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同郷の友達が出来にくい(5/30)

雨、降るねぇ!5月もそろそろおしまいだというのに、コートを羽織って出掛けないと風邪でも引きそうな寒さ。ところどころ雲の隙間に見える青空に期待をかけるも、雨の方は厚顔無恥を決め込んだように街を支配している。夜になってようやく止んだって、あとはもう寝るだけなのよ!ってな感じで、昨日も今日も「なんでやねん!」とブツクサ言いながらシャッターを閉めた。

そんな家を出るのも億劫になってしまう天気だったが、今日は、私の個人情報満載のデータを友人に印刷してもらう約束で、それを受け取りに12区まで出掛けた。
どっちがついでだか分からないくらい当たり前に、コーヒーとシードルを片手にお喋りに花を咲かせる。

この友人は長らくパリに住んでいる日本人だ。派手に話すタイプではないが、バラエティ豊かなフランス語の表現を使い熟していて、流石フランス人のパートナーと長く暮らしてきただけあるという感じ。
(長く暮らしたからと言って豊かな表現ができるようになるわけではないが)

彼女はズバッとモノを斬っていくような性格ではないけれど、八方美人でもない。だから、一見"項目上の"共通点はあまりないのだが、違いも楽しく、話していて面白い。

私のフランス語は、フランス語に長けている人が聞けば一目瞭然、文法が無茶苦茶だ。とにかく雰囲気の良さが全てなので(笑)、よくよく聞けば大したレベルではない。
ただ、日本人にとってフランス語のスピーキングはなかなか発音が難しい。だからこそ、発音と雰囲気の良さが売りの私のフランス語は、フランス人に会う度に「君、全然変な訛りなくて、めちゃくちゃフランス語が上手いよね。日本人でこんな喋れる人見た事ない!」と言われるわけである。

褒めてもらうのは有難いのだが、実際には話せている雰囲気がしているだけのペーペーなので、パリにいる日本人の半分以上は私よりフランス語が”上手い”はずだ。評価と現実の落差に穴があったら入りたい気持ちもひっそり抱えている。

なんだけれども、こちらに住んでいる日本人と一緒にいると、フランス語を発する度にジャッジされるような目で見られ、少しの間違えを指摘されたり、笑われたりするのでとても居心地が悪い。(フランス人にそうやって横槍をいれられたことは記憶している限り、ない)

しかも文法の話になると、もうほとんどの日本人が私より優れていると思われるので、喋れているようで全然喋れていないのに喋れていると言われている私(まあ、コミュニケーションは取れているのだが)に、少しばかり牽制がしたくなるのも分かる。分かるよ!分かってるよ!ちゃんと分かっているからわざわざ言わなくていいよ!!!!である(笑)。

だって、語学学校の先生にも「スペイン人!メキシコ人!それから、ヒロコ!君らはお喋りばっかり達者で全然文法が分かってないから進級はお預け。もっかいこのクラスやりなさい。少しはアジアの優等生たちを見習ってちゃんと文法と綴りの宿題してくるように!」なんて言われた事だってあるんだから。

私がフランス語で話している時「え?なんて?」と聞き返してくるのは日本人ばかりだし、挙げ句の果てに日本語で言って、なんて言われる始末。

日本人とだけ一緒にいる時にわざわざフランス語は使わないが、日本語話者以外の第三者がいる時は極力フランス語で話したい。単純に人として気ぃ悪いやんって思うし、日本語を話さない第三者にはとても失礼な態度だと思うからだ。

英語でも度々議論になっているようだが、日本人の、外国語が関わった途端に夜叉のような顔つきで審判し出す「相互監視制度・完璧主義の集い」は、一体いつから始まって、どこまで蔓延り続けるのだろうか。

日本人同士で助け合って、情報を交換しあって、異国の地で苦労する事があっても支え合いたくない?と思っても、どうもため息が出てしまって、そんなこんなでどうにも日本人コミュニティになかなか入って行けず現在を迎えている。

こういう発言自体が分断を助長させているようで憚られる気持ちとの板挟みでもあるのだが....

その点、留学時代からの盟友A君や今日会っていた友人Dはパリに残っている貴重な同郷の仲間だ。
今日もDとそんな話をしていて、Dも"同郷女子会"なるものでもやもやした気持ちを抱えることもあるそうで、私たちの独特な悩みを吐露し合ったのだった。(悩みってほどでもないか。「なんだかねぇ〜」って感じのソレ)

A君はよく私に何て?って聞き返してくるけれど、あれは多分耳が悪いだけだと思う。しかもA君は声がめちゃくちゃデカいんだけど、あれも多分自分の声があんまり聞こえてないんだろう。

え、これもうA君の悪口、もとい陰口じゃない?

陰口は嫌だから、今度本人に会ったら紋所みたいにこの日記を見せよっと。がははは!

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