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汚い色と言う人にだいぶ驚いた件。

万バズしていたTwitterを見て
本当に驚いた。

この世に溢れる様々な色彩を
汚いと感じる人がいることに。

たしかに
ウンコはウンコだが
その色が汚いと思ったことはない。

だって
森の木々も同じ色してませんかと。

白黒ではなく灰色を
どっちつかずだから汚いと
考えたこともない。

飛び散る鮮血のどす黒い赤も
汚いと感じた事がない。

汚い色ってなんなんですか?

色の表現の仕方に
どどめ色なんて言葉もありますが

廃液まみれ
よく分からないバクテリア発生の色。

…それって色が汚いのではなく

環境が汚い

イコール

それが原因で発生する色が汚い
という認識なだけでは?

そう思うと私自身も時々
湖がバクテリアによって
こんな色変化をもたらすという画像を見ると

清潔ではない気がして
気持ちが悪い、とは感じる。

でも

色そのものを汚いと思った事は
一度たりともない。

アマチュアの底辺ながら
漫画を描いていたし
アニメーター時代は
彩色仕事もしていた。
モブシーン彩色は
基本個人にお任せだったため
センスを試された。

同人活動をしていた時も
表紙レイアウトは真剣だった。

人に色を合わせるのが好きで
女性向け衣料店舗で販売員もしていた。

その人に似合う色を選ぶのが好きだったし
面白かったし
選んだ服を試着後に
ありがとうと言われるのが嬉しかった。

だからこそ思う。

汚い色の定義がよく分からない。

美術の教師が
「汚い色」と表現する事が
個人的にモヤモヤした。

私がまだ保育園児の頃。

46になった今ですらハッキリと覚えている。

割り箸の先を削ってペン代わりにして
紫陽花を写生して色を塗る授業だった。

花の輪郭を描いた後
5歳の私の目には
紫陽花の花びらはひとかたまりにしか見えず
花びらを一枚一枚ではなく
全体的に塗っていた。

それを先生が唐突に

「なんでサボるの!
みんな一枚一枚塗ってるのに!」

…と言ってきた。

それ以来、紫陽花という花が
今でも大嫌いだ。

汚い色と言葉にすることで

汚い色だと認識してしまう人たちがいる。

5歳児の私が感じたように
皆と同じことが出来ていない

イコール

サボっている
皆と同じように出来ない
皆と違う…。

汚い色。

そう言われた人がいるかもしれないと思うと

仮にも美術教師が
そうじゃないんだよという
悟りの言葉を伝えたとしても
その先生がどれほど偉大であっても

汚い色

などという表現はすべきではない。

ネガティブワードを口にする教師は
ろくなもんじゃねえと
私は考えている。

近年、教師のブラック企業っぷりが
浮き彫りになり
同情する部分は当然あるし
義務教育を脱した高校時代は
良い意味でも
悪い意味でも
愉快な先生が多く
その環境で3年楽しめた事を感謝はしている。

だが基本的に
昭和の教師は
私という独創性を潰しにかかってきたので
嫌いである。

代アニ時代。

名駅すぐそばの校舎で
当時は普通に空き缶ゴミ箱は
普通にどこでも設置してあり
決して道端に捨てなかったのに
飲みかけの缶ジュースを見つけ
唐突に叱り出した
風紀委員会教師崩れの勘違い教師と
喧嘩になった。

私の親が
よく分からない怪しい専門学校に
お金出してくれたのに
なんなんだこのアホは。
…と、当時を思い出す。

色…

言葉で言うならば

色とは個性である。

それを
汚いと口に出す人も教師も
よくよくお考えになって頂きたい。

綺麗事かもしれないが
汚い色になってしまった理由も
それぞれあると思うし
汚いと感じる理由もあるだろう。

でも
色は
どんな色でも美しい。

受け入れられない色であっても
その色が綺麗だと思う人がいる。

色が汚いのではない。

似合わないだけの話。

教職を全否定するつもりはないという事を
最後に書いておく。


どこの誰だか分からない人をサポートする勇気は私にはありませんがアセクシャル46歳田舎で独身工場生活に共感いただけたら仕事もまた頑張れます。