようなことをいろいろ考えているうちに、「結局行かない方がいい」と自分に言い聞かせたんですね。

結果として、テレビの情報を見ながら自分を責めて鬱みたいになったのを覚えています。

ただ、翌年、宮城に住んでいる友達もいたので東北には行きました。

1年経っても復興は進んでいるとはいえない状況に絶句です。

それでもボランティアはせずに帰ってきました。

やはりボランティアの壁をぼくは越えられなかったんです。

ボランティアは以前よりも参加しやすい

転機は2018年の西日本大豪雨です。

父の地元広島が被害を受けました。

ぼくは小学校のころに毎年広島の安浦というところに遊びに行っていたのですが、その安浦がひどい水害を受けていることがテレビでやっていて、心が動きました。

すぐに行動に移せたのは2つ理由があります。

1つは、社会福祉協議会がボランティア体制を整えてくれていたことです。

東北の震災の後、反省をもとに、情報を整理し、必要なところに必要な手を入れるために、また、余計な二次災害やトラブルを生まないためにそうしたシステムが確立されました。

なので災害が起きたら社協のサイトを見るとよいです。

そこにボランティア受け入れについていろいろと書いてあります。

申し込みもしやすいです。

その時の広島の場合は「当日の朝○○時から受付です。そこで仕事が振り分けられます」みたいな感じです。

最低限の装備さえあれば、後は現場に行くだけです。

必要なものは事前に案内があるので、それに従えば大丈夫です。

お手伝いする時間も決まっていますし、リーダーがいて、導いてくれます。

ボランティアの人がけがしたり、倒れたりしないように配慮されています。

ただ、その時は真夏の炎天下の中、民家に入ってしまったどろかきをしたので、かなりの重労働でした。

熱中症対策が必要でした。

終わったあとは解放されて自由に過ごせます。

その時は近くのホテルが大浴場を無料開放してくださり、癒されました。

もう一つ参加しやすかった理由は、父が広島にいたことです。

父の家に泊まることができるので、それが一番ハードルを下げたと思います。

前日に父の家に泊まり、そこから車も借りて現地に行けますし、終わった後はまた父の家に泊まれます。

泊まる場所と移動手段が一番大きなハードルだと思います。

特に、現地にどうやっていくの?というのは大きなハードルですよね。

車があれば車中泊でもできます。

でも車がない場合はけっこう困ります。

その辺のハードルがクリアできればかなり参加しやすくなります。

ちなみに社協のベースになるところには車が止められました。今回行った七尾市の社協もとめられました。

ここも確認が必要ですね。

ただ、車で行くとなると、遠隔地に行く場合は行きと帰りの消耗も考えないといけません。

そうすると時間にゆとりが必要ですし、それだけの日数の確保という問題もあります。

今回七尾市で出会った方は、近くの道の駅で車中泊をしていました。

そうした場所を下調べしておくことも大切です。

炊き出しのボランティア

社協で説明を受けている時にふと思いました。

そこにはがれきの撤去・仕分け・運搬のためのボランティアしかいません。

(あれ?よく炊き出しのボランティアとかやってるよなあ。岐阜の友達も能登に炊き出しに行って来たっていうけど、炊き出しの人ってどうやってボランティアに入っていくんだろう。社協を通さないの?)

ぼくもよく分かっていなかったのですが、炊き出しのボランティアに参加するにはどうしたらよいのでしょうか。

今回現地で聞いたところ、個人での炊き出しは社協の管轄ではありません。

金沢の社協のサイトに行くと、団体での炊き出しの募集がありました。

なのでどこかの団体に属していない場合は、社協を通さず、完全に自己責任になります。

かつて友人が東北に炊き出しに行ったことがあるそうです。

個人で行っているので出せる食材の量はそう多くありません。

あっという間になくなってしまい、

(もうないの?)

という反応をもらってしまったそうです。

善意でやっていることなのに、どちらにもすっきりしない気持ちが生まれてしまいます。

炊き出しで支援したい場合は、団体に属するか、誰かの縁などで行って、需要と供給があうように行うことが大切なようです。

七尾市のボランティア(2024年4月1日~3日)

能登は東京から車で6~7時間です。

決して近くないです。

行きたい行きたいと機をねらっていましたが、広島のように泊まる場所はありません。

やはり色々な壁が立ちはだかります。

そこでピンと来たのが、2019年に行った南相馬のボランティアです。

災害が起きるとカトリックのカリタスジャパンという組織が動きます。

被災地のカトリック教会をボランティアベースにし、そこからボランティアを派遣するような形です。

宿泊もできる場合があります。社協とも連携します。

能登の災害でベースになっているカトリック教会を探しました。

ありました。車で行けますし、宿泊もできました。

社協と連携しているので、こうしたベースがあるとかなりハードルが下がります。

ボランティアの内容は、災害で出てしまったがれきを分別し運搬するという仕事です。

この仕事をボランティアが担うことは初めての例だということで、以前は金銭を払ってやってもらうというものだったそうです。

ボランティアが担うことで、大人数で一気に片づけるということができるそうです。

今は「自然にやさしい復興」ということが掲げられていて、災害ゴミであっても分別する必要が出てきているんですね。

ただ、被害の大きい奥能登の方のがれきに対してそれをしてしまうと、まったく復興が進まないので、どこまでやるかというのはどんな災害のフェーズにあるかで変わって来るところです。

これはぼくの個人的な感想ですが、こんなに一生懸命分別して、「環境」を意識しているのに、原発が壊れたら一発で、こうした努力は水の泡ですよね。

だったら原発とめたほうがいいのでは?と思います。

もしくはごみの分別なんてやめて、もっと他の支援をして復興を早めたいと思いました。

ぼくはどちらかというと分別賛成なので、原発やめてほしいですね。

人口が減っていく社会なので、電力もいずれ減っていくとも思っています。

ボランティアには楽しいこともたくさんある

話がそれてすいません。

ボランティアをしていると様々な惨状を目にしたり、悲しみに出会ったりします。

そうしたことを放っておけなくてボランティアをしているのですが、決してつらいことだけではありません。

そもそも陰鬱な顔で支援しても誰にとってもプラスになりません。

お手伝いしに行く以上、元気でなくてはいけません。

笑いや笑顔は自然になくてはいけません。

出会い

ボランティアの一番の楽しさは出会いだと思います。

現地の方との出会いもそうですし、ボランティアをしに集まってきた人同士の出会いもそうです。

特にボランティア同士の出会いは、いろいろな地方から来ているので、話題に事欠かないですし、とても新鮮な出会いです。

同じ立場ならではの話しやすさもあります。

今回は一緒にボランティアした方がぼくの父と同じ高校出身だったり、その方の息子さんが、ほかのボランティアさんの後輩だったりと、すごい縁があってびっくりしました。

もう一つは、旅であるということです。

出会いとほぼ同じですが、遠くにボランティアに行く場合は、まさに旅です。

始めて行く地域なら新し街を知る機会にもなります。

現地で食事をするなど、現地にお金を落とすということもお手伝いの一環です。

七尾の駅前の居酒屋さんに行きましたが、店主の方は喜んでくださいましたあし、店主の方との会話が楽しかったです。

なので、ストイックにボランティアの仕事だけする、娯楽はしちゃいけないとはぼくは思いません。

むしろ現地の方といろいろ関わることで、意外な接点があったり、縁があったりするということもあります。

道中も楽しむ

今回は一日余裕があったのでボランティアの前日は岐阜に寄ってから行きました。

能登までの道のりの途中に、知り合いが2人住んでいたので、これは会いに行く絶好のチャンスだと思ったんですね。

一人は松本、もう一人は岐阜の高山です。

岐阜の友達は約20年ぶりくらいに会いました。

友達に会えたこともとても嬉しかったですし、初めていく高山市というところを知ることができたのもとてもよかったです。

高山市は古い町並みが続き、外国人観光客がとても多かったです。しかも西欧人が多かったですね。朝市は平日の朝からにぎわっていました。

まったく知らなかったのですごい勉強になりました。

それと能登に行く途中には「カミオカンデ」があったり、石川県では羽咋市の「千里浜」という、砂浜を車で走れるところがあったり、ぼくが以前から行きたいと思っていたところがあって、感動しました。

ちなみに、羽咋市の神子原には「ローマ法王に米を食べさせた男」という本に出てくるお米が売っていて、それも買いに行ってしまいました。

直売所の店員さんとお話していて、東京から来たとお話したら(わざわざお米を買いに?)という感じできょとんとされたので、怪しい者ではないと伝えたかったので、ボランティアのお話をしました。

そしたら、サービスでコロッケをつけてくださいました。

ぼくのやる気はそこでさらにアップしました。

こうしたこともボランティアの醍醐味かもしれません。

ちょっと現地の方とお話をするというのは、大切なことだと思います。

能登の復興を風化させないように

最後に、能登地震から3か月たちますが、復興はなかなか進んでいません。

ぼくが行った七尾市は中能登です。その奥の奥能登の被害は甚大です。

でも、被害が大きいから復興が進まないのではなく、一番の理由は道が破壊されているからです。

奥能登に通じるバイパスは1本だけあり、「のと里山海道」と言います。この道が破壊されています。

3月15日に下りは復旧しましたが、上りはまだです。

ということは、一方通行です。

行きはわりとスピーディに行けても、帰りは下道を時間をかけて戻らないといけません。

これが復興を遅らせています。

また、ボランティアで行く場合、2,3日で行って帰って来るというのは不可能になります。

2,3日なら現地で仕事をする時間などありません。

さらに現地での生活する能力が問われます。

気軽にボランティアに行けません。

こうしたことも復興を遅らせています。

ぼくも奥能登に行く自信はありません。

そもそも日数の確保ができません。

でも皆さんに知っておいてもらいたいのは、能登の復興は時間がかかるということです。

なんとなく報道から能登のことが消えて行っている気がしますが、それは被害が小さいからではありません。

いま、どうにも進まない状況があるということです。新しい情報がないと報道にはなりにくいです。

今この時も助けが必要なことは変りません。この支援が必要な状況がずっと続くということです。

道が途絶えているために、ボランティアの受け入れも制限せざるを得ないということです。

道がいつ復旧するか分かりませんが、復旧したときには、奥能登でのボランティア受け入れが広がるでしょう。

現地に行けなくてもお金での支援も必要です。

みなさんができる形で、自分の気持ちに合った形で何かできるとよいと思います。

できなくても、気持ちにあるだけでもいいです。

いつか自分の街にも大災害は来ます。

その日のために、今から災害に関わることで意識も備えもでき、ノウハウも培われ、ネットワークもでき、少しでも被害が少なくなるかもしれません。

おしまい

written by SEGE

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