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忙しい人の土日の愛おしさについて

一か月前に見た投稿者すら覚えていないTwitter上のつぶやきが妙に心に残っています。もちろん全文を覚えてはいないのですが、その方はおそらく既に勤めていた会社を退職された方で、今はいわゆるニート生活を送っている方のようでした。

精神を病んだというほどのダメージを仕事で受けていた方なのかは分かりませんが、とにかく毎日の仕事が忙しく、またプレッシャーに押しつぶされそうになる毎日に嫌気が差して退職されたような印象を過去の投稿から感じました。

さて、肝心の投稿内容がどんな内容だったかというと、こんな感じでした。
「会社で働いていた時の方が土日が充実していた気がする」
これだけだとどういう理由でそうなるのか理解することが一瞬難しく思えますが、こんな内容が続きました。
「でも、会社で働いていた時の土日が充実していたと思えたのは頭を水の中に押し込められた後にやっと息継ぎをさせてもらえたことの喜びのようなものなんだろう」と。

投稿内容としてはそこまでだったので、ここから先は私のただの感想パートになります。私がこの投稿者の方の解釈を面白いと思った理由は、休日における充実感が平日も含めたあらゆるイベントの中で相対的に位置づけられたものであるということに自覚的であるという点です。これは私も新卒として社会人デビューをした頃の経験から身に覚えがあります。

忙しいプロジェクト、それも興味もあまり持っていない分野でのプロジェクトのために会社に向かう時間は本当に苦痛でした。と同時に、その時ほど土日を待ち遠しく、また土日に何をするかを知恵を絞って考えた時期はありませんでした。なぜなら地獄の月曜日を思えば土日ほど貴重なものは他になかったからです。

ただ、一度そのプロジェクトから抜け、平穏で安定したプロジェクトに配属されると、私もこの投稿者の方と同じ感想を抱きました。もちろんプールで沈められてというような表現は思いつきませんでしたが、なんとなく前の方が土日をフルに使いきっていたよな、という感覚がありました。

平日が死ぬほど嫌であればあるほど、土日が麻薬的な魅力を帯びる。なので平日が平穏になると、麻薬的週末も消える。私は土日に麻薬的な魅力がなくとも平穏な平日と平和な週末を望みますが、皆さんはいかがでしょうか。後者の高揚感がたまらんという人、もちろん精神を病むような仕事は辞めてほしいですが、いわゆるワーカホリックタイプの人には忙殺される平日とそれによって魅力を帯びる週末の組み合わせがたまらないという人も居たりするんでしょうか。

平和な平日を手にしてしまうことによって、麻薬的な魅力を帯びていた週末を失ってしまうという面白いパラドックスについてのお話でした。しつこいようですが私は平和な平日と代り映えしない休日を繰り返す人生を所望します。

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