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クリエイティブのにおいがする場所へ

長年住んだ家を離れることにした。

2人で暮らすには十分なスペースがある一軒家は、友達と一緒に住み始めた。12年前、兵庫で一人暮らしをしていた私は、社会人3年目とかで、ばりばりのハードワークで、休日は京都に息抜きに遊びに行く、というルーティンだった。仕事も楽しく一人暮らしもそれなりに楽しく、誰かと住むなんて考えた事がなかったけれど、ある時かもがわ沿いのごはん屋で友人と一緒にごはんを食べているときに、「おし、一緒に住もう!」とノリのような形でほんとに一緒に住むことになった。

わたしにとってその友人はエネルギーの源のような存在で、その子に会いに京都に毎週のように遊びに行っていた、と言ってもいい。
その友人は、みんなで集まれるような広い家に住みたがっていた。

一人で暮らすより2人の方が広くて安い場所に住めていいやんと。確かに。

一緒に住む事になったら、エネルギーを分けてもらえるような気がし、挙手をしたのだった。それから、京都はセントラルパーク(御所)も植物園もあって、世界各国のおいしいごはんが食べられる場所がたくさんあり、海外のような雰囲気が好きだなと思っていた(日本の代表するもっとも日本らしい場所のひとつなのにすみません)。

住み始めたら、近所のおじいとおばあの賑やかな声や、空高く飛んでいるトンビのピーヒョロロロという声や、川で太鼓をたたく音が聞こえる、気持ちのいい場所だった。すぐそばにかもがわがあり、雨の夜は窓をあけると川の流れる音が聞こえた。かもがわはもはや自分の庭のように利用していた。

花見はもちろん、たまには朝ごはんを食べたり(食器ごと持って行けるほどすぐそばだった)、夜は仕事帰りの友とワインを飲みながら世間話を延々したり、豊かな時間を庭で過ごした。

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住み始めて3年ほど経った頃、一緒に住んでいた友人はごはん屋をはじめることになり、家を出ることになった。当時はまさか自分がその家に残ることになるとは思っていなかった。一緒に住む話をしたときに、気分転換くらいの軽い気持ちで住んで、2年位住んだらまた京都を出ると思うと話していたのだ。
(まぁ、そうして12年経った今も京都に住んでいるから人の気持ちなんてけろっと変わってしまうものですね...)。

その後は、めくるめくクリエイターの人達が数珠つなぎのように一緒に住んでくれることになった。

ドイツに留学に行くまでの間一緒に住むことになった洋服の縫製のプロの友人は、部屋が縫製工場のようになっていた。納期前は寝てる気配が全然ない日が何日も続いているかと思う日もあれば、ほんとにいるのかな?と言うくらい静かな日が続くときもあった(たぶんずっと寝てた)。

ガレットのお店をはじめるまでの間一緒に住むことになったカナさんの時は、家が突然おしゃれハウスに変化してここどこ?となった。あとはガレットを焼く鉄板がリビングにでーん!とあったり、冷蔵庫がフランスからやってきた高そうなバターでぎっしりな時もあった。

最後に一緒に住んでいたのは、パールアーティストの友人ユリちゃんで、家をクリエーションスペースとして使っていた。普段はほとんど一緒に過ごす時間はないけれど、わたしが休日の朝は一緒にごはんを食べながらファッションの話を永遠していて気づいたらパジャマのまま午前中のほとんどをリビングで過ごす、ということもあり、楽しかった。

とはいえこのままばーちゃんになるまでルームシェアを続けるわけにもいかないし、出よう出ようとはずっと思いながらユリちゃんが京都を出るタイミングで一人暮らしをリスタートさせることになった。

愛着が湧いて家を出る時寂しくて泣くんじゃないか?と思ったけれど、引っ越しの大変さの方でもう泣きそうだったので引き渡しのときはもう開放感とやりきった誇らしさでいっぱいで寂しい気持ちは全くなかった。大きく手をふって「今までありがとー!」って感じでした。

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△引き渡し後の旧居。ピカピカにしました。
お世話になりました。


さて新しく住み始めたおうちは、これまた京都に住むことに。

職場が大阪だし地元も大阪だしもう次はいよいよ大阪ちゃうか、と思っていたのにまた京都だった。どれだけ好きやねん京都。ほんまに好きやねん。

家探しもそれはそれは、私にとっては大変だった。物件探しが楽しいと言う人はすごい。尊敬する。

光がたくさん入って休日は服作りなどが出来るスペースが十分あってキッチンが広くて安い物件、、なんて、ないよね。ないない。本当に隅々まで見たけど希望の家賃でそんな贅沢な物件はなかった。

でも1つだけずっと頭のすみの方〜に気になる場所があった。

それは物件探しをするもっともっと前の話。
こんなところで住めたらいいなぁと思っている場所があったんです。その場所は一度だけ仕事で訪れたことがある、作家さんの家兼アトリエとして使っている場所だった。わたしはその作家さんの作るものもアトリエの空間も大好きで憧れだった。何年も前に一度だけ訪れただけなのに今でも家の配置やキッチンの感じなどを覚えている。

シンプルなレイアウトに1つだけ大きな棚があり、そこに材料である糸をびっしり並べていてすごくかっこ良かった。窓から見える風景は公園の緑がさわさわしている様が見渡せて開放感のある気持ちいい場所だった。

そして、いつかまた訪れたいなぁと思っていたのに叶わないままになってしまったのを今も悔やんでいる。
Facebookでそのかたの訃報を知ったのだ。
昨年のことだった。私よりももっともっと年上で、私もこんな風に年を重ねて生きたいと思う憧れの女性だった。会いたいと思うことを後回しにしてはいけないと、ずっと後悔の気持ちがあった。

物件探しをしている時にふと思い、たまたまなのか偶然か、その場所の1つが募集していた。自分の希望する家賃よりまぁ高かったので、諦めて他の場所もわりととことん探したのだけど、もうどうしてもそこしか考えられなくなってしまい、なんと本当に住むことになりました。

大阪の方が広くて安い場所があったんですけど、職場も超近かったんですけど...。

私の中でその人の存在がずっとあったのだと思う。アトリエのあのドアを開けたときからここに住むことを知っていたのかと思う(同じ部屋じゃないですが)。

ものを大切にする私は(自分で言う)、その作家さんからいただいたお手紙が、引っ越しの片付けをする時にポロンと出てきた。今私が住んでいる住所が書かれている。胸がぎゅうとなる。

そういう運命的な直感は、大切にしたいなぁと思う。その人と会うことはもう叶わないのはすごく寂しいけれど、この場所で私もクリエイションをしていこうという決意みたいな、指針みたいなものが出来て嬉しい。

憧れる気持ちって大切なんだな、と思う。気がついたらそのようになっていたりするもの。

これからもわたしはクリエイションのにおいがする方へ、うろちょろ散歩をするように進んで行きたい。

唯一買ったその作家さんのピアスのキャッチがなくなり、通す部分が特殊な細さなのでつけられないでいる。まずはこれをまた身につけられるようにしたいと思っている。

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△リネンのカーテンを作りました。
ポシャギは旧居で作ったものをひとまず目隠しとして。


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△夕日がきれいに見えるの西窓の特権。
私の部屋からは公園の森は見えない。


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△もう宝物です。細い穴のキャッチ、どこで売ってるのだろう。お守りとして身につけたい。