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ジークフリート

 ファフニールの巣穴であった洞窟から出ると、周囲は静かな風の音に包まれていた。
 空にワイバーンの姿はない。ギャアギャアとやかましい吠え声もしない。ランスロット、ヴェインに続いて外に出たジータは、辺りに目を配りながら呟く。
「ワイバーン、いなくなったみたいですね」
「だな。多分、親玉のファフニールが封印されたから逃げてったんだろ」
 ヴェインが首を鳴らし、肩を回しながら応えた。ぞろぞろと洞窟から出て来た騎士たちから安堵の息遣い。ヴェインはひとしきり体をほぐし終えると、思い切り背伸びをして腹を叩いた。
「さぁーて、早いところ帰ろうぜ! 腹減っちまった!」
 同時に、ヴェインの腹の虫が大きく鳴いた。思わず苦笑を零すジータと騎士たちに目を向け、ランスロットは半ば呆れたように言う。
「全く……。気を抜くなよ、お前たち。帰り道にも魔物はいるんだ。王都に着くまで気を抜くな?」
「おう、任せとけって!」
 胸板をどんと叩くヴェイン。ジータはやや頬を朱に染めながら恥ずかしげに咳払いをする。
 来た時と同様、ランスロットを先頭にして慟哭の谷の出口へ向かう白竜騎士団一行。やや緩んだ雰囲気のまま歩く彼らを、谷の上から見下ろす人影があった。
 竜人めいた禍々しい漆黒の鎧で全身を多い、身の丈以上もある赤黒い片刃の大剣を背負った騎士。ボロボロに引き裂かれたマントが、複数本の尾のように風になびいた。騎士は大剣の柄をつかみ、眼下を睨む。
(さて……ここまでは想定通り)
 黒い竜騎士は少し下げた左足の先で地面をにじり、身を屈める。フルフェイスの兜に隠された目が白竜騎士団の騎士たちに先導され、最後に洞窟から出て来たイザベラを捉えた瞬間、彼は地を蹴り谷底へ飛び込んだ!
(その首、もらい受けるッ!)
 轟と風切る音を置き去りに垂直落下する黒騎士。数秒後、ランスロットたちの後方で破砕音と粉塵が巻き起こった。前を行く騎士たちが泡を食って振り返る。ランスロットは素早く双剣を抜いて叫ぶ。
「何事だ!? 後ろで何が起きた!」
 返事の代わりに、最後尾の騎士たちが空中に吹き飛ばされた。ランスロットは舌打ちすると谷の壁面めがけて跳躍! 壁を斜めに疾駆し最後尾へと向かう! ヴェインが呆気にとられたジータの背中を強く叩いた。
「ジータ! 俺たちも行くぞ!」
「えっ……? あ、はいっ!」
 我に返ったジータもまたハルバードを抜いて走り出す。ざわつき、まごつく騎士たちの隙間を流れる水のように駆け抜ける二人の先で、甲高い金属音が鳴り響いた。
「ランスロットさんっ!」
「ランちゃんっ!」
 ジータとヴェインは最後の騎士の間を抜けて跳び出し、そこで足を止めた。目を見開いた二人の前には、尻餅を突いたイザベラと彼女を庇う形で前に出たシルフ。そしてランスロットと対峙する黒い竜騎士の男!
 ランスロットは憎悪と憤激に顔を歪め、双剣を構えた。
「ジークフリート……貴様ッ!」
「ランスロットか。久しいな」
 竜騎士が大剣を肩に担ぎながら言う。刃を構えていたヴェインが声を上げた。
「なっ……なんでジークフリートがこんなところに!」
「気になるか」
 ジークフリートは微動だにせぬまま、頭をすっぽり覆う兜の奥から鋭い視線をシルフに向ける。
「そこの化け物を餌に、後ろで腰を抜かしている女をおびき出すつもりだった。俺の狙いは執政官イザベラただ一人だ。邪魔をするな」
 水を向けられ、立ち上がったイザベラが歯噛みしながらジークフリートを睨みつける。険しい表情をしたシルフは蝶の翅に赤橙色の光を灯しながら告げた。
「お前は……あの時の剣士か。私はファフニールに食べられ、息苦しかったぞ」
「なっ!」
 イザベラが驚愕の表情でシルフの横顔を一瞥し、再びジークフリートを視線で射抜く。
「では貴様がファフニールを……! フェードラッヘに仇なす逆賊めが、この期に及んでいったい何を企んでいる!」
「聞こえなかったか? 執政官イザベラ」
 ジークフリートは肩に担いでいた大剣をイザベラに突きつけた。
「貴様の首を、もらいに来た」
「させるか!」
 身を沈めるランスロットの左右にジータとヴェインが並び立つ。同時に衝撃から立ち直った白竜騎士団の騎士たちがおのおのの武器を手にジークフリートを包囲する。イザベラとシルフは輪の外だ。
「シルフ様、イザベラ様はおさがりください!」
「ジークフリート! 一人で現れるとは命知らずな!」
「我ら白竜騎士団を相手に、生きて帰れると思うなよ!」
 ジークフリートを取り囲む騎士たちが口々に言い放つ。シルフと共に数歩騎士の包囲網から下がったイザベラは、中心のランスロットへ声を放った。
「ランスロット! その逆賊を捕らえよ!」
「そういうわけだ。先王を殺した罪、贖ってもらうぞ!」
 騎士たちが武器を構える音が木霊した。ジークフリートは嘆息する。
「仕方ない。無駄な戦闘は避けたかったが……」
 大剣を一回転させ、柄を両手で握って肩に担ぐ形で振りかぶる。ジータはごくりと固唾を呑んだ。先のファフニールよりも強大な、漆黒の巨竜を前にしたかのような威圧感。押し潰されそうな圧力。
(これが……竜殺しのジークフリート!)
 直後、顔を強張らせたジータは、ジークフリートを見て一瞬まばたきした。黒いヘルム越しに目が合った気がした。しかし次の瞬間にジークフリートの視線はランスロットの方を向く。漆黒の竜騎士は静かに挑発した。
「久々に手合わせをしてやろう。全員まとめてかかってこい」
「ジーク、フリートぉッ!」
 ランスロットが斬りかかる! 蒼い軌跡を引く双剣の高速連撃を、ジークフリートは下がりながら大剣を振るっていなしていく。ジークフリートの背後に居た槍使いがその背中めがけて突進!
「馬鹿め、後ろががら空きだッ!」
「そう見えるか?」
 槍使いが刺突を繰り出した瞬間、ジークフリートの姿が消えた。槍の穂先は双剣を振り切ったランスロットの眉間に!
「なっ!?」
 慌てて槍を引っ込める槍使い。そのすぐそばに踏み込んだジークフリートは大剣の柄を槍使いの腹に突き出す!
「ふんっ!」
「ごはっ!?」
 体を折って吹き飛ぶ槍使い! 剣を振り上げて迫りくる二人の騎士を、ジークフリートは大剣のひと振りでふっ飛ばした! さらに兜と鎧の隙間を狙って刃を繰り出す騎士の肩を振り向きざまの一閃で砕く!
「うぐああああっ!」
 鎧ごと肩を砕かれ膝を突く騎士。そちらを一瞥してバックジャンプしたジークフリートの胴をヴェインのハルバードがかすめる!
「ぬぁっ! クソッ!」
「勢いを持て余しているな」
 着地し呟くジークフリートにヴェインは跳躍! 大上段にハルバードを振りかぶった!
「食らええええええええッ!」
 振り下ろされる刃を見上げたジークフリートは、急加速してヴェインの真下を突破し下段から大剣斬り上げ! ジータはとっさにハルバードの柄を突き出してこれを防ぐも打ち上げられる!
「うあっ!」
「仲間の隙を埋める立ち回りは見事。だが根本的に息が合っていない」
 ジークフリートは言いながら、前後反転の勢いを乗せた峰打ちで突っ込んで来るヴェインの側頭部を殴打! 脳を揺らされたヴェインの視界が激しく震えた。
「がっ……!」
「もっと連携を意識しろ。味方がいることの意味をな。お前もだぞランスロット」
 ジークフリートが掲げた大剣を回して背後に突き下ろす。刀身がランスロットの剣閃を防御! 続く回転斬撃を大剣ごと回って受け流したジークフリートは大剣の柄尻をランスロットの左肩に打ち込む!
「ぐうっ!」
 膝を突くランスロットの下顎が、ジークフリートの大剣斬り上げによって吹き飛ばされた! 同時に全方位から白竜騎士団の騎士たちが鬨の声を上げて襲い掛かる! ジークフリートはこれを大剣振り回しで打ち払った!
『グワ―――ッ!』
「動きは早いが、まだまだだな。全員、鍛え直しだ」
 余裕綽々に大剣を担ぎ直すジークフリート。直後、彼は空を仰いだ。炎じみた赤いオーラをまとって垂直落下してくるジータ! 真下のジークフリートめがけてハルバードの先を突き下ろす!
「でやあああああああああっ!」
「空中で体勢を立て直したか。やるな」
 ジークフリートは大剣の腹をかざして垂直落下ハルバードをガードした。慟哭の谷に甲高い金属音が鳴り響く!
「だがまだまだ軽い」
 振り返って大剣を軽く振り下ろすジークフリート! 彼の背後に降り立っていたジータは横向けたハルバードの柄でこれを受け止め、押し返して首筋めがけて遠心力を乗せた斬撃を放った! ジークフリートは裏拳で防ぐ!
「良い速度だ。鍛えればランスロットにも……むっ!」
 ジークフリートがジータのジャンプ頭突きをバックスウェーで回避! ハルバードを回転させたジータは続けざまに斬撃を繰り出していくが、ジークフリートはこれを軽く大剣でさばいていく!
「奇策奇襲を仕掛けてくるか。いいぞ。そうだ、戦いは全身でするものだ。自分の骨一本、肉のひと欠片に至るまでを総動員しろ。お前自身がフェードラッヘを守る刃となれ」
「せいッ! はっ! てやあああああッ!」
 剣戟の音が一度、二度、三度! 連続攻撃をしのいだジークフリートは大剣のひと薙ぎでジータのハルバードを跳ね上げる! そのままジータの脇腹に横一閃の峰打ちを叩き込んだ! SMAAAAAASH!
「あぐっ……!」
「あと二、三年も立派な騎士になるだろう。励め」
 ランスロットが大剣を戻すと同時に膝から崩れ落ちるジータ。しかし彼女は歯を食いしばり、バネ仕掛けめいた突き上げを繰り出した! ジークフリートはハルバードの刃根元をつかんで阻止! ジータが叫ぶ!
「今です、ランスロットさんっ!」
 ジークフリートの真後ろに迫ったランスロットが双剣をそろえて振りかぶる! 狙いは兜と鎧の隙間、ジークフリートの首!
「もらったッ!」
 SWING! 刃の風切り音が鳴り響き、金属音が鳴った。ジータとランスロットは目を見開く。ジークフリートは肩の上まで引き上げたジータのハルバードの刃でランスロットの首狩り斬撃をしのいでいた。
「甘いな、ランスロット」
 小さく呟いたジークフリートの姿がぼやけ、ジータとランスロットが弾き飛ばされる! ジータは仰向けに地面を滑り、ランスロットは谷の横壁に打ちつけられた。岩壁から剥がれたランスロットは谷底に這いつくばる。
「ぐぉっ……!」
 ランスロットは両腕で体を押し上げ、ジークフリートを睨みつける。ジークフリートは弛緩した立ち姿で、ランスロットを見やった。
「どうした、ランスロット。息があがってるんじゃあないか? 昔のキレがなくなっているな。団長の座に就き、ぬるま湯に浸かっていたのか?」
「くっ……貴様ッ……!」
 ランスロットは歯噛みし、片膝立ちの姿勢に復帰。そんな彼を余所に、ジークフリートは周囲を見回した。先ほど吹き飛ばした騎士たちが全身を強打しつつも起き上がり、ジータが脇腹を押さえながらも立ち上がる。
「頃合いか……」
 ジークフリートは大剣を背中に収めると、兜の面頬を上げて素顔を晒し、ランスロットを一瞥して言った。
「ランスロット。ひとまず勝負はお預けだ」
「なんだと……?」
 ランスロットは眦を吊り上げて立ち上がる。
「待てジークフリート! このまま逃げる気か!」
「熱くなるな。お前はもっと冷静に周りを見ろ」
「何を言っている……!? 待てッ!」
 ランスロットが踏み出すと同時に、ジークフリートは跳んだ。慟哭の谷の岩壁を蹴り渡りながら上昇していき、切り立った断崖に着地して走り去っていく。ランスロットは歯噛みして白竜騎士団の面々に言い放った。
「クソッ、逃がすか! 追うぞッ!」
「ランスロット!」
 イザベラの声が割って入った。シルフの傍らに立った執政官は、振り向いたランスロットを鋭く叱り飛ばす。
「今はシルフ様の護衛が優先だ! 決して深追いはするな!」
「しかし!」
「二度も言わすな! ここで奴を追っては思うつぼだぞ! 今は王都へ戻るのだ!」
「くっ……」
 ランスロットは握りしめた拳をわなかかせる。ギリッと強く歯軋りをし、頭上に向かって大きく吠えた。
「くそおっ! 貴様はこの俺が絶対に捕らえてやる! ジークフリートぉぉぉぉぉぉぉっ!」

生活費です(切実)