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閑話休題(12)――日本の英語教育について思うこと

普段は中国語の翻訳や中国語学習について話しているのですが、今回は閑話休題として皆さんの身近な問題でもある英語教育の話題をしたいと思います。

今既に大学を卒業して社会人になっているうちの娘ですが、小6だった当時、進学を希望する私立中学校のオープンキャンパスに行ってきました。オープンキャンパスでは、国語算数理科社会のほかに英語の体験授業も受けられるようになっています。そこで娘に「英語の授業を受けてみなよ」と言ってみたところ、「えー、英語だいっきらいだからいやだ」との言葉。

外国語の翻訳を生業としている私にとっては当時かなりショックな言葉だったことを覚えています。当時日本の教育では既に小学5年生ぐらいから英語の勉強を始めるカリキュラムになっており、娘の英語学習歴はわずか1年だったのですが・・・

2年目でもうキライになってしまう日本の公立学校の英語教育ってどんだけなんだろうと思ってしまいました。そして娘がその気持ちで大学まで行ってしまったら・・と思うとぞっとしてしまいました。 娘の英語教育には何にも手をつけていない私でしたが、少なくとも「英語だいっきらい」という感情に対しては、早急に対策を取らなければとの思いを強くしました。

私は中1の英語の授業開始当初から英語は大好きで、その気持ちで大学卒業まで進んでしまったので、日本の学校の英語教育についてこれまでどうこう考えることはあまりありませんでした。

しかしわたしの娘に限らず、「英語がだいっきらい」という人たちは、老若男女問わず、今もこの日本にたくさんいると思います。また実際現に私は、「英語が余り好きじゃなかったから中国語の勉強を始めた」という人も数多く目にしています。

その一方で、現在数多くの知識人が、日本人の英語水準の低さに、危機感を抱いています。そしてユニクロや楽天の例を出すまでもなく、賛否両論はあるにせよ「英語がグローバル言語」と考えている企業が多数あるのも事実です。そのような風潮に日本の教育関係者が「焦る」のも理解はできます。

文部科学省が小学校にも英語教育を義務付けたこともそのような「焦り」から来たものであることは、容易に想像できます。しかし現状のような、「英語嫌いな子どもを作る」だけのカリキュラムでは、いくら英語の早期教育をしたところで、私の娘のように英語に拒否反応を示す子どもを大量生産するだけでしょう。

どうしてそうなってしまうのか。それは「なぜ英語(外国語)を勉強しなければならないのか」という理由付けが子どもたちの頭の中に作られていないからだと私は考えています。

ならば、大人がそれを明確にしてあげなければなりません。理由付けは「英語を習得すれば、世界の人とお話ができるから」でもいいでしょう。 実際私は、その気持ちが英語学習のモチベーションになっていました。

もし大人がそのような理由付けをするのならば、世界の人とお話をできる魅力を感じさせられるような教育プログラムを作ってあげなければなりません。

私立の中高では整備されていますし、お金を払えば英語教室などで機会を得ることはできますが、公立の学校はまだまだのようです。 しかし、公的教育という安い学費の中でしっかりこのことがフォローされて初めて、日本人の英語のレベルが向上するのだと私は思っています。

私も中国留学中のとき、宿舎にいる世界中の留学生と接して、改めて英語、中国語、外国語を使うことができる「魅力」を感じました。ほとんどの留学生が数ヶ国語を操ることができる現状を目の当たりにして、「私もがんばらなきゃ」と奮起したことを思い出します。

かつて英語に魅力を感じていた者の1人として、文部科学省には「英語嫌いな子ども」を量産するプログラムだけは作ってほしくないと思っています。そのために何をすればいいのか。私たち日本人一人一人も考えるべきことなのだと思います。

◇◇

そんな小学生向けオープンキャンパスの参加当初は苦手意識を持っていたうちの娘でしたが、その学校に入って最終的に大学まで進んだ過程で、英語の重要性に気づき、TOEICもかなりの点数を取って社会人になって今に至っています。しかし聞けば、いまだに英語に対しての苦手意識はあると言います。

子供たちの英語に対する苦手意識を払しょくするのは容易ではありません。でも少なくとも今までのような教育方法では日本の英語教育は前進しないでしょう。より多くのリソースを公的教育機関の英語教育にさけるよう、政府にはもう少し頑張ってほしいものです。

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