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「会」と「能」と「可以」

中国語を勉強したとき、初級段階で出てくる「会」と「能」と「可以」という語句の違い。皆さんはどう習いましたか。

日本語に訳したときにはいずれも「できる」と訳しうる単語です。しかし、皆さんもご存知の通り、これら3つの言葉にはそれぞれ違った意味合いが付与されています。ではこれらをおさらいしておきましょう。

「会」=することができる。する能力がある。修得していること。

「能」=できる。する力がある。「能」は能力を持っていることを表し、「会」は習得していることを表す。(以下略)

「可以」=①できる。否定の場合は「不能」を用いる②許されるの意

以上中日大辞典増定版より。

平たく言えば、「会」は(すでに会得していて)「できる」、「能」は「する能力を持っている」、「可以」は(許されていて)「できる」ということでしょうか。

しかしこれら三つの語句をすべて「できる」と訳してしまうと、受け手側がどの「できる」なのか取り違えてしまう可能性が出てきます。このため、私は翻訳の際、できるだけそのような誤解がないよう、誤解される場面では訳し分けることを心がけています。特に「会」と「可以」については、単純に「できる」と訳すべきなのかどうかをよく検討する必要もあります。

例えば「缅边民涌入云南 部分人不听武警劝告回战乱果敢」という記事の第一段落にあるこの文章に注目してください。

「未经许可人员不得擅入,但本地居民生活生产需要可以正常进出」。

この文について、「許可を得ていない者は勝手に入ってはならないが、現地住民は生産・生活の必要により普通に出入りすることができる」という訳を当てるべきかということです。

もし「可以」が「能」だったら、この文は「勝手に入ってはならないことになっているが、出入りを止める人が誰もいないので現地の人は普通に出入りできている」という意味合いになってしまいます。

つまり「可以」であるということは「無断で勝手に入ってはならないが、現地住民は許可されている」という意味が背後にあると見抜く必要があるのです。

見分けるポイントは、、「不得」でしょうか。対になっているところで私は、あたりをつけてみました。


更に言うと「会」と「可以」については、「できる」以外の訳し方があり、むしろそちらのほうがウェートが高いことに注目すべきです。

もう1つ例を挙げましょう。

「M503航線29日啟用 夏立言證實:民用航線不會飛軍機」の記事によると、夏立言大陸委員会主任委員は、大陸側が3月29日からM503航空路の使用を開始することについて、「M503是民用航線,軍機不會使用」と答えました。「」内はどう訳すべきか。

これを「M503は民間の航空路であり、軍機は使用できない」と訳したらどうなるか。上記のように、「会」は「(習得していて)できる」という意味合いがあります。その意味合いに基づけば、「軍機はM503ルートの飛行練習を十分しておらず、習得していない」となってしまいます。これではロジック的にちぐはぐになってしまいますし、原文の意味合いと離れてしまうでしょう。

そこで「会」のもうひとつの、可能性を意味する「だろう」を思い出すことになります。未来のことについて用いられる「会」。実はこちらの意味として使用されることのほうが多いと私も感じているところではあります。ですから、先ほどの文の訳は

「M503は民間の航空路であり、軍機は使用しないだろう」

となるわけです。

これらの違いは翻訳者でもよく間違えることがあるので、いつも念頭に置いて、しっかり訳語を検証する必要があるでしょう。

サポートしていただければ、よりやる気が出ます。よろしくお願いします。