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作曲脳を分析してみた〜Deep編〜(5/18)

ばたばたと外出をする日が続いていたが、今日は一転して作ったり読んだりと、静かながら身体のあちこちが滾るような日を過ごしていた。こういう日は、出来事的な物事から遠く離れて、生活が肉体の中だけで営まれているような不思議な感覚になる。

誰の存在もきれいさっぱり消えてしまって、自分は丸ごと資本主義や物質社会から忘れ去られて、ずっとこうだったらとてもやり切れないだろうけれど、ずっとこうなら私は本当の意味で自由なのかもしれないと思う。

そんな日の終わり頃には、名前も思想も持たない脂肪と筋肉と骨と臓器になったみたいに、愚鈍な自分がとても気持ち良い。それくらい、エゴというのは人間を苦しめるものなのかもしれないと思う。とかく、毎夜しゃしゃり出てくる睡魔すら現れないのだから、いよいよ自分を赤の他人としか思えない。深く眠って仕切り直さないことには、脳みそが混乱したまま自分が誰なのか分からなくなりそうだ。でもこのまま眠らないで、誰でもない塊でありたいという気持ちもどこかで持っている。

自分がそんなふうに完全に消滅してしまう時(残念ながら毎回とは行かないんだけど)私は作曲家であることを途轍もなく愛おしく思い、誇らしく思い、こんな幸せな人生は他にないだろうと思うのだった。

「そこまで言うけれどあなた、どれほど芸術的な曲を書いたのですか?」と聞きたくもなるかと思うが、至ってお仕事的な、"明日までに仕上げられますか?"という突貫工事のような作曲の請負仕事をしていた。

何らかの理由で曲を作り始めてから、どこかのタイミングで「あっ!これだ!」と、まるで陣痛の果てに母親の子宮から引きずり出されるように胎児がずるずると出てくるみたいに、この時どちらかといえば私は助産師の立場なのだが、音の肉体を掴んで何らかの確信を得た時点で、それが商業的だろうが芸術的だろうが、自発的だろうが請負だろうが、等しく恍惚を迎える。

生命の誕生のような神秘的な瞬間が森羅万象的迫力に包まれると言えば、比較的多くの人に共感してもらえるだろう。要するに、それと同じと思ってもらいたい。
そんな、この世で最もエロティックな仕事ができるのだから堪らない。

今回私の作った曲は、別のピアニストの方が演奏するための曲だ。珍しい(というか初めて?の)パターンだが、私は職業ピアニストではないので、自分では弾けないような難解なフレーズも自由に弾いてもらえると思うと、わりと積極的に引き受けたいと思った。

YouTubeでそのピアニストの弾きグセや音楽的なキャラクターを確認し、それをエッセンスとして楽曲に憑依させていく行程は、映画音楽を作る時にどの程度誰に憑依させていくか(役者さんなり、監督なり、土地なり語り手など)を図っている面白さに似ていて、十分に楽しんだ。脳みそをチェスみたいに動かすことや、複数の素材を分析する作業って快感なんだよなぁ。大好き!

「明日までに作れますか?」っていうオファーの仕方って、世武に対する尊敬に欠けてない?それってピンチヒッターとか代打っぽい扱われ方に見える。

なんて(慮るあまり)同業の知人たちに言われることもあるのだが、まず第一にピンチヒッターの便利屋だったとして、何か問題があるのだろうか?というのが私の考え。

「どうしても世武さんに作ってもらいたい」勿論これは、本当に誉れ高く嬉しい言葉。でも、別に私じゃなくても良いのってダメなの?私じゃなかったら私の形にはならないが、言い方が乱暴だが世の中には優れた作曲家が無数にいて、別の形の素晴らしい作品は絶対に生み出される。そもそも、私でないとダメなことなんてない。それが何か問題だろうか?心底、興味のない論点だ。

明日までに、というのは、確かに作曲の通常の作業を考えると些か失礼なオファーの仕方とも取れる。私も若い時は「ちょっと雑なオファーだなぁ(笑)」と苦虫顔をしていた頃もあった。でもある時、これまた同業の(ただしオファーする側の立場)で働く人にこういう風に言われた。

「その人、世武さんのこと信用してるんですね。世武さんならか絶対いいモノを間に合わせて作ってくれるって。だってそんなスケジュール感で普通お願いできないですもん」

結局のところモノは考え方と捉え方次第だし、私もどちらかというとその会社の人たちと信頼のある関係性だと捉えている。いずれにしたって真実なんてあんまり重要ではない。相手の本心なんてどうしても推測だし、推測は自分の願望か不安のどちらかに影響される。

そもそも、私は曲を作るのが本当に速い。映画の時は速く書きすぎて監督の確認が追いつかないことも多々あるし、もうちょっとゆっくり提出して下さいと言われることもある。あまりに簡単に作ってるみたいだから敢えて提出を待って寝かせておく、と音楽ディレクターから言われたことすらある。そして、期限に間に合わなかったことは、人生たったの一度もない。
学生時代の課題も、ひとつの課題に一週間も費やす呑気さに耐え兼ねて、新しい課題を個別に、かつ頻繁に教授におねだりしていたくらいだ。

だから、全然時間のないオファーだろうが、たっぷり時間があるオファーだろうが、そこに大した重要性も相違もない。

うむむ。どうしても直線的な物言いをしてしまうタチで語気強めの日記になってしまった気がする。まるで好きな人と遊びに行って楽しい週末を過ごしたかのようにこれを書いていることを、最後に伝えておきたい。

友人の原稿もググッと読み進めた。あと50ページほどだろうか。結構好きな物語で早く読了したいのに、あと50ページで彼らとお別れかと思うと寂しく、ここへきて何度も席を立ったり珈琲を飲んだりして中断している。

あ〜、音楽と文学があって、人生って最高に幸せだよなぁ!


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