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子育ての目標は自立!子育て終了後の生き方を考える

こんにちは。
セカンドスター運営メンバーの川上真由美です。このnoteを開いてくださり、ありがとうございます。

セカンドスターのコラム執筆は3回目。前回は、自分の商売道具「教科書」についてを7月末に書きましたが、9月から新天地にて働き始めました。


今回は、この「転職」のきっかけとなった出会いについて書いていきたいと思います。

子どもの自立と自分の生き方について考えた日々

その前に、自分の生き方について考えた日々のことを書かせてください。

今春、次男が関西の大学に入学し、二人の息子が共に「下宿大学生」となりました。
私は、長男を出産する時に退職して以来、専業主婦を経て子育て優先の働き方をしていました。

2000年3月31日、「仕事の代わりに授かった命を絶対に大切にしよう」
と決意し会社を辞めたんです。

21年後の同日、次男がこの家を去りました。その日の気持ちを個人のnoteに綴っていますので、良かったら読んで下さい。

全力で子育てを楽しんだ毎日。
我が子のためはもちろん、子どもの入っていたサッカークラブの保護者会や幼稚園・小中高のPTA、部活の応援…時代時代でコミュニティの「お役目」をさせていただきました。
その中で出会った友人の「できる立場の人がやればいい。それが社会ってもの」という言葉に共感。自分の置かれている環境ならば率先してやろうとの思いから、子どもを取り巻く世界を堪能した21年間でした。


次男が小学校卒業時、「子どもが親と暮らすのは、あと6年かもしれない。これからはそう意識してみてください」と担任の先生に言われました。だからか、長男の時も次男の時も、高2くらいから真剣に「残りの日をどう過ごすか…」を感じて過ごしてきたんです。

ちょうど1年前、次男が第一志望をかっちり定めた高3の夏、私自身もこの後の人生をどう生きようかを考え始めました。
今まで私が全力で注いだエネルギーの持って行き場ってどこなんだろう…。

子どもの望む進路を応援したい。
そばにいないことを寂しがらない親でありたい。

ママ友たちとも、集うとすぐに「これからどうする?」という話題になりました。こうやって集まって女子会するのも楽しいけど、結局は自分で何とかしないとね、とみんな思っていたでしょう。

その時の私の現状は…

教育出版と代筆業の二つの仕事を持ち、どっちも好きだし誇れる仕事でもあるけれど、いろんな条件もあり、先を考えると満足しきれていないのが本心。
関わる方々はその顔(仕事)の私を信頼してくださっているけど、どっちもやっている私は一人。この現状を満足してこなしてきたのは「母親」という大きな役割があったから。
母の私を唯一無二と思ってくれる子どもと築いたような関係は、もう得られないのだろうか…。

そうして、
まずは行動を!と思い、始めたのがSNS。そこから、この「セカンドスター」に入る機会を得て、交流の場は一気に広がりました。
同時に、11月からコーチングを学び始めました。50代にもなって何の専門性もない自分にコンプレックスもありましたが、そこはピュアな気持ちで、吸収させてもらおうといろんな勉強会に積極的に参加しています。

冬になり、次男の受験本番。
波乱万丈だったのですが、次男は第一志望に合格し、晴れて大学生になりました。子どもの受験は5回目。我が子は二人とも、受験の「オチ」を必ず作ってくれるようで、このエピソードまたいつか書いてみたいと思います。


新居の準備を終えて別れる時、次男が
「母さんはこれまで俺らのためにいっぱいやってくれた。これからは自分の思うように生きて。そうしてくれると俺も頑張れる」
と言いました。

そうか…。私が楽しく生きていることが子どものためになるんだ。

「ごめん、アンタたちのこと忘れてたわ」くらいの親であることが、これからの彼らのためなんだな、と感じました。


「子どものいない人生」の始まり

「人生・子育ての巻」のフィナーレ「受験・卒業・巣立ち」のあたりの山場の演出に母エネルギーを注いだため、「人生・子育て終了期の巻」は、4月から「はい、スタート!」とはいかず、同じような毎日が始まりました。

子どもはいなくなったので、「世話」に充てていた時間はとにかく勉強(=仕事の準備)。心のどこかに「私、これからどうしたいんだっけ…」と思いながらも、目の前のやらなくてはならないことに没頭しました。

何とかなるか!
とどこかで思いながら。

教育改革期で、否応なく中身が変わるという理由も大きく寄与しているものの、先生方との面談での盛り上がり具合が今までと大きく変化し、教育出版の仕事が楽しい!と思える日々になっていました。
相手のニーズに沿って提案できているのは、十分な準備とコーチングを学んだ成果。信頼を得られているのを感じていました。


「このままでいいのか?」と思っていた気持ちも忘れていました。

運命の出逢い

そして、繁忙期のピークの頃。運命の出逢いは訪れたのです。
本来ならば設定しない時間帯、17時以降の学校で、面談をしている私と先生を見る目線がありました。私は生徒さんの家族かな?と思っていたのですが…。


面談を終え、駐車場で荷物整理をしていると
「あなた、○○(会社名)の方?」と声を掛けられました。先ほどの目線の主でご高齢の女性です。
名刺を出されて、ようやく私をリクルートしていることに気づきました。
警戒する私に、あれこれご自身の仕事や経歴について話してくれ始め、気づいたら1時間話し込んでいました。
お歳を伺うと、私の母と同年齢の70後半。考えられない見た目でした。

「あなたみたいな人に自分の後を任せたいなと思ってたんよ。またぜひ会いたいから連絡先教えて」と言われて、なんか答えてしまってた私。

この歳になって、ナンパされたのです。おばあちゃまに。
ただ、私の年齢を言うと「一応、会社に確認するね」と言われました。


もう一度、自分がどうしたいのか自問自答し始めた私

家に帰って、いろんなことが頭の中をぐるぐるしました。

毎日仕事に没頭しすっかり忘れていたけれど、私はこれからどうしたいんだ?
これからやりたいと思ってたことはどうなる?
怪しくないか?

でもあの歳でバリバリ。話も楽しい。
自立した子どもたちが安心して活躍できるように、私が目指してるのは、自立したシニア。
彼女はまさにそんな人だ…


次の日も仕事のアポイントに基づきあちこち大移動。
途中で知らない方からの着信と、メッセージが来ていました。

「会社に確認したら年齢は大丈夫。もう一度会ってお話ししたい。お話だけで大丈夫です。この日時はどうですか?」
といった内容。
「この日なら…」とお返しすると、即レス。その後もとにかく即レス。

付きっきりでスマホを教えた私の母と大違い(母は母で可愛いですが)!!

そして後日、彼女と再会した時には、私の気持ちはだいぶ固まっていたのかもしれません。


それから、一カ月かけて複数回の面談を上の方としました。私の人となりを聞いてくれ、仕事観はもちろん、子育て期に尽くしてきたことも快く聴いてくれ、私の心はパッカーンと開いていきました。

これも運命だ。やってみよう。

そう思うようになっていったのです。

引き寄せって信じて引き取る

もしもあの日、私がアポのあった先生に「夕方は無理」と断っていたら
同じ場所に居合わせることはなかったはず。

昨秋からの学びがなかったら…、4月にあっさり仕事を辞めていたら…、
次男が地元の大学に行っていたら…。
もっと遡れば、21年前に退職してなかったら…。

 
いろんな偶然が重なって引き寄せられた運命。
今の私が現状に満足していたらスルーしていたでしょう。現状では満足していたけれど潜在的には変わりたい気持ちを呼び起こしてくれたのが、この出逢いだったのです。

これがどんな意味を成しているのかはまだ分かりません。


でも、決めたのは自分。
勇気を持って引き取って、前に一歩踏み出しました。

決意した後に話した21歳の長男は、
「100歳まで生きるんならまだ折り返し地点じゃん。やってみたら?」
と言ってくれました。


人生100年時代。
元気でいられるために…。最後まで現役でいられるために…。
そのためには50歳で終活なんかしてる場合じゃない。

そう思って、新しい環境で脳細胞をビシバシ鍛えている毎日です。

20代で培った仕事として関わった投資の世界と、自分が家庭を持って実践してきたその経験が活かせていて、何ごとも無駄じゃない!と感じながら…

最後に…

結果的に、仕事において子育て終了後の生活を変えましたが、実はいろいろな方法を考えていました。

・ピースボランティア
・コミュニティの立ち上げ、活動
・里親や子ども食堂の活動に参加
・趣味に没頭    などなど…

どれもやろうと思えばできるはず。まだまだ諦めません!
今はせっかくの機会と周囲の期待に応えるべく、まずは仕事に慣れて、その後ほかのことにも挑戦してみたいと思っています。

忙しい母親業をこなしてきたセカンドスター世代だからこそ、このエネルギーの持って行き場を見つけて次のステップで輝けるのではないかと、これからの日々にワクワクしています。


長文になりました。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

執筆:川上真由美

Twitter:https://twitter.com/mammy120

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