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安土せぶ山時代が終わる...(6/12)

「えっ、世武が唐揚げ?珍しいな!」と親しい友人から即座に反応があったのだが、彼らはやはり私のことをよく知っている。

昨日少し体調が良くなってきたような錯覚で、唐揚げを食べたイキり屋さんのセビー⭐︎✴︎⭐︎✳︎✴︎
唐揚げなんてハイカラなものを頂き、再び満身創痍でよわっよわになった彼女のバディーは、甲冑の隙間に矢が刺さった状態で発見された。発見場所は関ヶ原を越えるか越えないかという微妙な位置の原っぱだったという。結局彼女が育ったのは岐阜だったの?滋賀だったの?どっち側?としばらく村の噂になっていたそうだ。

少し寝不足だとすぐさま咽頭痛。繊細さを年々つやつやに磨き上げる落武者セビーは、江戸時代が始まるとすぐに職人たちの集落に身を寄せて音楽を作り始めるのであった。

「さっさと映画音楽を作らないと録音日はもう決まっているんだよ。団子を喰うだけなら可愛いもんだけんど、唐揚げなんざ5個も6個も食べてからに。しかも花の都・巴里じゃマヨネーズに漬けるらしいよ!流石に醤油はかけなかったみたいだけどね?そげなこと、江戸では到底やれん。けったいじゃ〜 けったいじゃ〜」

この界隈で知らない人はいないというお茶屋の女主人がそう言って、村人たちによく話して聞かせたらしい。

それにしても私は、気持ちが強く落ち込んで、暗闇の中を苦しみながらもがく女性たちの映画に音楽をつけることが多く、その度自分の魂も激しく消耗している。
映画はフィクションで、演じているのは役者さんであり架空の人物なのだけれど、"その人物"の内面に分け入って精神世界に同化しようと試みる作業は、おそらく役者さんご本人の次くらいには苦しい作業なのではないかなと思う。しかも私のように共感力に乏しい人間にとっては尚更。

明確に公表しているわけではないが、極めてASD寄りの診断を受けている私は人に共感することがあまり得意ではない。それを自覚しているからこそ、他者にやさしくありたい、と過剰に自分に厳しくしてしまうところもある。

動物的な勘が猛烈に働いたり、状況を素早く分析したり、興味があるものに対してはとても忍耐強かったりする。一方で、阿吽の呼吸とか、曖昧なまま発出される言葉とか、興味のない人物や現象に対しての理解度が低すぎるという問題も抱えている。

この特性はサウンドトラックを書く時に有利な時もあって、この仕事についたのは私にとってはラッキーなことだった。感傷的な気分に阻まれることなく、ドライに客観的な視点で状況を判断し、音楽的ジャッジをしていけるからだ。

とは言っても、作品によって、そのシーンによって、作品の流れによっては主観的なものを音で具現化する必要があったり、そうせずとも"まずは現象を理解する"段階において、やはり主人公たちの思考や感情の道筋はよく理解できている方が良い。

鬱を患う主人公の映画だったり、信仰心の強い人物の映画の時は、どれだけ呼吸や言葉や表情から真意を読み取ろうとしても理解が難しかったりする。でも私自身の特性はどうにもならないので、そんな私にできることとして、相手の了承をとりながら友人や知人に協力してもらう。当事者である人々に取材させてもらうのだ。せめても理屈として文面的には理解ができるので少しクリアになるのだが、それでもよくわからなくて音楽を作りながら結構苦労する。
もしかしたらこれらの主人公たちは、私とは真逆で「共感力」の強い人たちなのかもしれない。だからこそそうやって抱えているものがあるのかな、と。

こんな感じで不安なままスタートしているサウンドトラック制作だが、今朝は「フランソワーズ・アルディが80歳で死去」ニュースによって少し中断されることとなった。

いつかのお師匠に、山羊座のB型を最も自で行く女性は、僕が知る限りフランソワーズ・アルディと世武裕子だけだ!と言ってもらえた事が嬉しくて(おそらく1/4(私の誕生日)の日記で触れたのではないかな?と推測)"山羊座B型女性の星"として尊敬していた女性だ。

彼女の歌もアティチュードも、とてもナチュラルな歳の重ね方も好きだった。自分が目指している憧れの女性像というのは特にないまま生きているが、強いて言うならフランソワーズ・アルディには特別な何かを感じている。

パリの空の下、師匠との会話の中のフランソワーズを思い出しているうちに「とにかく音楽をやろう」という気持ちになり、人に任せるはずだった連弾用のピアノ譜面を作った。これはサウンドトラックとは別件だが今月末に録音予定のもの。
それから自分で弾くパートの譜面も印刷屋さんで出してきて少し練習を始めた。
学生の頃は難しい曲に向き合う日々だったのが、プロになってからは自分の曲より難しい曲を演奏する事がなくなった。演奏家としての質の低下をやはり感じ複雑な気分になる。

まあ、そんな内省はさておき、充実した一日をひっそりと丁寧に送ることができた。いつの日も、偉大な先輩たちの背中を見ることは自分の成長に繋がっていると思う。ご冥福を心から。

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