第118話 一生のうちであの景色をもう一度見たいと思っていたところへ行き、その後起きることとは【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
(もし雨に降られてもサービスエリアでしのげるように高速で行こう。)
まだまだ梅雨は明けていない。
雨の中でのヒッチハイクと野宿はかなり消耗する。
今日浜松の正光寺にたどり着ける保証はない。
普段は高速道路ではほとんどヒッチハイクをしないが、ここは高速で行くことにした。
ヤイリギターからはありがたいことに、ヤイリギターの松野さんという方が仕事で出かけるついでに送ってくれることになった。
小牧インターまで送ってくださる。
ぼくは松野さんの運転する軽自動車に乗った。
ヒッチハイク157台目。
「私は、熊本の水前寺公園で生まれたんですよ。」
「そこ、ぼく、前を歩きました!大雨が降っていて外からちょっと見えただけですけど、あそこで生まれたんですね!」
日本全国を回っていると何げなく話題に挙がる地名がちゃんとわかるというのがすごい。
うれしくなる。
それに、ただ知っているだけでなく、松野さんがぼくが通った遠い地で生まれ、そして車に乗せてくれているという偶然がすごい。
「ありがとうございました!」
ヤイリギターはただのギターメーカーではない。働いている一人一人の方が、ここまで一人の青年に親切にしてくれたヤイリギターに感謝。
そしてそのヤイリのギターをたまたま使っていた奇跡に感謝。
小牧インターから「浜松方面」と書いてヒッチハイク開始。
ここから東京方面へは東名高速になる。
小さいころから生活に馴染んできた「東名」という名前。
なんて親しみ深いのか。
一気に地元東京が近づいた感がある。
そしてナンバーを見るとさすがに東京行きの車が多い。
一足とびに東京に行ける車を見ると、なんだか嫉妬したくなる。
ヒッチハイク158台目。小牧インターから守山パーキングエリアまで。
小型のトラック。
「いつもは4tとか乗ってるよ。」
と言ってパンをくださった。
159台目。守山パーキングエリアから。
やはりトラック。高速でのヒッチハイクは圧倒的にトラックが多い。
運転手さんは一つ年上の宮崎の方だった。珍しいことにオートマのトラックだった。
「大阪からの帰りで、豊橋まで行く途中だから、上郷まで送ってやるよ。」
(「上郷」!上郷は知ってる!何度も通ったことある!)
ぼくの東京での生活圏にどんどん入っていく。
160台目。上郷サービスエリアから。
またもやトラック。
「厚木まで行くから、浜松では降りないけど、浜名湖のサービスエリアでいい?」
「はい!いいです!」
「弟がヒッチハイクで北海道から1か月かけて旅していたんだよ。」
そういう運転手さんは相模原の方で、スノボー好きの大工さんだった。
ヒッチハイクや旅が身近な人は、やはり乗せてくれる人が多い。
浜名湖サービスエリアに着いた。
(湖の真ん中にサービスエリア?)
そう。浜中湖サービスエリアは湖岸にある。
突き出た湖岸にあるから湖の真ん中にあるような感覚になる。
すごいロケーションに作ったものだ。
そして、雨。
案の定すさまじい通り雨が来た。
でも作戦通り、サービスエリアでしのげた。
ひとつ県をまたぐだけだからと下道で行かなくてよかった。
屋根さえあれば大したことは無いことなのだが、屋根のないところにいたらとんでもないことになっていたはず。
ささいなことのようで、天と地の差だ。
良い判断をした。さえている。
161台目。浜名湖サービスエリアからヒッチハイク。
スケッチブックは今日はずっと「浜松方面」だけを使いまわしている。
藤枝市のご夫婦が乗せてくれた。
息子さんがクラシックギターをしているという。
「今日はたまたま浜松で降りるのよ。」
そう言ってご夫婦は浜松で降りるだけでなく、そのまま正光寺の近くまで連れて行ってくださった。
ヤイリギターで教えてもらった住所のところに降ろしてもらったので、もう正光寺はすぐそこだ。
(この近くにお寺があるはず。)
ぼくは通りがかりの人に聞いてお寺にたどり着いた。
お寺はわりと開けた土地にあり、墓地が併設してあった。
本堂の左手に墓地。右手に住居と思われる建物。
その住居の入り口に立ち、高鳴る胸の鼓動を感じながらぼくはインターホンを押した。
好きな女の子の家に電話をかけるような、そんなドキドキだ。
「ピンポーン。」
「・・・・・・。」
だれもいない。
お寺のまわりを一周してみたが、やはりだれもいないようだ。
あまりうろうろしても怪しいし、ぼくはしばらくそこで待つことにした。
昼下がり。
だんだん暗くなってくるころ。
何時間かぼくは庭先で座って待っていた。
そして1台の車が帰って来た。
ぼくは立ち上がって挨拶をした。
「こんにちは!」
「こんにちは。」
「今日本を歌を歌いながら旅をしていまして、ヤイリギターの工場でこちらのお寺を紹介していただいて来ました。ヤイリのギターを和尚さんが使っているそうで。」
「ああ、そうそう。へえ。どこから旅をしているの?」
「東京からです。」
「それでここで待っていたの?まあ、とりあえず上がったら?」
「はい。ありがとうございます。」
和尚さんは、坊主頭で細身、ものごしは優しく、穏やかで、ゆったりまったりしゃべる。
お家に上がらせてもらい、これまでのことを詳しく話していく。
そしてぼくは正直に泊まらせてほしいと伝えることにした。
友達以外にの誰かに、自分から泊まらせてほしいとお願いするのは、この旅で最初で最後かもしれない。
「お寺のお手伝いでも何でもしますので、何日か泊めさせていただけませんか?」
「ああ。いいよ。手伝いと言っても、本堂のそうじとか、お墓のそうじとかだけど、やってもらおうかな。
それと、ここはいろいろな人が来るお寺で、来週ミュージシャンが泊まりに来るんだよ。10日までいたら?」
10日と言えば1週間くらいだ。
あちらからそう言ってもらえるなんてとてもありがたい。
さらに、ぼくはこのお寺に何日か泊めさせてもらえるのではないかということを想定して、その場合はある一つのことをしたいなと密かに思っていた。
「和尚さん。お願いがあるんですが。実は行きたいところがありまして。それが渥美半島の先っぽの方の海岸で、すごく幻想的な景色が見えるところがありまして。
昔家族でそこに行ったことがあるんですけど、あまりに印象に強く残っていて、だけどその時は写真に収めていないので、次に行く機会があったら写真にとりたいと思っていたんです。
いつか絶対行きたいな、だとしたらこの旅の中で行くしかないかなと思いながらも、まわりに何もないところなので、ヒッチハイクでそこまで行くのはなかなか難しいなと。
そこは、海岸がずっと高い崖が続いていて、崖の上からだけでなく、浜に降りてそれが見えるんです。
しかも靄がかかっていて、その崖がどこまで続くのか見えないような。
そんな幻想的な海岸で。いつかまたここに来ようと思ってその海岸に下りるところの道をメモしてあるんです。
ここからならそこまで歩いて往復で3日あれば行けると思うんですが、3日いただけないでしょうか。
もどってきたらちゃんとお手伝いしますので。」
「え?歩いて?渥美半島でしょ?何キロあるかなあ。」
ぼくはたった一つだけ持っている一枚の日本全図を広げてすでに調べてあった。
細かいことはこの地図では分からない。
でも大まかな距離ならわりだせる。
「往復で120kmです。一日40km歩くと考えればそんなに厳しくないです。時速4kmで歩けば、1日10時間歩くという感じです。」
「なるほど。いいよ。行ってきなさい。」
「そしたら余分な荷物は置かせていただけるとありがたいのですが。」
「いいよ。」
「ありがとうございます!」
そしてぼくは翌日渥美半島へ、完全徒歩の3日間の旅へ出掛けるのだった。
十代のころ家族でほんのわずかだけ立ち寄った渥美半島の太平洋側の海岸。
「ミカワ イコベ 42」とだけ書いてあるそのメモを、何度も手にして、そのうち頭にこびりつくようになった。
たかが景色だが、されど景色だ。
おそらくいっしょにいた姉や両親はそれほどには思っていないだろう。
でもぼくにとってはそこは絶景だった。
絶対に生きている間にもう一度行きたいと思っていた。
そしてそれがもうすぐかなう。
カメラも持っている。
お寺を拠点に、出かけられる。もどってきても安心だ。
ばっちりだ。
距離も、まさに「やってみろ。これは今おまえが挑戦するべき道だ」といわんばかりの距離だ。
120kmを歩いたことはもちろん今までない。初めてのことだ。
でもこれまでさんざん重い荷物で歩いてきた。
荷物はギターなどは置いていき、必要な物だけになるから身軽になる。
そこそこハードになることは想像できたが、自信しかみなぎって来なかった。
明日が楽しみでしかたなかった。
翌日、ぼくは渥美半島へ出発した。
そしてこのことがきっかけで、この旅はとんでもない展開へとつながっていくのだった。
つづきはまた来週。
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