何者かになれる方法がひとつある。
かもしれない。
今日は後輩と言うのだろうか。その人と飲みに行った時の話。彼の名はげんきくん(仮名)
年齢で言うと8歳離れている。
彼は男の子で23歳。私は31歳。
私は当時コワーキングスペース&カフェ併設のお店で働いていた。彼と一緒に入ってきたアルバイトは6名ほどいただろうか。倍率100倍を潜ってきた期待の新人。
そんなおしゃれカフェに私がなぜそもそもそこで働けたかと言うと
今は亡き夫が働いていた職場であり、オープンするにあたって彼がコーヒーの知識、お店づくりに尽力、
人を惹きつける人間性共に圧倒的な実力があった人物であった。
主人さんが亡くなり私とコンタクトをとってくれた社長ご夫婦が『一緒に働いてみないか』と会社のためにはなんの利益にもならない私を、ただ私を〝救うため“という理由のもと働かせてもらえたラッキーな人間である。
私は約10年飲食業とそれなりに真剣に向き合い仕事をしてきた人間であった。それだけの価値で実績も結果も無い私。主人の立場を踏まえてなのだろう
現場の作業や立ち振る舞い、会社ビジョンを叶えるための行動を教える立場として任命をしてもらった。
その時に入ってきたのが6人の中の1人、げんきくんである。
当時の私はかなり職人気質で最低ライン80%以上の商品でなければ提供は許さない
会社が求めるお客様とのコミュニケーションと会社との繋がり作り
物販販売。カフェスペースの快適な環境作り
すなわちそれは音、空調、会話。
全てにおいて100%を求めて高みを目指すを目標にしていたのである。
本気で世界一のカフェにする事を目指していた。
(小っ恥ずかしい。。。)
100%を求めていながら、本当は心の中で
『入ってきたばかりの子にそこまで求めるのは酷だ、』
『会社が設けている設定ラインは80%だ』という気持ちですこし妥協をするようになっていた。
いつも自分には100点以外許さない私。
他人も含め80点で許すと言うこれは試練だと思っていた。
誰もが最初からできる人間ではない。
わかっているけれど私よりも断然才能のあるアルバイター(年下)全員が、
“出来るはず“なのに全力でやらないの事に腹が立っていたのだ。
私は100%でやって10年かかったものを
1ヶ月本気で取り組めば同じレベルまで上がれるようになる若者が目の前に6人もいる。
こんなに腹立たしいことはない。
なぜやらない?
毎日思っていたのである。
私の中で妥協=優しくする
が方程式。(当時はね。)
思っていることはあったけれど言い過ぎないようにする。それは妥協でありつつも相手の精神状況を考えつつ、最善だと思っていた。
ご飯を一緒に食べている時にげんきくんは私に言った。
『まりこさんがあえて言わないようにしていた事も、想像しながら察して緊張感を持ちつつ働いていたあの時があったから本当に成長できたんですよ。まじで背中を見て学びましたから。』
私の“あえて言わない“
あの時私は妥協の域に入ってしまっていた。相手にも私にも許しが必要だと思っていたから。
それを彼はポジティブに捉えてくれていた。
察して仕事をするなんて今の時代では御法度だよな。
と思いながら自分の上司としての出来なさに
私ぽんこつやな!ごめん!と思って聞いていたのだけれど。
こうやって感謝される人間に自分がなれているなんて思っていなかった。けれどそれは
げんきくんの人間性がきっと神レベル。だから私に感謝をしてくれているとも言える。
けど何事も捉えようでポジティブにもネガティブにも変えられる。
若さゆえの好奇心と成長に
経験値はどのくらい勝てるのか?
私みたいな凡人は簡単に抜かれていくけれど
未来ある若者が活躍していく姿は
眩しく美しい。
そんな人たちの人生に少しでも関わり
影響を与えられたのなら
私の命は生きていた価値があると言うもの。
成し遂げられない事を嘆かなくてもいい。
これからビッグになって行く彼ら彼女らにも手を差し伸べてあげられるタイミングがある。
そうやって優秀な人達を送り出す人間に自分がなれるかもしれない。
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