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「新聞に載って初めて世に出る」という驕り、やめない?

2023年2月27日、金沢市内に唯一残るバッティングセンター「ハローバッティングセンター」が4月に閉店するという記事を、弊社ウェブサイトにアップした。創業42年、数々のプロ野球選手が練習した歴史ある施設だ。

弊社ウェブサイトの記事はコチラ

この件について、3月2日、地元紙が社会面に後追い記事を掲載した。それは別に良い(むしろ光栄な)のだが、驚いたのは中身。社会面のトップ記事として、弊社サイトと類似した内容で掲載されていたのだ。

私も新聞記者だったので、同じネタを同業の記者が取材すれば、似た内容になることは理解できる。ただ、数日遅れておいて、先行記事をほぼそのまま載せることに「プライドはないのか?」と首をかしげざるを得なかった。


12年前に公表の論文も「ニュース」に

私がその地元紙に在籍していた頃、あるデスク(記事を直す中堅記者)から投げ掛けられ、忘れられない一言がある。

当時、私は駆け出しで、歴史に関するネタを取材していた。そのネタの概要をデスクに話したら「それはそうと、昔、その場所で世界最古の可能性がある〇〇が出土した。その調査結果がどうなったか書け」と言われた。

素直に取材先に聞くと「12年も前に論文で発表したよ」との返答。そこで、新しいネタの記事の末尾に「ちなみに」的な調子で「〇〇は世界最古ではなかったと分かっている」と書いて送信したら、すごい剣幕で怒られた。

「これじゃ、ずっと前に分かったみたいやろ!!!」

「ですから、12年前に発表されとるんです」

「お前は何を言っとるんや!!!うちの新聞に載っていないということは誰も知らんということや!!!誰も知らんということはニュースや!!!」

……新入社員から見た「12年前」は、小学生時代である。そんな昔の話を、いま分かったかのように報じろと言うのだ。

そもそも「県民の情報源は新聞のみ」のような考えを、よくも21世紀に持ち続けていられるものだ、とむしろ関心した。

それから12年たち、同じ気持ちに…

2023年は筆者にとって、上記の発言を聞いてから12年後に当たる。そこに飛び込んできたのが、バッティングセンター閉店の後追い記事だ。

「12年前の発表も新聞に載って初めてニュースになる」と言われてから12年たってなお「ネットに出ても無意味。新聞に載って初めてニュースになる」と言わんばかりの驕りを感じた。

この12年間、新聞社は発行部数が数万部単位で減ったはず。率にして2ケタに上るぐらい大きなインパクトだ。それでもなお、旧来の感覚が残ることに驚く。


新聞がするべきこととは?

さて、批判ばかりしても仕方ない。新聞社はどうすべきだったのか、筆者なりの考えを述べて締めくくろう。

新聞社が未だ「情報源は新聞だけが頼りです。ありがたや…」みたいな読者を大切にすべきなのは当たり前。でも、今やそんな人がほとんどいないのは、誰でも分かるはず。


大事なのは「オールドメディアさんwww」みたいな新聞未読層に、いかに価値を伝えるかだ。

速報性、拡散性に劣る新聞がネット媒体に勝るのは、信用力とマンパワーだろう。それならば「うちが最も先に報じた。さすがの取材力だろ?」というハッタリは止め、深さや幅広さを意識した報道を意識すべきだろう。

今回の件では、例えばバッティングセンター施設数の推移をまとめるとか、同じ娯楽施設で数が減少するボウリング場もまとめるとか。では同じ娯楽施設でもカラオケ店はなぜ残っているのか、とか、そういう大所高所から俯瞰した記事を書くべきだろう。

それこそ、新聞の読者が高年齢化しているのなら、過去を振り返る深掘りの仕方がマッチするはず。どうせ話題になってから何日も遅れて報道するなら、複数の記者で分担し、それぐらい書いても良いと思う。

これから新聞社が生き残るには、そうしたスタンスの報道が大切になるだろう。従来の「速く浅く広く」ではなく「遅くても狭くても深く」。この点、筆者からすると、どうにも今の新聞社の立ち位置が半端に見えてしまう。

あと12年後、各新聞社はどんな記事を書いているか、見ものである。もっとも、会社が残っていることが前提だが。

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