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自分流、 ずっと探し続けて。

読書好きな 人って どんな本を読む人のことを言うのだろう?
おおよそ小説かな?
誰もが知っていそうなタイトル、作家の本などは ほとんどにおいて読んでいたりするのだろうか?
何でもかんでも 「えい!やぁ!」って目隠しし、くじ引きの箱の中から1冊取り出すような選び方をしても 最後まで読めてしまうような人のことを言うのだろうか。好きとか嫌いとかは別にして。

読みたくないもの、面白く感じられないものに費やす時間はもったいない。だから読みたいものを読む。
至極当たり前の話だが、『好き』を語れるところまで行く以前は…
例えば小学生の頃に 感想文の宿題などあったとしたなら
「えい!やぁ!」と手にしたものでもとりあえず読んでみる。
そしてその出会いによって『好き』は始まっていくのかもしれない。
けど そうでない場合もあるよね 当然…。

『本を読む』

嫌いではないと思う。
けれど 誰もが読んでいそうな本を あまり読んだことがない。
というか 特に物語的な本を読んだという絶対数が とんでもなく少ないのだと思う。だから 好きとか嫌いとかを語れない。
要するに手に取る習慣が身につかなかったのだ。

前置きが長いな…。

何を言いたいかというと 書物をたくさん読んできたことと
文章を抵抗なく また 流れるように書けてしまうこととの関連は
きっとあるのだろうし 何を読む対象に選んできたか によって表現の傾向にも影響があって 何にせよ読んだ数が少ない私は ここでもまた文章に対しての言い訳を始めてしまっている。

見苦しくも『言い訳』なんだけど。
 
なんでもいい ぐちゃぐちゃと書くことによって 自分なりに流れを掴み
この記事についても なんとか読めるような形のものにしたい。 ので…

今 頑張ってます。

とにかく読んで、読んで、たくさんインプットすることで ある日ある時 書く力となって現れ出る。 
そういうことの可能性ってある気がするのだけれど。

歌を聴くことが好きで あまりジャンルにとらわれず
聴いて聴いて、いっぱい聴いて 聴きまくり…。
それなのに 息子曰く「音痴な鼻歌はやめてくれ!」と
アウトプットを嫌がられ 傷つき歌えない。

歌う技術は練習が必要かと。


絵が好きで 美術館、ギャラリーめぐり 絵本や画集など
目を肥やし、心を肥やす。
けれども絵を描く技術は 漫画やイラストレーションなら…
もちろん純粋アートもだけれど 練習は必要かと。

そんなふうに考えだすと 書くことの技術もインプットだけでは鍛えられる
はずもなく、ちゃんと練習を重ねて自分のものにしてこそのもの。
(時々天才的な人はいるかもしれないけれど)
そうであるべきで、そうじゃなければ凡人にとっては哀しすぎる…。
だからこその『毎日note』のススメだよね。

たくさんの本を 読んできてはいないけれど
自分流の混ぜ方はあるし 感じて泣いた数もある。

だから これからだって ずっと
選んで読んで、感動を探し
たくさん沢山聴いて 心を震わせて。
いっぱい見て 満ちた思いを大切に柔らかく…
自分の中から飛び出したものに オリジナルな感性が
滲み出るように…。


 

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ronco
最後まで読んで頂きありがとうございます。 よろしければサポート お願いいたします。続けていくことの励みとさせていただきます。書く力を鍛え、描く道を行く為に 頑張ります。 ありがとう。素敵な1日になりますように。