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翻訳で求められる「変換力」

先日私は自分のツイッターで以下のようなツイートを投稿しました。

私は中国語の文を日本語文に翻訳する仕事をもう20年近く続けているわけですが、いまだにしばしば「翻訳は辞書に書いてある訳語をそのまま並べるだけだ」という認識、そして中国語の翻訳に限っては「中国語の語句なら、文字通り日本語にあてはめればいいじゃん」という認識の人に出会います。「だから簡単」という意識なのか、そういう人に限って往々にして翻訳という業務を軽視しがちなのですが、、私は「それはちがう」とはっきり言いたいと常々思っています。

たしかに訳語を並べるだけの「翻訳」もあるかもしれません。しかしそれは「翻訳」ではなく「直訳」であり、それはいわゆる「グーグル翻訳」です。「いかに言葉を変換し、文を並び替え、日本語として読むに堪える訳文にするか」。いわゆる言葉と文の「変換力」とでもいいましょうか。これこそが、翻訳者の腕にかかる大切なことだと私は考えています。ここで言う変換力には、「言葉の変換力」と「文構造の変換力」があるのですが、今回は文構造に的を絞って、「いかに日本語として読むに堪える訳文に変換するか」という点から考察していきたいと思います。

「読むに堪える日本語文」を構築する上で、私は主語の明確化や一貫化はとても大切な問題だと常々思っています。私も最初は主語を意識せず、中国語の原文をそのまま日本語に訳していました。しかしその結果、文法的にも、語句的にも間違っていないにもかかわらず、グーグル翻訳っぽくなることが多々あったのです。

なぜかということを考えた結果、私は「主語を明確に示して、一つの文の中で統一していないから」という結論に達しました。

日本語はよく英語を始めとした欧米言語と違い、「主語がなくても成り立つ言語」と言われています。しかしそれは日常会話で、気が知れた仲の人たちと「主語が分かる前提で」会話するからであって、万人が読むニュースにおいては「主語がない(分かりにくい)文」というのは悪文とされています。ですから、私たちは中国語文を日本語文に翻訳する際、「この文の主語はどれか」ということを読者に明示し、(できるだけ)一つの文で最初から最後まで統一しなければなりません。ただその一方で、中国語文においては主語が変わるという現象がしばしば発生します、このため日本語文にする場合、「意味が変わらない範囲で」文を加工して主語を整える作業が必要となります。

具体的な例として、次の中国語文から日本語文のバリエーションを見てみましょう。

中英在双边和多边框架内沟通协调的渠道非常畅通

日本語訳した場合、字面通りに訳すとこうなります。

中英の2国間、多国間の枠内における意思疎通と協調のルートは非常に円滑だ。

この場合の主語は「中英の2国間、多国間の枠内における意思疎通と協調のルート」となります。人によっては主語が冗長であると考えるかもしれません。しかし実は主語を「中英」にすることで、全く意味を変えずに他のバリエーションの訳文に変換することもできます。

中英は2国間、多国間の枠内における意思疎通と協調のルート非常に円滑だ。

これはいわゆる「は」「が」構文で、日本語としてはこなれていない印象をうけやすい文ですが、この文構造は、中国語の原文では普通に使われています。日本語の訳文でも、場面によっては採用する価値があるでしょう。さらに派生して次のようにも変換可能です。

中英は2国間、多国間の枠内において、意思疎通と協調のルート非常に円滑にしている

この構文だとより日本語っぽくなっています。キーポイントは「円滑だ」という形容動詞を、「円滑にする」といった動詞的で、能動的な表現に変換していることです。これも「円滑にする」の行動主体を「中英」にしたからこそ実現できるものです。「ルートの円滑化を図っている」とするのもいいかと思われます。

このように日本語において、「主語」をそろえることを目的として、主語を置き換えるテクニックや、形容詞や形容動詞、自動詞を他動詞的表現に置き換えるテクニックは、結構効果的です。実は私もフル活用しています。

このテクニックを頭に入れながら、同じように次の文を見ていきましょう。

◇◇◇◇

各地各部门贯彻党中央、国务院决策部署,做好“六稳”工作、落实“六保”任务,宏观调控与微观需求紧密结合,突出保市场主体,政策有力有效、及时合理,上亿市场主体也展现强大韧性,各方面共克时艰,稳住了经济基本盘。

この文を訳す場合どう加工したらいいでしょうか。「~“六保”任务」までは、「各地各部门」を主語にすることについて何も問題はないのですが、次の「宏观调控与微观需求紧密结合,突出保市场主体,政策有力有效、及时合理」を、「マクロ調整とミクロのニーズ『が』緊密に結びつき」「市場主体の維持を際立たせ」「政策は力強く効果的で、適時かつ合理的であり」としてしまうと、読み手は「えっ??主語は各地各部门じゃないの?どっちなの?」と違和感を感じることになりかねません。

ですからやはりここは、主語を「各地各部门」に統一して、「言い換える」という作業が必要でしょう。わたしならこうします。

各地各部門は党中央、国務院の政策決定、任務配分を貫徹し、「6つの安定」工作をしっかり行い、「6つの保障」任務を実行に移し、マクロ調整とミクロのニーズを緊密に結びつけ、市場主体維持を際立たせ力強く効果的、適時かつ合理的な政策を行った。億にも上る市場主体も強い靱性を示し、各方面は困難を共に克服した。その結果経済の基本的な基盤の安定が維持された。

ここで付け加えたいのは主語が変わる文節の処理です。「日本語は同じ文中においては、最後まで同じ主語で通したほうが読みやすい」という原則に基づき、原文ではカンマで続いている文ではありますが、「億にも上る市場主体」直前の、主語が変わるタイミングで、思い切って句点で文を終了させています。

中国語文においては、主語が変わるのか、変わらないのかと言うことに関係なくカンマが連続してだらだらと文が続くことが多いため、そのまま日本語文に訳す場合、冗長で読みにくい文になりがちです。ですから私は、文中で主語が変わり、かつ切っても文の意味に影響を及ぼさないタイミングで、思い切って句点で区切るようにしています。これも「読みやすい日本語を作るテクニック」とでもいいましょうか。

原文通りに翻訳することはとても大切なことです。しかしわれわれは翻訳をしていること、つまり読み手に分かってもらえる文を提供することを忘れてはなりません。これは私が「翻訳者としての心構え」で提起した「达」(読み手に伝わる文を書く)に通じるものでもあります。

「原意が変わらない程度に訳文を加工すること」。これは翻訳においては全然「あり」なテクニックであることをしっかりと頭に入れておきましょう。

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