動態清零は「ゼロコロナ」と訳すべきなのか。
今回は、私たちの部門で議論になっている語句について話をしたいと思います。
このところ、中国上海でコロナ感染者が爆発的に増加しており、国務院も連日記者会見を開催しております。このような状況下で、最近中国メディアの記事の中で度々見かける言葉があります。それは「動態清零」という語句。
日本の多くのメディアはこの「動態清零」に「ゼロコロナ」という訳を当てています。私もつい最近まで「ゼロコロナ」という訳を当てていました。ちなみに、、日本語のウィキでは、「ゼロコロナ政策」をこう定義しています。
ウィキは個人が作るウェブ百科事典であり、100%正しいというわけではありません。このため、この「ゼロコロナ政策」の定義は「参考程度」にしておくべきだと言えるでしょう。しかしそれでも私は最近、この日本語の「ゼロコロナ政策」と、中国語の「動態清零」は厳密にはイコールにならないのではないかと思い始めています。その根拠となるのは、新華社(電子版)の今年3月31日の記事です。
この中で馬暁偉国務院衛生健康委員会主任は「『動態清零』とは何か」という項目で、次のような定義付けを行っています。
そもそも「ゼロコロナ政策」自体、武漢での発生当初から中国が続けてきた「感染者をゼロにする」という政策に対して、日本が「便宜上」付けた名称です。中国政府は感染流行当初から、自身が行ってきた政策の名称について明確には発表していませんでした。
一方で日本のメディアはコロナ流行当初から、「中国政府は完全な感染者ゼロを目指す政策を取っている」という認識でした。これを「ゼロコロナ政策」と日本(および世界)は呼び、中国のこの政策を評価する一部の日本の政治家は参考にしようとしました。
しかし中国政府はコロナ流行以来未だ、感染者をゼロにすることができていません。しかも最近ではかなりの感染者が出ており、中国政府が当初目指していた(と見られる)「感染者ゼロ」の目標も立ち行かなくなっています。
このような状況下の中、中国政府が1年ぐらい前から打ち出したのが「動態清零」という考えです。「動態清零」は言うなれば、これまでわれわれ日本人や外国人が中国政府のコロナ対策に対して抱いていたイメージを否定する形で彼らが打ち出してきた政策の名称だ、と言えるでしょう。
その証拠に衛生健康委員会の担当者は「動態清零」という言葉が出る前から、「零感染」という言葉を口にしていました。そして「動態清零」という言葉がメディアで出て来てから開催された記者会見で、衛生健康委員会の担当者は「動態清零」と「零感染」は違うと明確に主張しています。
にもかかわらず、日本メディアは中国政府のこのような見解の転換(実際には転換したと言っていませんが)を無視して、「動態清零」=「感染者の徹底的な封じ込め」=「ゼロコロナ政策」と単純に結びつけてしまったようです。
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ここまでの解説を整理してみるとこうなります。
ということです。中国政府が「動態清零」に込めた裏の意味は、「何が何でも絶対的にゼロにするわけではない」ということなのでしょう。
これらの見解を踏まえて私は最近は、安易に「动态清零」→「ゼロコロナ政策」と訳さないようにしています。
そしてその対策として私は、「动态清零」と原文を書いたうえで、(発見し次第感染者をゼロにする政策)と併記しています。
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最後に一言。
私がここで解説したのは中国政府が主張する「動態清零」という語句の定義についてです。
でも実際に中国政府が上海で実施している政策はやはり、感染の徹底的な抑え込みという、日本語で言う「ゼロコロナ政策」と大差ないでしょう。
われわれ翻訳者は実際に実施されている政策を文字化するのが仕事ではなく、彼らが発している語句・文字の意味を正しく日本語化するのが仕事です。この違いをしっかり頭に入れておく必要があります。
サポートしていただければ、よりやる気が出ます。よろしくお願いします。