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「誰もがスポーツを楽しめるように」 元車いすラグビー日本代表・官野一彦が創造するパラスポーツ環境の未来

※これは、HEROs公式サイトで掲載された記事を転載したものです。

2012年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会と2大会に渡り、車いすラグビー日本代表としてパラリンピックに出場した官野一彦さん。彼が昨年の4月に設立した障がい者専用のトレーニングジム「TAG トレーニング」が好評を博している。障がいのある人にとっての使いやすさを徹底的に追求しているからだ。その背景には、日本のパラアスリートたちが長年悩まされ続けてきたトレーニング環境の課題があった。

サーフィン中の事故で180度変わった人生

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幼少期から野球をしていた官野さんは、高校時代、全国レベルの強豪校で1年時からレギュラーとして活躍するほどの運動センスを持っていた。しかし、その運動センスが災いし、22歳の時にサーフィン中に水難事故に遭ってしまう。

「この程度の波なら、大丈夫だ」。

自分の運動能力に自信を持っていた官野さんは、サーフィンをする人にとって命綱とも言われる「リーシュコード」をつけずに海に入り、サーフィン中に波に飲み込まれてしまう。とっさにサーフボードを抱え込もうとしたが、その浮力の勢いに押されて頭を海底に打ち付け、頚椎を破裂骨折。海面に浮かびあがったとき、体が動かないこと、そして声が出ないことに気が付き、自分の体に異変が起きたことを悟った。周囲のサーファーが救助してくれたおかげで一命は取り留めたものの、その後の人生を車いすとともに過ごすことを余儀なくされた。

「仰向けに浮かぶことができ、しかもたった2人しかいなかった他のサーファーの方が気付いてくれたおかげで、命を救われました。海に浮かんで何もできずにいたときの波の音、空の景色。あの時のことは今でもはっきりと覚えています」。

車いすラグビーとの出会い、そしてアメリカへの挑戦

そんな官野さんに転機が訪れたのは、退院して1年が経とうとしたある日のこと。近所の人に紹介されて車いすラグビーに出会った。スピーディーな展開や激しいタックルといった魅力に惹かれて競技を始めると、持ち前の運動センスを武器に、1年後には日本代表に選出されるようになった。翌年の北京パラリンピックへの出場は叶わなかったものの、その4年後のロンドンで初めてパラリンピックの舞台に立つと、続くリオデジャネイロでは、日本に初のメダルをもたらす快挙を成し遂げた。

官野さんの躍進はさらに続く。リオデジャネイロ大会での活躍ぶりが海外からも評価され、アメリカのクラブチームからオファーが届いたのだ。国内には車いすラグビーチームはわずか10チームほどしかない。しかしアメリカは、60を超えるチームが存在するように、車いすラグビーが社会に浸透している。オファーを受けた官野さんは、「小柄な日本人がどうすれば世界で活躍できるのかを知りたい」という衝動に駆られ、10年勤めた市役所を退職して世界へ飛び出すことを決意した。

アメリカで見た景色

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この挑戦を通して官野さんが一番驚いたのは、パラスポーツを取り巻く環境の違いだった。所属チームのあるセントルイスには、身近なところに障がい者専用のスポーツ施設が存在し、身体・聴覚・視覚・精神と障がいごとにカテゴリー分けされて、それぞれの障がいに合わせて施設を使用することができた。トップアスリートから、リハビリの延長としてスポーツを楽しむ人まで、老若男女を問わず、障がいのある人々が自分に適したトレーニングをおこなっていることに衝撃を受けた。中でも象徴的だったのは、施設には、車いすでも使えるように工夫された特殊なトレーニング器具が設置されていたことだったという。

一方で、日本のパラスポーツを取り巻くトレーニング環境はどうだろうか。2016年に日本パラリンピアンズ協会が行った「第3回 パラリンピック選手の競技環境調査」によれば、パラリンピック出場経験者ですら、約5人に1人は「障がいを理由に施設の利用を断られたり、条件付きで認められた経験がある」という。東京大会の開催に向け、パラスポーツ専用の「日本財団パラアリーナ」(品川区)や、ブラインドサッカー専用コート「MARUI ブラサカ!パーク」(小平)などの施設が作られたものの、パラアスリートたちの競技環境はまだまだ整っているとは言えない現状がある。

なお、官野さんは、いまの日本のパラスポーツ環境について、次の3つの課題を挙げている。

1. バリアフリーの動線が整っていないため、車いすに乗ったままトレーニングができない。特に、車幅が通常のものより広い競技用車いすユーザが使える施設は数少ない
2. 介助者がいないとトレーニング機材を使わせてもらえない
3. 車いすのタイヤで床に傷や汚れがつくという理由により体育館の使用を拒否されてしまう

新たなる挑戦 TAG CYCLEにかける思い

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官野さんは、アメリカから帰国後も、国内でトレーニングを積みながら東京大会の出場を目指していたが、残念ながら選考には漏れてしまった。こうして2020年3月で車いすラグビー選手としてのキャリアには終止符を打ったが、現在は次の目標に向けて挑戦をはじめている。障がい専用のスポーツジムを設立し、障がい者を取り巻くスポーツ環境の改善を図ることにしたのだ。

今も一部の人のあいだでは、東京大会後に社会全体のスポーツへの熱が冷めてしまうことがささやかれている。そんな風潮に立ち向かうため、自身が住む千葉県に、障がい者専用のトレーニングジム「TAGトレーニング」を建設。多額の借金を背負ってまでして建設に踏み切ったのは、東京大会を終えた後もパラアスリートの競技環境を残し、スポーツに挑戦する障がい者や、その保護者を支えるプラットフォームを作らなければならないという使命感に燃えているからだ。

このような官野さんの情熱の渦に巻き込まれるかのように、社会がこの活動に振り向きはじめている。ジムの建設後に実施したクラウドファンディングでは、130名の賛同者から約250万円もの支援金を集め、昨年12月には念願だったジムのオープンにまでこぎつけた。ジムには車いす専用の機材を設置し、車いすユーザにとって使いやすい動線設計を施したのはもちろんのこと、一流のパラアスリートが集い、若い選手や競技を始めたばかりの選手たちと触れ合いながら、ともに夢に向かって挑戦できる場所にすることを目指している。

「このジムでは人目を気にせず自分のペースでトレーニングができる。若い人もトップアスリートと一緒に、楽しみながらトレーニングに励んで欲しい」

こう語る官野さんの言葉には強い力が宿っている。それは官野さん自身もパラサイクリング選手としてパリ大会を目指していることとも無関係ではないだろう。パラアスリートの競技環境を作るための挑戦と、パラアスリートとしての挑戦。この2つの挑戦が、社会を動かし、10年・20年先のパラスポーツ環境を創造していくことに期待したい。

官野さんも受賞した 「HEROs STARTUP」とは?

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HEROsでは、このような官野さんの活動を高く評価し、「HEROs STARTUP 2020」に選出した。「HEROs STARTUP」は、新たにスタートをする、もしくはまだスタートしたばかりの「スポーツの力」を活用した社会貢献活動を支援するために2020年に新設したアスリート支援プログラムだ。HEROsではスポーツには、大きく4つの力があると考えている。


①共生の力

国籍、言語、障がいなど様々な違いの壁を乗り越える力

②教育の力

決断力、精神力、リーダーシップなど成長できる力

③多様性の力

感動、注目、エンタメなど誰もが繋がることができる力

④活力の力

夢、目標、チャレンジなど新たな一歩を踏み出す力


官野さんの活動は、障がいの有無関係なくスポーツが楽しめる環境を創出するという点で共生の力、官野さんのパラリンピックへの挑戦をはじめ、チャレンジのきっかけを生み出すという点で活力の力を生かしているという点が高く評価されての受賞となった。2020年度は33組がエントリーしたように、少しづつこのような活動が広がっている。刻々と変わっていく社会だが、官野さんのような、スポーツのもつ普遍的な力を生かした社会貢献活動の輪が世の中に広がっていくことが、我々の願いなのだ。

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